5248.「資本主義の終焉と歴史の危機」



水野和夫 著「資本主義の終焉と歴史の危機」
From: Kumon Kimiaki TOKUMARU
皆様、

非常に読みやすく、うまくまとまっている本だと思いました。
一昨年読んだ大沢真幸との対談よりも、明確に資本主義の終焉を理
論づけています。(レジュメを添付します。共通しているところと
、そうでないところがわかります)

「資本主義は死期が近づいている  なぜなら地球上のどこにも
フロンティアが残されていないから」(p3)ということを、著者は丁
寧に説明してくれています。

資本主義とは、中心が周辺を収奪するシステムであるから、常に収
奪される(搾取される)自然や金融市場や人間がたくさんいて、中
心に富を持ち込む必要がある。

派遣労働者を増やすことによって、日本の資本主義は生きのびてい
るが、もうそれも限界である。


だけど著者は「資本主義の先にあるシステムを明確に描く力は今の
私にはありません」といっています。(p188)
そこを示してくれないと、困るよねというのが、僕の一番の感想で
す。そこを考えるのがテーマになるでしょうか。

著者は、「中心⇔周辺」という構図を出しながら、新従属学派(周
辺理論)について一言も触れていません。

そこで「現代思想のキーワード」(別冊宝島、18、1980年)という
小坂修平・戸田徹・笠井潔が中心につくった用語辞典から、戸田が
書いた「低開発の発展」のページをお送りします。(3ページです)

水野さんの議論は、低開発の発展が貿易から金融に変わっただけと
いえるでしょう。

そして共通の問題が残る。それがエマニュエルの言葉「唯一の解決
は、生活と消費の型そのもの、豊かさの概念そのものの全地球的変
革にある」ではないでしょうか。(p45、2ページ目にあります)

これも参考にしながら、議論を深めていきたいと思います。
得丸公明
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(デジメ:大沢真幸との対談)
思想道場鷹揚の会 大澤真幸・水野和夫著『資本主義という謎』
2013 年 5 月 31 日近代文明論は資本主義論に集約される。次の新
しい文明をつくりだす時がきている。
 得丸公明
 私は 1986 年に語学研修でフランスにいたとき、お金というものが
悪いものではないかと考えた。そして、株式会社を保有する資本家
というものはどのような姿をしているのかと考えていたところ、法
人の会社を保有しているのは別の法人であり、どこまでいっても法
人の姿しか見えないことに愕然としたことがある。

 当時の日本は、系列の会社による株の「持ち合い」であったが、そ
れでもどこまで行っても人間の顔が見えてこない。我々はお金を使
っているつもりが実は逆にお金(資本)に使われている「資本主義の
魔法使いの弟子」(Apprenti sorcier du Capatalism)だと思い至っ
た。

 今回、はじめて資本主義というものをじっくりと考えて、その直感
は当たっていたかもしれないと思った。ロスチャイルドやユダヤの
陰謀ではなく、資本と言うお金の純粋論理形態がもつ悪魔性に、近
代以降の人類はとりつかれて、道を誤ったのではないか。
1. 本との出会い:6 月テキストの著者高瀬毅さんから 4 月 14 日
に熱く紹介された。読んでみると、社会学者と経済学者が熱く資本
主義を語り合っていて、3 度読み返しても足りないほど、論点やヒ
ントがちりばめられている。

p13 「問うこと、問い直すこと、問いそのものを置き換えていくこ
と」が「回答を出すこと」よりも重要だと大澤はいうが、問い続け
ることで自然と回答は見えてくるものだ。熟読熟思せよ。
2. 本書の意義・現在性:ローマクラブが「成長の限界」を唱えて 
40 年以上が経過したのに、マネタリストやネオコンの口車にのって
無自覚に成長路線を求めたことで、周期的バブルと世界規模の貧富
の格差拡大を生み出し、まもなく最終局面を迎えようとしている。
近代文明の失敗は、資本主義という悪魔的な思想・行動様式にある
ことを理解して発想を転換し、次の人類文明(人間の意識の成長、
「天命反転」)に進みなさい。

