5238.日本衰退で何が起きる



正月は、多くの人の予測や思いが聞けるので、面白い。しかし、多
くの知識人が、日本衰退を予測しているのが気になる。山本一郎氏
も、日本の衰退と、その過程で起きるだろう諸現象を、どう私たち
日本人が受け止めていけばよいのかです。と述べて衰退が事実であ
り、それを前提に、何を守るべきかという視点で、論評をしている。

本来であれば日本の経済効率を引き上げ、競争力を高めて貴重な経
常収支を稼いでくれるはずの成長戦略が実を結んでいるようには見
えないからです。幸いにして、昨今の原油価格という意味では歴史
的な安値圏に入ってくれて、一連の円安を埋め合わせる格好でエネ
ルギー関連収支は奇跡的に一服している状態です。これは本当に天
佑と言って良い。

ただ、この次の世代を担う日本の新しい産業や、行政のあり方とい
ったものはまだはっきり見えてきておらず、バイオ、創薬、ソフト
ウェアといった各種産業も海外で頑張っているもののまだまだ既存
産業の落ち込みをカバーできるほどの内容ではありません。 

と日本の問題点を明らかにして、財政の方は、財務規律の問題と併
せて社会保障の改革については待ったなしで進めるべきという立場
であるが、その先にあるのは日本人の生活であります。医療費が大
変だから削ろう、と考えたところで、その割を食うのは病気をされ
て通院されている方や、高齢者、そしてそれを支える家族です。そ
こに、国庫の金が尽きそうだからといって「社会保障費を減額しま
す」と突きつけたときに訪れるのは貧困であり医療の打ち切りであ
って、それは死以外の何者でもありません。

ここまでは良いが、将来の日本が目指す目標が明確ではなく、日本
人の意思がどうであるかという点を見ていない。投資家のサガで、
欧米的な感覚で、全ての事象を数値化して考えるというが、それで
は見えない。

日本が目指す方向は、日本人の多くが自分の意識や無意識のうちに
感じる日本人の深層意識からの方向である。自然を大切にする心か
ら出る心情であり、このベースの上に、論理化、数値化して方向を
探るしかない。

日本人は、江戸時代以前には、この深層心理を自覚化する手段を持
っていたが、江戸時代に僧侶を保護したことで仏教思想が衰退して
、葬式仏教になったことで、その仏教思想が堕落してしまった。

宗教としてではなくても、自分の深層心理を自分で感じる手段を手
にいれる必要がありそうだと、新年のいろいろな人が、日本衰退が
確実と予測していることをみると、日本人に対して、神からの試練
であるとの思いが出る。日本人に反省を求めているようだ。

深層心理を自覚するためには、瞑想+気功で行うしかない。この手
段を仏教は確立してきた。それを捨てたことで、人間の欲を良いこ
ととする欧米文明に毒されて、日本人は自分の深層心理が見えなく
なってしまったようである。

さあ、どうなりますか?

