現代という芸術アラカワ From:tokumaru 皆様 現代という芸術アラカワ をお届けします いくつもの「沈黙」が現代を支配するとき 得丸久文 3月下旬にアメリカで戦略爆撃機B-29ボックスカーを見学したとき 、機体に「ソルトレイクシティーからナガサキへ」と書いてあった 。小倉じゃなくてはじめから長崎を狙っていたのかと気になって、 4月中旬、外海・浦上・長崎を旅してきた。まるで長崎の街に招かれ たように、好天に恵まれた二泊三日だった。 長崎への原爆投下の詳細は、どこにも記録がない。ボックスカー の機長だったスウィーニーが、スミソニアン博物館のエノラゲイ展 企画への反論として書いた「私は、ヒロシマ、ナガサキに原爆を投 下した」(2000年、原書房)があるにはあるが、原爆投下の前後の記 述が希薄なばかりか、中扉の著作権者は、弁護士のご主人と、マサ チューセッツ州知事だったデュカキスのスピーチライターだった奥 さんのアントヌッチ夫妻となっている。 それでいて本文はスウィーニーの一人称で書かれているから、著 作権者たちはいったいどんな著作(工作?)をしたのかと訝ってしまう 。史料価値として二段階落ちる。 この本によれば、B-29による原爆投下訓練はナガサキ型原爆の模 型を使って、1944年9月から投下直前まで続けられたが、高度9000m から目視で「地上に描かれた直径90mの円」に当てるものだった。 広島の目標は相生橋だったが、長崎では何が目標だったか書かれ ていない。爆心地が浦上天主堂の南側にあり、南から飛来したB-29 が投下した原爆は放物線を描きながら高度500mで爆発したことを考 慮すると、恐るべきことにアメリカが目標に使ったのは、十字架形 をした浦上天主堂であった可能性が高い。しかし、何故? 沈黙。 8月9日の朝、陸軍幹部と県知事は、浦上地区と山を挟んで反対側 にある立山防空壕の中にいた。陸軍も県知事も浦上に新型爆弾が落 ちることを知っていたようだ。長崎の人にとって、浦上は滅びても よい隣町だったのか。ここも沈黙。 浦上の切支丹たちも、沈黙。永井隆博士の寛容精神ゆえか、ある いはキリスト教国の大量破壊兵器がよりによって切支丹を狙ったこ とが恥ずかしくて口にできないためか、自分たちのせいで被ばくし たと非難されることを恐れているのか。 さまざまな沈黙がアメリカと長崎と浦上を支配しているとき、遠 藤周作は、江戸時代を舞台に「沈黙」を書いた。これは長崎への原 爆投下を問うための作品ではなかったか。