3. 資本主義とは何か:
1) 資本:お金の純粋論理表現。物理的には存在しない。お金がそも
そも物理的価値ではなく共同幻想的な交換価値を体現する便宜的・
論理的なものであるから、その純粋論理的な「資本」、「資本主義
」については、これまできちんと議論が行なわれてこなかった。形
而上的存在である資本を扱う形而上学(論理学)が存在していない。
P212:「貨幣に関する新しい理論が必要なのにない。」p213「今まで
は、あくまで国内経済が先にある。私の感じですと、まず最初に世
界経済がある。しかしその世界経済のフレームワーク自体を説明す
る手法が、まだ存在しない。」

2) 資本主義の特徴: 選民思想と暴力的略奪、強欲な資本の自己増殖論理
i) 近代以降に西洋で登場した人類史上、時期と地域が限定された行動様式
ii) 非対称。儲ける人と儲けない人がいる。「恩恵を享受できるの
は全人類ではなく、限られた割合の人たちだけ」「15%対 85%原理」
(p25)。相互性の欠如。ユダヤ教やキリスト教の選民思想の表れ。ウ
ェーバーも指摘?。
iii) 周辺=外部(収奪する場)・フロンティア(収奪の最前線)を常に
必要とする。
暴力的収奪を前提とする。資本主義の始期が地理上の発見と重なる
のもそのため。グローバル化によって世界がひとつになった現在は
、内部植民地化して自国民を収奪対象としている。(サブプライムロ
ーン、派遣社員)
iv) 強欲。リアルではないヴァーチャルな資本の自己増殖(=金利)を
認める。自らは収奪しておいて、人に貸すときには金利を取る。論
理的な金が物理的な果実を生むことが前提。この資本の論理そのも
の(つまり資本家の意図にかかわらず)が人間を不幸にしているので
はないか。

