5370.黙示録というのは何か?



黙示はギリシャ語で「覆いを取り去る」「隠されていたものが明ら
かにされる」つまりは啓示を意味していて、紀元前3世紀頃から紀
元後数世紀のいわゆる後期ユダヤ教の内外で起こった文学運動を「
黙示文学」といいます。一番有名なのは、新約聖書にある「ヨハネ
の黙示録」なのですが、旧約聖書の「ダニエル書」も黙示文学とし
て分類されています。エゼキル書もその要素を持つ。

この3つは、ユダヤ教徒、キリスト教徒が千年王国や神の国を作る
前の世界的な破壊があるということを神から啓示されて書いた書物
という。

このため、世界の破壊があり、その後、最後の審判があるとヨハネ
の黙示録にはある。

ダニエル書に語られている終末論的思想は、ユダヤ教・キリスト教
の終末論としては最も初期のものとされているが、終末時の出来事
として、最後の審判や「人の子(メシア)」の来臨といった場面が
すでに描かれている。

第7章で、4番目の獣に11本目の小さな角が生えてきて、尊大なこ
とを語っている間に、最後の審判の場が準備されるのである。審判
の場に最初に準備されるのは王座だが、この王座は燃える炎ででき
ており、燃える火の車輪がついている。ここに神が着座する。

王座の前からは火の川が流れ出ており、また数多くの御使いたちが
侍っている。そして、裁き主である神が「巻物」を繰り広げる。こ
の「巻物」は人間の行為を記録するための《記録の書》だという。
こうして、神の審判が下されると、4番目の獣は殺されて、火の中
に投げ込まれ、ギリシアの世界帝国は滅びることになるのである。

最後の世界帝国が滅びた後、ユダヤ人のための「永遠の国」が樹立
されるわけだが、ダニエル書ではこれに先立って、「人の子」の来
臨があるとされている。この「人の子」によって、「永遠の国」が
樹立されるのである。この場面は次のように描かれている。

後のキリスト教の終末論では、終末に当たって死者たちが復活する
とされているが、死者が復活するという思想もすでにダニエル書に
登場している。この考えは、ダニエル書では第12章に語られている
。それによれば、長い苦難の歴史の後で最後の時が来ると、「多く
の者が地の塵の中の眠りから目覚める。」のだという。ここで「地
の塵」は「墓」や「冥府」のことだと解釈されている。天国や地獄
については明確に語られていないが、目覚めた者の中で、ある者は
永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となるとされ
ている。

『エゼキエル書』(エゼキエルしょ)は、旧約聖書の書物の一つ。
『イザヤ書』、『エレミヤ書』とともに、旧約聖書中の三大預言書
を構成する。48章からなる。

ユダヤの王国は滅亡した。このことは神がイスラエルを守ることが
できなかったから起こったのではなく、イスラエルを救うことがで
きたのにもかかわらず、神自身がイスラエルの中の邪悪に対し、そ
の当然の結果がもたらされることを選んだから起こったのだという
内容が記載されている。エゼキエル書には神の怒りと共に、悔い改
めて神に立ち帰る者には回復が与えられるという希望も書かれてい
る。


どちらにしても、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教には最後の日
が設定されている。

アジアの仏教にも、ヒンズー教にも最後の日は設定されていない。
インドのヒンズー教では循環する歴史であり、時間が循環している
ように書いてある。


ここにアジアと中東・欧米との違いが鮮明にある。アジアは永遠の
時であり、欧米は一直線の時で、いつかは終わる。



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