5237.少しでも豊かな後退戦



下記にある内田樹氏の「撤退戦」に一部共感するところがあるが、
しかし、この意味するところが私の感じと違っている。

西洋文明的には、私たちは長期にわたる後退戦を戦うことになると
いうのは正しいが、日本の精神文化を作るために、一時撤退的なこ
とになるだけと見ている。

滅びを加速しようとしている人たちがこの国の「エリート」であり
、その人たちの導きによってとにかく「何かが大きく変わるかもし
れない」と期待して、あまり気のない喝采を送っている人たちがこ
の国の「大衆」である。
上から下までが、あるものは意識的に、あるものは無意識的に、あ
るものは積極的に、あるものは勢いに負けて、「滅びる」ことを願
っている。

というが、これは西洋的な感覚でエリートたちは頑張るので、そう
なる。大衆も次の文明が見えないので、無意識的に追従している。

エリート官僚や自民党の旧来の政治家たちは、円安を大きくして、
海外からの輸入食料や石油などが高くすることが経済を発展するこ
とと言うが、あまりにもおかしい。

このため、円安により日本は自給自足的な経済になるしかない。農
林業や漁業などが再度、大きな経済上の位置を占めてくるはずであ
る。この準備を徐々に本格的に行い始めるのが、2015年からで
ある。

再生可能エネルギーがやっと実用的なエネルギーになるのも、今年
からである。サウジが石油価格を下げてきたのは、シェールオイル
潰しもあるが、もう1つが、再生可能エネルギー潰しでもあるが、
日本人は、もう元には戻らない。2011年3月11日の大震災で
そう決意をしたのだ。原発にも頼らない。そうなると、自然エネル
ギーと稙生の力しかない。

という意味では、国破れて山河あり。である。
私が「山河」というときには指しているのは海洋や土壌や大気や森
林や河川のような自然環境のことだけではない。
日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、
さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運
転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも
含まれる。

そのとおりである。西洋文明から離脱して、日本の文化・文明が一
層進化することである。

その進化するためには、実を言うと仏教・神道の再興が必要なので
ある。これと論語が必要になる。この3つは、日本を作った深層文
化である。特に仏教の寺院は既に成り立たなくなっている。葬式仏
教だからであるが、本当に意味での仏教文化を日本で再興しないと
精神文化がまだ、十分でない。このため、西洋文化が入ったが、こ
れは人間の欲を最高とした文化であり、この文化を日本は捨てるこ
とになると、その代わりの文化が必要になる。

統治機構や経済界の要路にも「目先の権力や威信や財貨よりも百年
先の『民の安寧』」を優先的に配慮しなければならないと考えてい
る人が少しはいるだろう。この人たちを中心に新しい日本の形を示
すことが必要と感じている。

さあ、どうなりますか?

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2015年の年頭予言
内田樹2015年01月01日 10:22BLOGOS
あけましておめでとうございます。
年末には「十大ニュース」、年頭には「今年の予測」をすることに
している(ような気がする)。ときどき忘れているかもしれないが
、今年はやります。
今年の日本はどうなるのか。
「いいこと」はたぶん何も起こらない。
「悪いこと」はたくさん起こる。
だから、私たちが願うべきは、「悪いこと」がもたらす災禍を最少
化することである。
平田オリザさんから大晦日に届いたメールにこう書いてあった。
「私は大学の卒業生たちには、『日本は滅びつつあるが、今回の滅
びに関しては、できる限り他国に迷惑をかけずに滅んで欲しい』と
毎年伝えています。来年一年が、少しでも豊かな後退戦になるよう
に祈るばかりです。」
これから私たちが長期にわたる後退戦を戦うことになるという見通
しを私は平田さんはじめ多くの友人たちと共有している。
私たちの国はいま「滅びる」方向に向かっている。
国が滅びることまでは望んでいないが、国民資源を個人資産に付け
替えることに夢中な人たちが国政の決定機構に蟠踞している以上、
彼らがこのまま国を支配し続ける以上、この先わが国が「栄える」
可能性はない。
多くの国民がそれを拱手傍観しているのは、彼らもまた無意識のう
ちに「こんな国、一度滅びてしまえばいい」と思っているからであ
る。
私はどちらに対しても同意しない。
国破れて山河あり。
統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落し
ようと、天変地異やパンデミックに襲われようと、「国破れて」も
、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。
私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ること
である。
私が「山河」というときには指しているのは海洋や土壌や大気や森
林や河川のような自然環境のことだけではない。
日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、
さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運
転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも
含まれる。
日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」
ことまで含めて、私たち日本人の身体のうちに内面化した文化資源
と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。
外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生
き延びることができる。
山河が失われれば、統治システムや経済システムだけが瓦礫の中に
存続しても、そんなものには何の意味もない。
今私たちの国は滅びのプロセスをしだいに加速しながら転がり落ち
ている。
滅びを加速しようとしている人たちがこの国の「エリート」であり
、その人たちの導きによってとにかく「何かが大きく変わるかもし
れない」と期待して、あまり気のない喝采を送っている人たちがこ
の国の「大衆」である。
上から下までが、あるものは意識的に、あるものは無意識的に、あ
るものは積極的に、あるものは勢いに負けて、「滅びる」ことを願
っている。
そうである以上、蟷螂の斧を以てはこの趨勢は止められない。
自分の手元にあって「守れる限りの山河」を守る。
それがこれからの「後退戦」で私たちがまずしなければならないこ
とである。
それが「できることのすべて」だとは思わない。
統治機構や経済界の要路にも「目先の権力や威信や財貨よりも百年
先の『民の安寧』」を優先的に配慮しなければならないと考えてい
る人が少しはいるだろう。
彼らがつよい危機感をもって動いてくれれば、この「後退戦」を別
の流れに転轍を切り替えることはあるいは可能かも知れない。
けれども、今の日本のプロモーションシステムは「イエスマンしか
出世できない」仕組みになっているから、現在の統治機構やビジネ
スのトップに「長期にわたる後退戦を戦う覚悟」のある人間が残っ
ている可能性は限りなくゼロに近い。
だから、期待しない方がいい。
とりあえず私は期待しない。
この後退戦に「起死回生」や「捲土重来」の秘策はない。
私たちにできるとりあえず最良のことは、「滅びる速度」を緩和さ
せることだけである。
多くの人たちは「加速」を望んでいる。
それが「いいこと」なのか「悪いこと」なのかはどうでもいいのだ
。早く今のプロセスの最終結果を見たいのである。
その結果を見て、「ダメ」だとわかったら、「リセット」してまた
「リプレイ」できると思っているのである。
でも、今のような調子ではリセットも、リプレイもできないだろう。
リプレイのためには、その上に立つべき「足場」が要る。
その足場のことを私は「山河」と呼んでいるのである。
せめて、「ゲームオーバー」の後にも、「リプレイ」できるだけの
ものを残しておきたい。
それが今年の願いである。



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