5344.日本から内倹の心を



NHKスペシャル「中国によみがえる“雪舟”」という番組で、現在、
中国では、日本の雪舟を評価し見直す動きが出ているという。

雪舟は、室町時代に活躍し、日本では「画聖」と呼ばれる水墨画の
巨人だ。その雪舟が、水墨画の本場・中国で注目されている。20
14年6月には、杭州で「雪舟シンポジウム」が開かれ、多くの研
究者や画家が、「これからの中国やアジアの美術が発展していく上
で非常に重要な存在」と、その真価を語り合った。

なぜ今、中国で雪舟なのか。雪舟は、1467年、48歳のとき、
遣明使の一員として中国に渡った。浙江省の寧波から北京まで、大
運河を往復する旅。各地で本場の水墨画を目にしながらさまざまな
筆法を学んだ。そして帰国後、中国で学んだ成果をもとにしながら
独自の画風を探求。「画聖」と称される傑作の数々を生み出してい
った。

この雪舟が学んだ絵が南宋の水墨画である。南宋までが漢民族の国
家であり、それ以後、元、明、清は異民族の支配が続いた。このた
め、日本も宋時代以降の文化に傾倒していない。

南宋滅亡で、南宋の僧侶や建築士、陶芸家などを日本に亡命させて
五山文化、禅の文化を日本は築く。南宋での禅の文化の心が、内倹
であり、きらびやかではなく、内心の落ち着いて、ゆったりした心
を体現したことをいうが、それをそのままに水墨画や書などに現れ
ているのが南宋文化である。

しかし、この内倹という心は南宋以後、中国では失われて、日本が
引き継いでいる。この内検を日本で発展させたのが、お茶などで体
現された「わび・さび」の美学である。

この南宋の水墨画の内倹の境地を正確に引き継いでいるのが、雪舟
というのである。

現在、中国は、文化大革命で古典を壊し、自国内には南宋文化の書
も画もない状態である。鎌倉の五山文化が南宋文化を移しているの
で、中国は、現在日本にある画や書に資金を出して取り戻すべく、
活動しているという。

中国に再度、日本から内倹の心を持ち帰りたいということのようで
ある。やっと、金の亡者では心を失うことを悟ったようであり、そ
の時、日本を見ると、昔の自分たちが持っていた内倹の心を引き継
いでいることを知ったようである。

やっと、日本の価値をわかってきたようである。それが、中国での
観光ブームにもなってもいるようだ。昔の漢民族の心を知るために。

というように、中国の南と日本の感覚は近いようである。これは古
代の揚子江の下流域にいた呉が日本に来たことから始まる日本と中
国の歴史的な関係まで遡ることになる。

さあ、どうなりますか?

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ある中国人ジャーナリストがブログサイト・新浪ブログで「元代以
降の日本による中国軽視」の原因を分析した。 

 隋・唐代の中国は日本の師であり、宋代の中国は日本が思いを馳
せる場所だった。しかし、続く元・明・清は大国であったにも か
かわらず、日本にとって敵となった。なぜだろう。中国に対する隣
国の態度の変化をみることで、中世以降のわが国が失った魅力、ひ
いては国際社会における地位の変化を知ることができる。 

 秦から隋・唐の時代まで、日本は中国を手本としていた。唐代に
日本の中国文化崇拝は頂点に達し、宋代までは我々の文化の吸収に
努めていた。しかし日中両国が交流を進める中、日本のエリートた
ちは、中国人が持つ時代遅れの観念、為政者の統治感覚の欠如に気
付く。 

 やがて南宋が元に滅ぼされる。漢民族がモンゴル民族に打ちのめ
され、日本は中国に対する見方を大きく変え始めた。日本の中に“
政治大国としての東洋のリーダー”であらんという意識が芽生え始
めたのだ。さらに、二度の元寇が失敗すると、日本は自信をさらに
強めることになった。「漢民族を滅ぼした蒙古を、日本人は打ち負
かしたのだ」と。 

 元代以降の中国に日本が敵対をはじめた理由には、こうした政治
的側面以外に、日本人の中国文化に対するコンプレックスも背景に
あると考えられる。宋代までの中国に対する日本人の憧れは強かっ
た。宋が元に滅ぼされ、日本人は考えた。異民族が統治した元朝以
降の中国に“本当の中国人”はいない、と。 

 17世紀以降、たびたび外敵の侵攻を許したわが国は弱体化する。
逆に明治維新を成功させた日本は、ついに“打倒中国”の準備を本
格化した。中国軽視は一層激しくなり、日本の指導者は「もはや中
国に希望はない」とまで考えるようになったのだ。 
2011年4月20日


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