5114.未来はわかるが時間がわからない理由



今まで、坐禅としているときとか、歩いている時に、未来が見えた
ような気がすることがある。これは中高時代からである。しかし、
それが起こる時間がわからない。未来のいつかに起きるとしか見え
ない。

直近に起こることは、イメージが強いので、ある程度わかるが、未
来に起こることでは時間がわからない。しかし、どうしてそうなる
のか、最近まで、その理由がわからなかった。

日月神示に、その理由が出ている。やっと、理由がわかった。

まず、気を眉間のチャクラに集めて、もうひとりの自分と会話し、
問うと答えてもらえるが、この方法も日月神示に出ている。「もの
見るのは、額でみなされ。ピンと来るぞ。額の判断間違えなし。額
の目に見の誤りなし。」(黄金73帖)である。

時間がないのは、「霊界は、想念の世界であるから、時間がなく、
想念のままになるのである。」(地震2帖)と、霊界と人間が額のチ
ャクラを通して会話するので、時間の概念が霊界にないので、わか
らないことになるのである。

やっと、理由がわかった。

地上界は、物質があり、生死があるので時間が存在しているのであ
る。

逆に、未来が見えるとか、霊界と会話できるという人たちで時間を
言う人達がいるが、それらは偽物であることもわかる。

時間的なことは違う論理で、分かるしかないのである。しかし、黙
示録の時代になると、その一連の出来事が、すべて日月神示でも黙
示録でも書いているので、ここからはすべて、わかるのである。

このため、現在はよくわかる。日月神示をよく読むと、現時点では
誰でも分かるようになってきたようである。

細かいところがわかるかどうかでしかないような気がする。





コラム目次に戻る
トップページに戻る