5123.世界は分裂の時代に



世界の経済状況は、ロシアと欧米の制裁合戦により、大きな亀裂が
明確化したが、その前からグローバル化は限界に達していた。

グローバル化で利益を得るのは、一部の企業家と投資家であり、多
くの中産階層の国民は、仕事を新興国に取られて、下の労働階層に
落ちている。それも筋肉労働を忌避するので、非正規雇用しかない
ということで、先進国でも貧富の差が拡大している。

このため、グローバル化に先進国の国民も疑念の目を持っていた。

しかし、グローバル化には、欧米の価値観が必要であり、その価値
観を受け入れないというロシアが出てきたことで、危機的な状況に
なっている。

また、先進国も今までの権利を手放しくたくないとIMFの見直し
を止めていることで、BRICS諸国は独自の国際金融組織を立ち上げた。

このように欧米の権利維持が、BRICS諸国によっては、グローバル化
を妨げると見ていることになる。また、前回のデフォルトで減額に
合意したアルゼンチンの国債を、合意を反故にして、国債全体をデ
フォルトにさせた米国の横暴は、新興国では認めることができない
という思いがある。

このため、新興国は、独自の国債金融機関を作るしかないことにし
た。今後、経済的な相互依存は大国間の戦争を抑えるとしたリベラ
ル的な思想は、終了して力が強い者が勝つという弱肉強食の世界が
出現することになりそうである。

そう思っていたら、それを的確に指摘した英フィナンシャル・タイ
ムズ紙の記事が出てきた。

さあ、どうなりますか?

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グローバル化から後退する世界
2014.09.08(月)  Financial Times
(2014年9月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
歴史は将来、ロシアに対する制裁がグローバル化からの長い撤退の
始まりを告げたと記録するだろう――。世間では今、そんなムード
が広がっている。筆者は先日、ジャーマン・マーシャル・ファンド
主催の「ストックホルム・チャイナ・フォーラム」で、あるドイツ
政府高官がこの考えを持ち出すのを聞いた。
 それは興味深い指摘だったが、もっと大きな論点を見落としてい
た。制裁は原因というよりは症状であり、グローバル化からの後退
はロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナとの戦争に
乗り出すよりずっと前に始まっていた、ということだ。

米国の躊躇と欧州の分裂を利用するプーチン大統領
 ロシアと通常通りに付き合うのをやめるべきだとする論拠は、国
際安全保障には国家が隣国を侵略しないことが求められると考える
人にとっては、自明の理だ。西側に対する正当な批判は、西側諸国
の対応があまりに遅かったということだ。プーチン大統領はありと
あらゆる段階で、米国の躊躇と欧州の分裂を容赦なく利用した。
 北大西洋条約機構(NATO)が欧州の安全保障の中核に抑止力を復
活させるまで、同じ状況が続くだろう。プーチン大統領の領土回復
主義に対しては、ハードパワーに裏付けられた厳しい外交で対応し
なければならない。侵略行為は受け入れがたい報復を招くというこ
とを理解した時に初めてプーチン大統領はその振る舞いをやめる。
 抑止力に信頼性を持たせるためには、NATOは加盟国の東端地域に
地上軍を送り込まなければならない。バルト諸国はベルリンに取っ
て代わって、西側の決意を試す試金石となった。
 一部には――完全に新興国世界だけではないが、特に新興国では
――、別のプリズムを通して制裁を見る人もある。
 彼らいわく、米国と欧州は、ロシアを経済的に罰することで開か
れた国際制度を弱体化させている。経済問題は、政治的な争いの変
遷と切り離さなければならない。米国と欧州が狭い利益を追求して
公平な国際舞台を台無しにするのであれば、新興国がそんな世界に
加わる理由がない、というわけだ。