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【寄稿】日本衰退の抱き締め方 - 山本一郎
BLOGOS編集部2015年01月01日 07:52
 山本一郎です。今年も新たな一年ということで、いろんな取り組
みに没頭していきたいと強く思う毎日でありますが、皆様はどんな
新年を迎えられたでしょうか。 
 本稿のテーマは、日本の衰退と、その過程で起きるだろう諸現象
を、どう私たち日本人が受け止めていけばよいのかです。去年12月
の選挙では、国民のおおむね6割強がアベノミクスに対して満足、
または概ね満足という立場を取り、選挙ではあまり大きな争点にな
りませんでした。投資を生業とします私としても、アベノミクスの
恩恵を蒙った側であり、あくまで個人としては良かったなあとは思
います。 
 でも、国民全体の利害からしますと、アベノミクスの先行きは決
して明るくないことは明確です。というのも、本来であれば日本の
経済効率を引き上げ、競争力を高めて貴重な経常収支を稼いでくれ
るはずの成長戦略が実を結んでいるようには見えないからです。幸
いにして、昨今の原油価格という意味では歴史的な安値圏に入って
くれて、一連の円安を埋め合わせる格好でエネルギー関連収支は奇
跡的に一服している状態です。これは本当に天佑と言って良い。た
だ、この次の世代を担う日本の新しい産業や、行政のあり方といっ
たものはまだはっきり見えてきておらず、バイオ、創薬、ソフトウ
ェアといった各種産業も海外で頑張っているもののまだまだ既存産
業の落ち込みをカバーできるほどの内容ではありません。 
 日本貿易会は、2015年の貿易見通しを発表しました。良くも悪く
も円安に助けられる分野はある一方で、円安の進行は貿易赤字を促
進させる可能性を否定できません。 
2015年度わが国貿易収支、経常収支の見通しについて 
・http://www.jftc.or.jp/research/statistics/mitoshi_pdfs/2015_outlook.pdf
 逆に、経常収支の推移については、各種データから見ても分かる
とおり、好調な所得収支に引っ張られて14年10月で8,334億円の黒字
、14年累計で2兆9,000億円あまりの経常黒字となりました。 
国際収支状況
http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/
【図解・経済】経常収支の推移(最新)
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_bop-balance
今年度上半期の経常収支は2兆0239億円の黒字=財務省
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKCN0IV00320141111
 短期的に見れば、アベノミクスの効果というよりは、日本企業な
ど民間の頑張りもあって、円安を背景に経常収支を好転させている
と考えることはできます。ネットでは、たまに「ドルベースで見る
とアベノミクスで日本経済はますます衰退している」という珍説も
散見されますが、その一方ですでに日本国債発行の担保で入ってい
るはずの米国債を売るべきという不思議な議論とセットになってい
ますので、あまり大騒ぎしなくて良いのではないかと思います。 
 むしろ、問題とするべきは日本社会が抱えてしまった負債と、こ
の後支出するであろう社会保障費の増大こそに懸念があるのであっ
て、いまでこそ世界的なクレジット余り、過剰流動性でどうにか成
り立っているものが、いったん逆回転を始めると大変なクラッシュ
を起こしてしまうのではないかと懸念するのであります。
 というのも、現状でのわが国の社会保障費は106兆円、うち国庫負
担分が42兆円あまりであり、今後、2025年から2030年に向かってわ
が国最大の人口ボリュームゾーンである団塊の世代が続々と後期高
齢者に入ってまいりますと、年間国庫負担が1兆円ずつ増加していく
という大変しんどい局面に入ります。 
 当然、財務省や厚労省以下、事務方は問題の発生についてはすで
に十分すぎるほどの理解をしており、財務規律の問題と併せて社会
保障の改革については待ったなしで進めるべきという立場でおりま
す。平成25年(2013年)の社会保障関連予算をまとめたサマリーが
財務省に揚がっているのですが、これがまたお先真っ暗と申します
か、借金漬けで首が回らない家庭のような内容になっていて恐ろし
いわけです。 
平成25年度社会保障関係予算のポイント
https://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2013/seifuan25/06-5.pdf 