4. 第 1 章 なぜ資本主義は普遍化したのか?
1) 得丸は資本主義が普遍的であるということではないと考える。
2) 人間は動物の仲間である、人間を生命進化のなかに位置づけてと
らえる伝統的思考を忘れて、他者や自然から略奪して金儲けするこ
とを是とする欲に目のくらんだ人間が増え、世界に広まっただけ。
3) 大澤はアナロジーがうまいが、一方で安易なアナロジーや根拠な
き決めつけもある。
資本主義を「最後の選択肢」、前提、必要悪として肯定するが、こ
れは資本主義の本質(選民思想と暴力的略奪)を理解していないから
であろう。
4) デカルト革命(p53)は、どう資本主義に貢献したのか。「我思う
故に我あり」という幼稚で自己中心的な論理で、間違った論理に基
づいて強引に自己正当化する合理主義がデカルト精神ではないか。
デカルト自身、「方法序説」で「どんな利口な動物にも理性はなく
、最も愚かな人間や狂人は理性をもつ、なぜなら文法を使うからだ」
と述べている。明らかな間違い。文法は、理性の証明ではなく、母
音のもつ量子エネルギーで無意識に論理ベクトルの脊髄反射をひき
起こす論理スイッチ。文法を使うことで、ヒトはDNAの生得知を抑圧
し、脊髄反射の物理的運動性を犠牲にした。
ヒトは生涯学習を義務付けられたのに、学習しないから近代文明は
滅びたのだ。
5) 資本主義がヨーロッパで誕生したのも、ユダヤ=キリスト教の選
民思想(アフリカや南米の人間を殺戮しまくり、奴隷として売る)と
、誤った論理で自己を肯定する神学=デカルト主義のおかげ。プロテ
スタンティズムは、ユダヤ的強欲がカトリックの伝統・桎梏(利子へ
の憎悪)を解き放った思想運動、お金のカルト集団と考えてよいので
はないか。「キリスト教と資本主義は、ほとんど一体」(p78)
6) 「会社はだれのものか」(岩井克人 p69) かつて「イギリスと日
本」を書いた森嶋通夫が日本では会社は資本家のものではなく、企
業官僚の所有にあると論じた。日本的経営は、強欲な資本主義を日
本的風土のなかで手なづけた知恵だったのかも。
5. 21 世紀の利子率革命:投資機会がもはやない。
1) グローバル化して地球上からフロンティアが喪失した。自由に収
奪できるものが、地球上に残っていない。
2) 内部植民地へ 「リーマンショックと3・11は、グローバル経
済の浸透にともなって先進国の内部に「中心/周辺」の関係がつくり
出されていることを顕わにした」「原発では、東京(中心)と福島(周
辺)の非対称な関係性を、安全神話や無限のエネルギー、そして雇用
の再創出、交付金・補助金というイデオロギーが結びつけた。サブ
プライムローンも同様で、ウォール街(中心)と低所得層(周辺)を「今
すぐ中流階級になれる」というイデオロギーが結びつけた」(p87)
 私は、1994 年の南アの植民地収奪を隠蔽した民主化騒動のときに
、南アの植民地収奪を不問にすることは、世界をアパルトヘイト体
制に巻き込むことになると感じていたが、実際そうなってしまった
ようだ。
6. 第 2 章 国家と資本主義
1) 「資本主義の出発点では、絶対君主=資本家のようなものだと言
いました。しかし本質的には、資本主義にとって国家は不可欠では
なくて、都合のいいときにたまたま組んでいた」「今の局面で言え
ば、資本主義から見ると、国家はもう都合が悪い存在、足手まとい
」「資本が国境を容易に超えるときに、国家は邪魔者になる。逆に
、容易に国境を越えられない場合は、資本主義は国家を利用」p105
2) 資本は世界資本になっている。国家は土地から離れられない。P107
3) 統計も国家単位でしかない。(p105) 一時多国籍企業論あったが
、発展しなかった。
これは資本主義が自らの姿をさらさないため、研究を奨励しなかっ
たからか。
4) たしかに国家が資本を助けている部分はある。しかし資本は自由
に国境を越えていく。1995年以降、国際資本の完全移動性が実
現して、資本帝国と国家の関係は、圧倒的に前者が強くなった。
P112 ⇒ いったい 1995 年に何があったのか。
5) いちはやくバブルでつまずいた日本は、蒐集システムではないシ
ステムの構築に専念すべきp125-6 資本主義でないシステムを構築せ
よ
6) 中国は日本以上に「過剰・飽満・過多」に向かっている。内需だ
けではとても吸収できない過剰資本に陥る。P127 近代社会の幕引き
は、中国。P128 新しいものはまだ生まれてない p138
7. 第 3 章 長い 21 世紀と不可能性の時代
1) 長い 16 世紀と長い 21 世紀の対比は興味深い。P143 の表。こ
れからカオスが来る。
2) 出版資本主義が、プロテスタントを勝者に導いた。P161 これが
資本主義を世界展開するときの支えとなった。
3) 日本のカタカナは、漢字文献を読むための補助ツールとして生ま
れ、ひらがなは、和紙に墨と筆で手紙や和歌を送るために生まれた。
日本の出版は、宗教的目的よりも、和歌や俳句や小説や日記など庶
民の教養のために発展した。詩心を伝達する手段として文字や出版
が繁栄した日本文化は世界に誇るべき。
4) p168 土地の所有権は、アメリカの自由の根幹。しかし黒人奴隷
という大きな原罪をもつ。
5) p172 中国の繁栄の先には世界デフレが もうまもなくやってくる
6) p178 失われた 20 年、ドンキホーテの世界だった:「蒐集」の時
代は終わりつつあるのに、近代価値観に拘泥した「成長戦略」という
竹槍で、ポスト「蒐集」の時代に立ち向かおうとしているのが今の日本。
7) 時代区分 1945-1970 理想の時代, 1970-1995 虚構の時代 1995- 
不可能性の時代「長い 21 世紀」は虚構の時代とともに始まる。1973 
年石油危機、1975 年サイゴン陥落=虚構の時代:お前はもうすでに
死んでいるのに、それに気づいていない
8) 赤坂真理「東京プリズン」p188 80 年代こそ夢や幻で、90 年代
のほうがリアルではないか。地に足のついていなかったのが虚構の
時代
9) 利子率革命、利子のない時代は、資本主義的に動きたくても動け
ない p189 地球規模でのフロンティアの喪失
10) p192 近代社会で、宗教の代わりに全体の土俵の機能を果たして
いたのは、経済。
つまり資本主義の強欲経済が行動様式を規定した。
11) p196 経済成長の時代は終わった。「成長しないシステム」とは。
12) そうではなくて、何を成長させるかを考えるべきではないか。
人間性を成長させる。
江戸期の日本は、牛馬の使用を抑制して手植えにした。江戸期に答
えがあるかも

