4980.観音の里の祈りとくらし展を見た



東京芸大美術館で開催されている「観音の里の祈りとくらし」展を
見に行った。入場者は70%が女性で、それもお年を召した方が多
い。どうも白洲正子の「かくれ里」「近江山河抄」などを見てきた
人が多いようである。

近江、特に湖南、湖北は面白いし、異質な文化があると白洲正子は
言うが、その1つに、ここで展示ている観音像が多いことである。

来ている人に聞いたら、白洲正子の本で湖北の観音様を知って、そ
れで来たという。

高月歴史民俗資料館の佐々木さんが講演したが、長浜市全体では、
130体以上の観音像があり、そのうち重文は36体もあり、高月
町だけで30集落があるが、25体もの観音像が、この地域に有り
、それも重文にされているものが多くあるという。

その中で一番有名なのが、渡岸寺の十一面観音である。この地域の
観音様は十一面観音と千手観音像が多いが、これは白山信仰、己高
山の山岳信仰から来ているという。

伝承では、奈良時代の修験道僧である泰澄は、幼少より十一面観音
を念じて苦修練行に励み、霊場として名高い白山を開山、十一面観
音を本地とする妙理権現を感得した。平安時代以降、真言宗・天台
宗の両教を修めた宗叡は、この妙理権現を比叡山延暦寺に遷座し、
客人権現として山王七社の1つに数えられているとウィキペディア
には出ている。このため、天台宗のお寺が鎌倉時代までは多かった
という。

もともとは、バラモン教の十一面の暴神であるエーカダシャ・ルド
ラ(漢訳:十一面荒神)が仏教に取り入れられて、観世音菩薩の変
化身となったとする仮説がある。ちなみにここでいうエーカダシャ
は、あらゆる方位(東西南北の四方とその間の四隅、上と下と中央)
という主旨であるという。

その後、蓮如が浄土真宗をこの地域に布教して、多くの集落は浄土
真宗に変わる。しかし、浄土真宗の本尊であるはずの阿弥陀如来像
がない。蓮如は、阿弥陀仏も十一面観音も同じであるという論理を
使って、民衆を引きつけたようである。もう1つは、一向宗の自治
を広めて、民衆の気持ちを得たことによる。

ここの住民は、自分たちの仏像を守る、自分達を守るという意識が
強いようである。これを作ったのが、壬申の乱から度重なる戦火な
のではないかと思う。

この湖北は、交通の要所で戦略的な重要地点のために、たびたび戦
火に見舞われ、その中で観音像を守ったのは、地元民であり、川に
隠したり、田畑に埋めたりして守った。

その気持ちは、先祖から引き継いできたものを自分の世代で絶やし
てはいけないという義務と誇りであることと、地元民が親しみを込
めて観音さんというように、地域を守ってくれる神であるとともに
その神を守るという感覚があるのだと佐々木さんはいう。

佐々木さんの講演まで、学食の前で待っていると、佐々木さんに声
をかけてきたおじさんがいた。芸大の関係者のようであるが、芸大
の美術館は、他の美術館とは違い、地方の企画を持ち込むと実施し
てくれることが多いという。

美術館としての役割と、学生への教育という側面があるので、他の
美術館とは明らかに違うという。

芸大の話になり、音楽コースと絵画コースが、ここ上野にある。学
生数800名程度、音楽コースの敷地と絵画コースの敷地では明ら
かな違いがある。音楽学科は庭の手入れが行き届き、絵画学科は、
庭の手入れをしないという。コースの目的が違うのでそうなるよう
だ。

次に、この芸大の卒業生の話になり、デザイン科以外の絵画コース
の学生は、会社に勤める人がいない。日展で優秀な賞を取れる人は
、3年に1人程度であり、卒業生は大変苦労している。予備校の講
師や美術の先生など、非常に狭い分野しか職がない。それでも絵を
描いて、展覧会で優秀な賞を取ることを目指しているという。

しかし、この芸大に入るのには、大変な関門であるにも関わらず、
そこを卒業しても一流になるのは一部の人であるようだ。工芸科が
一番恵まれているのですかというと、そうでもないという。芸術を
目指すので、職人的な仕事しないという。

建築デザインでもゼネコンには入らなく、個人の設計事務所に入る
人が多いという。

芸大の学生の内情も大変であることを知った。



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