5105.中東での安定を壊した欧米



2001年9月11日の米国同時多発テロで米国は、アフガンニスタンだけ
ではなく、2003年3月19日、国連決議に反して大量破壊兵器を保有し
ているとの疑いで、アメリカとイギリスの連合軍はイラクに対して
の開戦を宣言して、イラクに侵攻した。米英連合軍は、バグダード
を含む主要都市を短期間で占領し、2003年5月1日、「戦争終結宣言
」を発して、形式的にはイラクへの攻撃を終了した。 

サッダーム・フセイン体制を壊したことで、イスラム教のシーア派
とスンニ派の宗派間闘争を引き起こす。

2004年6月、イラク暫定政権が発足し、2005年1月に選挙を行った。
2005年4月、イラク移行政府が発足、同年末までに憲法を制定した。
憲法に基づく選挙が行われ、2006年5月、正式政府が発足した。

しかし、多数派のシーア派が政権を取り、スンニ派とクルド人を阻
害したことで、その後も戦闘が止まらなかった。これで懲りるとか
と思いきや、民主化を進めると次の混乱を起こす。

そして、アラブの春が、2010年から2012年にかけてアラブ世界にお
いて発生した。民主化しようと民衆が民主化要求デモが立ち上がっ
た。この中に、民主化デモを弾圧したカダフィ大佐のリビア独裁政
権は、欧米を中心とした軍事介入で倒れたが、その後、部族対立で
政権が安定していない。

2012年9月11日には、リビアの東部ベンガジにあるアメリカ領事館に
イスラム教武装集団が領事館を攻撃し、クリストファー・スティー
ブンス駐リビア大使ら4人を殺害した。

エジプトも同じで、民主化した選挙で同盟団が多数派を取り、イス
ラム教の独断的な政策に国民は、軍事政権の方がマシとなり、シー
ジ軍事政権になっている。

イスラム諸国の世俗的な安定的な政権を欧米は打倒したが、その後
に待っていたのは、イスラム教の独断的な政権や宗派対立や部族間
の対立などであり、安定させるためには、再度、独裁政権を作るし
かないことになっている。

それができない所は、宗派間対立を煽り立てただけということにな
っている。欧米は、軍事介入して中東の安定を損ない、その安定が
失ったことになっている。

米国は、中東の安定を壊して、宗派間対立や部族間対立が煽り立て
て、その後、その状況に対応できずに撤退した。

シリアでは弾圧するアサド政権を軍事介入もしないので、穏健な部
族を組織したグループが苦戦したが、イスラム教原理主義の武装集
団であるイラクとシリアで「イスラム国」ができて、再度、介入せ
ざるを得ないことになっている。

ここまでは、欧米は中東の安定を壊して、中東を混乱の中に放り込
んだことになっている。この混乱はイスラエルにとっては。周辺国
が纏まれないことでチャンスであり、ハマスを潰すチャンスとガザ
に侵攻した。

しかし、このようなことは、イスラム教など中東の人たちに欧米に
対して、大きな怒りを起こしている。

中東の混乱は、益々、この地域を戦乱に引き込むことになりそうで
ある。

地域の人達の気持ちを尊重した行動をしないと、大変なことになる。

さあ、どうなりますか?




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