5214.教養とは何か



教養とは何か
From: Kumon Kimiaki TOKUMARU

最近、大学で教養課程が無駄だからなくなりつつあって、残ってい
るのは東大・駒場くらいだと聞いた。

教養人、教養主義、教養(cultivation)ということが、話題になるこ
とも減っている。

大変にさびしいことであり、危険なことだ。

教養とは、本を読むことである。いや単なる読書ではない。

正確にいえば、本に書いてある文字情報から、実体験しなくては得
られない知恵を、実体験なしで獲得すること。

これが教養の意義であり、意味であろう。

フクシマ原発事故後の世界では、教養が問われている。

放射能のことを恐れない人たちは、教養が足りないと言われてもし
かたないだろう。

子供を守るために西に移住した母の愛は教養を高める原動力であり、
ノンフィクション文学は貴重な教養の情報源である。
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まじめ読書案内ローラン・ビネ著、高橋啓訳 『HHhH プラハ、1942 年』
From: tokumaru

命よりも大切なもの、人間の尊厳への散文的接近
きまじめ読書案内 ローラン・ビネ著『HHhH プラハ, 1942年』(東
京創元社, 2013, 2600円)

1.	従来の歴史小説のフィクション性を拒絶する
 これまで歴史小説はすべて小説家の創作(フィクション)だった。
小説家は、歴史的事件に関する史料を集め、時には事件が起きた舞
台を歩いて、ある程度の準備を行った後は、腕をふるって自分なり
の味付けをして小説へと仕上げていく。だから巻末に参考資料の紹
介はあるものの、どの史料をどのように評価してこの言語記述が生
まれたという説明は行われない。
 そのため、著者が書く文章中の、登場人物の性格、事実関係、発
言や振る舞いのどれひとつにも真実性は保証されていない。実在し
ない人物や場面も多々あった。

 著者のビネはそれを「フィクションが<歴史>に勝っている」とい
う。そして「そんなふうに解決してしまうことに、僕は抵抗をおぼ
える」と。これは孔子の教え、「述べて作らず」(論語)にもかなっ
ている。
 では、著者はどのように解決しようというのか。21世紀は、イン
ターネット検索が一次資料へのアクセスを容易にした。インターネ
ット検索によって、適切なキーワードを入力するだけで、一次資料
がどこにどのような形で存在しているのかがわかるようになった。
徹底的に一次資料を追いかけて集めて読み込んで、そこから浮き彫
りになる歴史の真実だけを書けばいい。

2.	言葉の意味を共有する周到な手法
 「HHhH」は、スロバキア人ガブチークとチェコ人クビシュの2人の
亡命兵士が、イギリスで軍事訓練を受けた後、ドイツ占領下のチェ
コにパラシュート部隊として潜入し、ドイツ人のハイドリヒ総督を
暗殺した史実を扱っている。暗殺事件が起きたのは1942年5月、場所
はプラハだ。
 この時代と場所に意識の上で近づくために、著者はまるで準備運
動のような単純なところから、言葉の記憶と思考の操作をはじめる。
 はじめはチェコスロバキアや東欧に関連して、自由に思いだすこ
と思いつくことから意識の整理が始まる。2人で作戦を実行するのは
、スロバキアとチェコの双方に英雄が生まれるように公平さを期し
たのだ。
 テニスのイワン・レンドル選手がチェコ出身(日本語のホームペー
ジではいまだにチェコスロバキア出身となっているが)で、ユーゴの
ネトーはクロアチア人。事件とは関係ないが、自分の意識にある言
葉のなかから、チェコやスロバキアに関係するものを見つけ出す。
この手の一見どうでもいいような思考が、じつは読者の意識を作品
に近づける重要な役割を果たしている。
 著者は女友達がはるか昔に史料を貸してもらった、フランスのレ
ジスタンス関係者の家も訪れて話を聞く。同時代のチェコ人やスロ
バキア人に、ハイドリヒ事件に殉死した国家的英雄たちの話を聞く
が、みんな名前は知っているもののそれ以上のことは意外なほど知
らない。こうしてだんだんと誰も知らない、誰も調べていない、事
件の細部に迫っていく。著者は実際にチェコに住んで、事件に関係
する教会の納骨堂、プラハの軍事博物館、できうるかぎりの史料に
アクセスを試みる。
 それと並行して、事件に関する映画を探し、本を読み、それぞれ
について著者の短い評価が紹介される。それらはまるでハイパーリ
ンクのようにもう一つの仮想現実世界へといざなう。読者に、読書
の途中で、本を読み終わって、映画や本に手を伸ばして著者の作業
を追体験あるいは確認する楽しみが用意されている。
 ハイドリヒの妻が残した手記は高価だから買わずに済ませようか
といっていたのが、しばらく後の章では、その本を買ったと報告す
る。チェコ語の手紙を、意味がわからなくても、書き写してくれば
良かったと後悔する。著者の悩みや後悔を知ることで、読者は史料
の大切さを味わい、読んでいる文章の信頼度がどの程度のものかを
知る。
 こうして読者は、小説の中の言葉と、自分の意識をシンクロナイ
ズできる。読者は著者と概念を共有することで、主人公たちの人物
像や置かれた環境になじんでいくことになる。著者が選び抜いた短
い言語表現の意味を正しく理解できるようになる。

3.	人はなぜ歴史を物語るのか
 書くことにおいて、著者はどちらかというと禁欲的である。真実
性へのこだわりだけでなく、できるだけ短い言葉で、本質がわかる
場面、流れが変わる一瞬を描き出そうと心がけている。本書では、
考え抜かれた短い表現や短い章が、じつに効果的に使われている。
 その一方でときどき著者は脱線して、本筋とはまったく関係ない
話も書く。たとえば「戦争中にキエフで起こった異様な事件」。ナ
チの統治下、ウクライナ人のチームとドイツ人のチームでサッカー
の試合が行われた。前半戦で勝ち越していたウクライナ人は、ドイ
ツ人の地方長官から、「(後半戦で)負けなければ、君たちは処刑さ
れる」と脅されるのだが、八百長せずにドイツに勝った。これは命
よりも誇りを大切にした勇気ある行為であり、著者はそれを書かず
にはいられなかったようだ。
 誇りや勇気は、ガブチークとクビシュを支えたプラハの市民たち
にも共有されていた。限られた紙数のなかで、著者は誇りと勇気あ
る市民への言及と賛辞を忘れない。「彼らを直接的であれ間接的で
あれ、助けた人々はそんなに知られていないから、こういう人たち
にこそ敬意を払うべきだ」。「善意の人々に対する敬意、僕の言い
たかったことは、ほぼそれに尽きる」。

 人はなぜ歴史を物語るのか。
 本書の面白さは、普通のプラハ市民たちの勇気と献身があったう
えで、ガブチークとクビシュの暗殺作戦が「結果的に」(この言葉が
何を意味するかは、「HHhH」を読めばわかる)成功したところにある。
つまり、約70年前のプラハに、ウクライナに、自らの命をなげうっ
てでも、祖国のため、同僚のために、戦った勇気ある市民がいた真
実を示すことで、あなたもそのように生きることができる、生きな
ければいけないというメッセージがこめられている。
 人間にとって一番大事なことはそこにある。これを伝えるために
、本書は生まれたのであり、これから多くの人に本書は読み継がれ
ていくだろう。
(得丸 公明、自然思想家、2014.12.5)



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