 しかも、削減しなければならない予算だと卓上で計算できたとし
ても、その先にあるのは日本人の生活であります。医療費が大変だ
から削ろう、と考えたところで、その割を食うのは病気をされて通
院されている方や、高齢者、そしてそれを支える家族です。そこに
、国庫の金が尽きそうだからといって「社会保障費を減額します」
と突きつけたときに訪れるのは貧困であり医療の打ち切りであって
、それは死以外の何者でもありません。 
 私がこの点で問題意識を持つのは、やはり旧ソ連のペレストロイ
カで体制が崩壊したとき、ゴルバチョフ元大統領が市場経済への移
行を断行する中で行った社会保障費の打ち切り、切捨てです。文字
通り経済の混乱と年金支給の打ち切り、またソ連時代は医療が無償
だったのを半額自己負担とした医療改革を行った結果、それまで63
歳前後あったロシア人男性の平均寿命がわずか3年で57歳と6年近く
急落するわけです(ロシア人女性も74歳から71歳に下落)。 
ロシア人の平均寿命
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8985.html 
 社会保障制度の崩壊は、社会の自壊、すなわち弱者へのしわ寄せ
による国民の大量死に繋がるということです。そして、ソフトラン
ディングが可能なのかどうかは、これらの高齢者を社会がいかに受
け止めるか、労働人口を拡大するために少子化に歯止めをかけるの
か、アベノミクスでも何でもいいから経済効率を引き上げ成長戦略
をどのように軌道に乗せるのかを、かなり真剣に考える必要があり
ます。ライフワークバランスとか言ってる場合じゃないぐらい、わ
が国の社会保障は危機的な状態に瀕しており、同様に、人口をどう
社会が保つのか、子供たちに教育を施すのかといった、社会全体の
お金の使い方をもう一度しっかりと見直さなければならない局面に
入っているのだと言えましょう。 
 しかしながら、今回の国政選挙においてはアベノミクスの信認に
ついてや、100万人増えたとされる非正規雇用の是非についてが主た
る争点となり、国民の関心事もその上位になぜか「この選挙に大義
名分はあるのか」といった、政策吟味や争点とはとてもいえない内
容ばかりが並ぶことになりました。そもそも非正規雇用の増大とい
っても、正社員雇用自体も増えており、また増えた非正規雇用は65
歳で定年を迎えた団塊の世代の再雇用が40万人強いる計算になるた
め、全体の雇用としては増えて、とりあえずアベノミクスで景気は
拡大していて良かったね以上の結論は見当たらないのです。それを
、民主党が選挙にあたって「夢は正社員」などとピントの狂った広
告を打ってしまい、国民としては争点がぼやけてしまったのは政治
家たちは強く反省するべきだと思うわけです。 
学歴・業種別などの若年労働者の変化をグラフ化してみる
(2009年→2013年)(2014年)(最新)
http://www.garbagenews.net/archives/2198595.html
世代別に正規・非正規就業者数の詳細な推移を確認してみる
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fuwaraizo/20141203-00041175/
 まだ団塊の世代が元気に働けているうちに社会保障の改革を推し
進めて、私たちは次の世代に日本社会を良い形で引き渡さなければ
なりません。「地方消滅」の議論までは良かったのに、生き返る可
能性の乏しい地方経済に対して貴重な資金を地方創生と称して再び
ばら撒くことがわが国にとって本当に良い政策なのかどうかも含め
て、しっかりと考えていく必要はあろうかと思います。 
 いま必要なことは、しっかりとしたデータに基づいて政策を吟味
することと、将来はこのような形でナショナルアイディアを作り上
げていくのだというビジョンを掲げることだと考えます。 
 為替や貿易、産業といった不確実な経済の良し悪しを考慮するこ
とも大事ですが、それを支える日本人の人生や健康、家族といった
「暮らし」そのものに必ず起きる問題を、もう一度見直すタイミン
グが今年は来るといいなと願っております。
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【寄稿】「宗教の未来を予測する必要に迫られている」 - 島田裕巳
BLOGOS編集部2015年01月01日 07:48
 正月の三箇日、多くの日本人が初詣に出掛ける。その数は、全国
で8000万人とも言われ、全国トップの明治神宮には320万人
程度の人が初詣に訪れる。ほかにも、全国には、200万人から