8. 第 4 章 成長なき資本主義は可能か?
1) 「資本主義に未来はあるのか。あるとしていかなる未来なのか。
」p200 この問いかけは無意味。無理に決まっている。成長=略奪・
収奪であるから。むしろ、資本主義に代わる未来は、どうすれば構
築できるのかと問いを変えるべき。
2) 反グローバリゼーションも、中途半端。資本主義を超えていない。
3) 貨幣数量説は、国際資本の完全移動によって破綻している。
212:貨幣に関する新しい理論が必要なのにない。お金が国境を越え
るという事態が想定されていない。
213 近代経済学は一国単位の経済学だった。貨幣が貨幣を生む自己
増殖過程に入ると、貨幣の量なんてまったく把握できない。株式交
換で企業買収ができるようになると、どこまでを貨幣とするかの定
義もできていない。今までは、あくまで国内経済が先にある。
私の感じですと、まず最初に世界経済がある。しかしその世界経済
のフレームワーク自体を説明する手法が、まだ存在しない。
4) 失われた 20 年は、日本固有の現象ではない。p215 世界規模の現象
5) 大澤「資本主義は最悪だが、それよりよいシステムはない」p230 
というのは安易では。人を惑わす。資本主義ではない、別の魅力的
なシステムを考えるべき。
6) 大澤の間違いは、p237「科学は真理の集合ではない。仮説の集合
」「科学に最終的な真理はなかった」 科学において目にみえない真
理(量子力学)を正しく意識に構築する手法が必要。公理的手法と量
子力学。
9. 第 5 章 「未来の他者」との幸福論
1) 悲惨な現状:資本に必要とされない人は、物理的にも精神的にも
貧困となる p248
2) 景気回復は株主のためであっても、雇用者のためではない p251
3) 時価会計、連結会計、税効果会計を導入して未来の富を先取り p272
4) 今のシステムには未来がない。P276
5) 『桐島、部活やめるってよ』の示唆するもの。閉塞感、勝ち組と
負け組の自覚、「桐島が俺たちの代わりに救済されている」という
感覚、
6) 桐島の不在をどう受け止めて、これから生きていけばよいのか。
10. (終わりに) これからどのような文明を構築するか
1) 本書は資本主義のシステムに未来がないこと、救済の慰めとなる
桐島すらいないことを述べて、そこで終わっている。
2) 次の文明をどう築くのか、何に手本を求めるのか、示していない。
3) 江戸期の日本は世界の手本になる。しかしそれは、日本という高
度に詩歌や小説などの文芸と、剣術など身体技法が発達した国だか
らできたこと。簡単ではない。
4) 荒川修作の天命反転は、ヒトの意識構築のメカニズムを解明し、
どうすれば効率よく、思い通りの意識を獲得できるかを示した。こ
れもヒントあるいは答えになる。
まず自ら実践してみるとよい。
5) 資本の恐ろしさは、資本家の意図に関係なく、資本の論理が人間
の行動様式を支配して、差別と収奪を拡大して滅びに向うところに
ある。麻薬のような宗教。それを自覚して、資本主義を否定して、
次の文明を考える必要がある。
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