村本治著「神の神経学−脳に宗教の起源を求めて−」が面白い。 脳神経科学の最新の知見は,種々の宗教的体験や活動が,脳内の神 経回路網の活動の結果生じることを明らかにしつつある。特に前頭 前野が倫理や道徳をつかさどり、この部分が神を感じる中枢のよう である。このため、ここに障害をきたすことが敬虔な信仰活動に致 命的な障害をもたらすようだ。 よって、「神の神経回路」が神経科学的にみても存在するという結 論で、神や仏、霊は私たちの脳のなかでつくり出された存在なのだ というのだ。 この内なる神OR仏は仏教では、当たり前であり、自分を仏にするこ とが仏教の教えである。キリスト教のような外なる神ではなく、内 なる仏の方が、神経回路的には、正しいようである。 目で視る機能は、「後頭葉」、声は「側頭葉」、思い出は「海馬」 、香りは「大脳辺縁系」であり、感情も「大脳辺縁系」である。 情報同士の判断は、「連合野」で行われる。統合的な判断を前頭前 野が行う。 側頭葉を介する特殊感覚(幻覚)や大脳辺縁系の情動と記憶、瞑想 や祈祷などの行動に伴う体験では、前頭葉を介する自己空間の抑制 が重要な働きを果たすようだ。 この回路の中で中心的働きを果たす前頭前野は、「良心の声」と「 内なる善」の源として、倫理の基礎となる重要な働きがあり、これ は「倫理中枢」と言ってもよい脳の部位であると考えられる。 このように大体、脳の構造がわかり始めたようである。 脳科学で、神の存在を解明することは、今後も発展することであろ うが、次の仏教には必要なことである。仏教と脳科学は、神話性が 高いようである。 科学の知見を仏教は取り込むことが重要なようである。