5056.江戸時代の和算について



講演会で話す和算について調べているが、このレベルが西洋との比
較でも、遜色がないことが分かる。この和算のレベルがあるので、
その応用的な分野でも、江戸時代は素晴らしい成果を上げているの
である。

和算と関係する分野は、暦、測量が必要な地図、土木工事などや水
車などの設計分野である。

この和算がどうして、世界レベルにあるのかというと、連立方程式
が関孝和により、和算としての記述法ができ、かつその解法ができ
たことによる。Xの2乗の方程式の解法ができていた。マイナスの記
号もある。

しかし、積分は容積計算の必要があり発達したが、微分はそれほど
の発展を見ていない。需要がなかったのである。

ベルヌーイの公式や行列式なども関孝和の方が早い。ベルヌーイの
式は流体の速さと圧力と外力のポテンシャルの関係を記述する式で
、力学的エネルギー保存則に相当する。この定理により流体の挙動
を平易に表すことができる。

水車は日本に来た朝鮮通信使が素晴らしいと自国に持ち帰るが、朝
鮮ではできなかった。それは数学の能力がないので定着しなかった
のだ。

日本で、なぜ水車が日本全国に定着したかというと、各地に和算家
が居て、そろばんを片手に、ベルヌーイの公式で水車の設計をして
いたからである。もう1つが、地方を回る有力な和算家がいて、地
方の和算家を指導していた。それと、印刷した本が出回っていた。
この和算の本を藩は購入し、かつ関流の塾に藩の武士を入れて勉強
させた。流派が割れていたので、流派間の競争も起きていた。

そして、村でも庄屋を中心として年貢を収める村請負制度のために
、読み書きソロバンが必要で寺子屋があり、そこで基礎教育ができ
ていたことで、この寺子屋で教える教師を教育するために和算家が
藩に雇われていた。このような階層構造ができていたことが大きい。

この寺子屋の教科書が吉田光由が書いた「塵刧記」である。

水車は水を受ける板の角度が問題で、その角度が悪いと回らない。
この角度を正確に計算して、大工に指示する必要がある。これが日
本では和算の発達で、できたのである。

この和算の能力を高めあったのは、各地にある神社に奉納した算額
である。出題と答えを書いた算額の他に、出題だけの算額があり、
その答えも算額で出すと、その回答に評価を書き入れるというよう
に、和算の力を高めあったのである。他流試合のできたのである。

遊びとしても和算があり、それを使った実用的な用途を開発したの
であろう。

しかし、江戸幕府は、新規事業や新開発の禁止があり、その例外で
ある農業や鉱山の生産の増大、地図・土木工事や見世物などに和算
の力を使ったのである。

江戸時代の国民の力は、大きいのである。




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