2008年の金融危機から続くグローバル化の後退
 こうした批判は、統合されたグローバル経済には協力的な政治構
造が必要だと主張する点では正しい。だが、ロシアに対する制裁は
、2008年の金融危機から続くグローバル化の後退という、より大き
な構図にはまる。
 それは米国の態度の著しい転換を物語っている。世界的な関与か
ら徐々に手を引く米国の後退は、米国は「ばかなこと」をするのを
やめるというバラク・オバマ大統領の宣言の域を越えている。
 今の時代のグローバル化の設計者は、もうグローバル化を保証す
る気がない。米国は、勢力を競合国に再配分するような国際秩序を
守ることに重要な国益を見いださない。
 中国やインドといった国々は、その状況に難癖をつけるかもしれ
ないが、自ら多国間主義の擁護者として名乗り出る気はない。擁護
者がいなければ、グローバル化は荒廃するしかない。
 しばらく前まで、金融とインターネットは、相互に関連し合う世
界の最も強力な経路であり、明白な象徴でもあった。
 奔放な資本とデジタルコミュニケーションは国境というものを尊
重しなかった。金融イノベーション(および完全なごまかし)は、
新興国世界の莫大な余剰資金を、米国中部の貧しい住宅購入者やコ
スタ・デル・ソルに投資する怪しい投機家に回した。銀行界の覇者
は、ワシントン・コンセンサスと呼ばれる体制の名の下にルーレッ
トを回した。
 そこへ崩壊が訪れた。金融界は再び国有化された。銀行は新たな
規制に直面し、退却した。欧州の金融統合は逆回転し始めた。世界
の資本フローはいまだに危機以前のピークの半分程度にとどまって
いる。
 デジタル化された世界については、誰もがどこでも同じ情報を得
られるべきだという考えは、権威主義的な政治とプライバシーに関
する懸念と衝突した。中国、ロシア、トルコなどの国々は、反体制
派を抑え込むためにデジタルハイウエー全体にバリケードを張った
。欧州の人々は、米国の諜報機関とデジタル界の巨大企業の独占資
本主義から我が身を守りたいと考えている。ウェブはバルカン化に
向かっている。

地域的な連携に目を向ける先進国、南南関係に傾く新興国・・・
 開かれた貿易制度は崩れつつある。多角的通商交渉(ドーハ・ラ
ウンド)の崩壊は、世界的な自由貿易協定の消滅を告げた。先進国
は代わりに、環太平洋経済連携協定(TPP)や環大西洋貿易投資協定
(TTIP)といった地域的な連携と協定に目を向けている。
 新興国は南南関係を築いている。新興5カ国のBRICSは、国際通貨
基金(IMF)のバランス調整が進まないことに苛立ち、独自の金融機
関を設立しようとしている。
 国内政治はいたるところで、こうしたトレンドを増幅させている
。西側諸国の指導者がグローバル化に慎重になったのだとしたら、
各国の多くの有権者は明らかにグローバル化に敵意を持つようにな
った。グローバル化は欧米で賢明な利己心の実践として売り込まれ
た。つまり、国境をなくした世界では誰もが勝者になるということ
だ。
 だが実際は、上位1%の富裕層が経済統合の利益をかっさらってお
り、圧迫された中間層には、とてもそのようには思えない。
 新興国は旧来のルールの中で繁栄した――今世紀に入ってからこ
れまでで最大の地政学的なイベントは、中国の世界貿易機関(WTO)
加盟だった――が、新興国は多国間主義への熱意をほとんど見せて
いない。旧来の秩序は広く、米国覇権の道具と見なされている。イ
ンドはWTOを再活性化させようとする直近の試みを台無しにした。

経済的な相互依存の限界
 グローバル化には執行者が必要だ。覇権国か大国の協調行動、あ
るいは、ルールが公正に適用されることを担保できるだけの世界的
な統治協定といったものだ。各国の国益を共通の努力の中に置く政
治構造がなければ、経済的な枠組みは砕けてバラバラになる運命に
ある。
 狭い国家主義は世界的なコミットメントを脇へ押しのける。制裁
はこの物語の一部だが、ロシアの国際秩序軽視はもっと大きな部分
だ。残念なことに、我々は1914年に、経済的な相互依存は大国間の
競争に対する貧弱な防波堤でしかないことを学んだ。
By Philip Stephens



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