300万人の初詣客が訪れる神社仏閣がいくつもある。
 私たち日本人は、初詣をたんなる「しきたり」としてとらえてい
るが、神社仏閣は「宗教施設」にほかならない。
 しかも、初詣に出掛けた私たちは。たんに神社仏閣の建物を見て
くるわけではない。本堂や拝殿の前に立って、拍手を打つなり、合
掌し、祈りを捧げる。それは、まぎれもなく「宗教行為」である。
 もちろん、私たちの多くは、自分が神道の信者であるとも考えて
いないし、仏教の信者であるとも思っていない。けれども、外側か
らとらえれば、たとえば外国人の目からすれば、日本人は随分と信
仰に熱心な国民に見えてくるはずだ。
 世界中には、さまざまな宗教施設があり、そこは「聖地」と呼ば
れる。イスラム教なら、メッカが聖地で、キリスト教のカトリック
なら、バチカンやフランスのルルドの泉などがそれに当たる。メキ
シコのグアダルーペも、黒いマリアを祀る南米最大の聖地である。
 イスラム教の巡礼月には、世界中から巡礼者がメッカに集まるが
、その数はおよそ250万人である。年間でも、メッカへの巡礼者
は500万人程度である。メッカがあるサウジアラビアの政府は巡
礼者の数を制限しており、それがなければ、もっと多くの人間がメ
ッカを訪れるはずである。
 そうしたことはあるものの、250万人という数は、明治神宮の
初詣客の数に及ばない。もちろん、メッカには世界中からイスラム
教徒が集まるのであり、単純には比較できないが、200万人を超
える初詣客を迎える神社仏閣がいくつもある日本の現状は世界的に
注目されるものである。
 外国人も多く訪れる浅草の浅草寺ともなれば、年間の参拝者の数
は3000万人とも言われる。成田山新勝寺でも1000万人を超
えると言われる。そして、日本人は、観光旅行の際にも、奈良や京
都をはじめ、各地の神社仏閣を熱心に訪れている。
 世界の宗教状況を見回してみると、日本の特徴が見えてくる。
 まず、ヨーロッパでは、キリスト教の退潮が著しい。日曜日に教
会に行く信者の数は激減し、イギリスだと全体の10パーセント以
下にまでなっている。
 ほかのヨーロッパ諸国でも同じで、教会税があるドイツや北欧の
国々では、税を嫌って教会を離れる人間が急増している。
 そのため、各地には信者がいなくなったために運営ができなくな
った教会が続々と生まれている。そうした廃教会は、住宅に転売さ
れたり、空間が広くとれるので、サーカスの練習場として売却され
ている。
 意外に多いのが、イスラム教のモスクに転売される教会で、それ
こそ「居抜き」で売られている。
 しかも、ヨーロッパ諸国では、イスラム圏からの移民が増え、イ
スラム教徒が増えている。スペインなどでは、イベリア半島全体が
ふたたびイスラム教徒によって征服されるのではないかという声さ
え起こっている。
 その一方で、経済発展が続く国ではどこでも、「福音派」と呼ば
れるプロテスタントの宗派が伸びている。この福音派は、簡単に言
ってしまえば、日本の新宗教にあたるもので、病気治しを行ったり
、派手なパフォーマンスをくり広げたりして、それで信者を集めて
いる。
 それはとくに、BRICSと呼ばれる諸国で顕著に見られること
で、中国でも、この福音派が増え、キリスト教徒全体の割合は人口
の10パーセント程度にふくらんでいるとも言われる。
 ブラジルは、カトリックの牙城で、これまで圧倒的多数をカトリ
ックの信者が占めてきたが、現在では、プロテスタントの福音派に
改宗する人間が増えている。バチカンはそれに強い危機感を抱き、
その対策に乗り出しているが、効果は必ずしも上がっていない。
 戦後、日本で新宗教の信者が増えたのも、経済発展によって急速
な都市化が進み、そうした宗教が、地方から都市に出てきたばかり
の人間たちを救うネットワークを提供したからだが、BRICS諸
国では同じような事態が進行しているわけである。
 中国も、気功集団の法輪功が勢力を拡大したときには、徹底的に
弾圧したものの、キリスト教に対しては、それができなくなってい
る。経済格差が拡大し、宗教に救いを求める人々を無視できなくな
ったからだ。
 BRICSには含まれないが、韓国ではすでにキリスト教徒の割
合が30パーセントを超えている。韓国で流行しているのも、やは
り福音派のキリスト教である。
 日本では、キリスト教は16世紀と19世紀の2度にわたって入
ってきた。とくにキリスト教は学校経営に力を入れ、多くのミッシ
ョン・スクールができたものの、そうした学校に通っても、多くの
日本人はキリスト教徒にはならない。
 したがって、キリスト教徒の割合が人口の1パーセントを超える
ことさえなく、現在では、カトリックでも、プロテスタントでも、
信者の高齢化が進み、勢力は確実に衰えている。
 以前は、キリスト教の信仰をもつ知識人や作家が活躍したが、今
はほとんどいなくなった。目立つのは曾野綾子氏くらいではないだ
ろうか。
 戦後拡大した新宗教も、最近では、同じように信者の高齢化が進
み、活動が停滞している。かつては甲子園の常連だったPL学園の
野球部が、監督さえ決まらない状態になっているのも、その背景に
は教団の急速な衰退がある。開祖の命日に行われる花火大会も、上
がる花火の数が激減している。
 既成仏教教団も、信者が訪れなくなり、衰退しつつある有名寺院
が少なくないとも言われる。そうした寺院のなかには、関連する新
宗教の教団にすっかり依存するようになっているとも言われる。
 その点では、日本でもヨーロッパと同様に、宗教の力が衰えてい
く「世俗化」が進行しているとも言えるが、2013年の伊勢遷宮
の際に、多くの人間が伊勢神宮を訪れたように、宗教に対する関心
そのものは衰えていない。
 ただ、日常的に宗教活動を実践する人間の数は減っているし、何
より、地域において住民と宗教とのかかわりはかなり弱体化、希薄
化している。
 地方では、維持が難しくなった神社が年間数百の単位で他の神社
に合祀され、檀家が減少したことで、経営が難しくなった寺院も次
々と生まれている。
 仏教の場合には、とくに葬式における仏教離れ、あるいは、檀家
離れが進んでいる。
 これまで、日本人が葬儀を行う際に、仏教式の葬儀を選択するこ
とが多かった。それは、寺院墓地に墓があり、その寺と壇家関係を
結んでいる家が多かったからで、たとえ檀家になっていなくても、
それまでの慣習で仏教式を選択する傾向が強かった。
 ところが、近年では、火葬場に直行し、荼毘に伏すだけで終わり
にしてしまう「直葬」が増えている。直葬の場合には、火葬場に僧
侶を呼ぶことはほとんどない。したがって、直葬は自ずと無宗教式
の葬儀になり、仏教とのかかわりはない。首都圏ではすでに、直葬
が葬儀全体の4分の1を占めるまでになっている。
 直葬ではなくても、葬儀の規模は大幅に縮小しており、「家族葬
」が一般化した。身内だけ、あるいは参列者が少ない葬儀が増えて
いるわけだが、そこには、企業が葬儀とのかかわりを失ってきたこ
とも大きく影響している。
 これまでは、社員やその関係者が亡くなった場合、同僚が受付や
案内を行い、仕事上の関係だけで参列する人間も多かった。戦後の
企業は、村にあった「葬式組」の役割を担ってきたのだが、近年で
は、企業と社員との関係が変わり、葬儀にかかわらなくなった。そ
れによって、参列者の数が激減する事態を生んでいる。
 このように、世界でも、そして日本でも、宗教をめぐる状況は大
きく変わっている。経済や政治にかんしては、さまざまな形で報道
され、議論にもなっていくが、宗教については報道も断片的で、メ
ディアでも議論になることは少ない。
 そのため、ほとんどの人たちは、ここまで述べてきたような事態
が進行していることに気づいてさえいないが、21世紀になってか
らの世界の宗教状況は激変しており、日本もその例外ではないので
ある。
 しかも、「イスラム国」に見られるような、イスラム教原理主義
過激派の台頭は、テロリズムや戦争といった暴力的な事態を生み、
世界の平和に対する脅威にもなっている。
 それは、必ずしもイスラム教の教えが生んだものではなく、その
地域の政治情勢が生み出したものである。ほとんどのイスラム教徒
は穏健派であり、過激な行動に出るわけではない。
 おそらく、イスラム圏において経済発展が続けば、過激派も力を
失っていくであろうが、地域によってはその見通しが立っていない
ところもある。
 日本でも、今から20年前の1995年には、「オウム真理教事
件」が起こった。オウム真理教は、民間の宗教団体であるにもかか
わらず、猛毒のサリンを製造し、それを実際に使って、無差別テロ
を敢行した。
 1995年に、オウムに対する取り締まりが行われ、教祖や幹部
、信者が大量に逮捕された時点では、やがてこの教団は消滅してい
くであろうと思われた。ところが、現実には、後継教団が存続し、
近年では信者を増やし、財政基盤を確立しているとも言われる。
 かつてのように、爆発的に伸びているわけではないものの、これ
は、日本の社会に、そうした閉鎖的な宗教集団への関心をもつ人間
が消えていないことを意味する。
 そこには、豊かさを実現したものの、さまざまな点で閉塞状況を
生んでいる日本社会の現状が関係している。
 いったいこれから日本の宗教はどのような方向にむかっていくの
か。私たちは、世界の動向を踏まえ、その未来を予測する必要に迫
られているのではないだろうか。


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