4978.プーチンの計算



ジョセフ・ナイがプロジェクト・シンジケート誌で「Putin’s Calculus
−プーチンの計算」を載せている。このリンクは最後であるが、内
容は。

大づかみには、今までのところウクライナ危機では、プーチンが勝
っている。フルシチョフが独断的に1954年、ウクライナに移し
たクリミアの併合に、自国では多くの賞賛があり、反対に欧米から
の批判があるが、それを払い除けている。

しかし、長期の展望から見ると、プーチンの勝利は確かものではな
い。

ウクライナの今回の危機は、EU加盟協定破棄のヤヌコビッチ大統
領の決断から始まった。その代わりに財政援助を含む関係正常化を
ロシアとの間で交わしたことである。

このことが、親欧派の西部地域のウクライナ人を怒らせた。長く続
いた反対運動に拍車をかけ、そして最終的にはヤヌコビッチ政権を
崩壊させることになる。この政権は民主的に選ばれた政権ではあっ
たが。

しかし、すべてのウクライナ人がロシアとの近い関係を嫌っている
わけではない。事実、ヤヌコビッチ大統領の決断を多くのロシア語
を話すウクライナ東部、南部の地域の人たちには、歓迎されていた。

1ケ月の平和なデモの後、暴力が起こり、デモ参加者が殺されたこ
とで、ヤヌコビッチ大統領はウクライナから逃げて、ロシアに行く
ことになる。

プーチンは、ヤヌコビッチ大統領をかくまっただけではなく、キエ
フの臨時政府を拒否した。そして、クリミアの少数ロシア人の反抗
を鼓舞、組織化を助け始めた。ロシアがウクライナから借りている
セバスチポールの黒海海軍基地からマスクをし、記章を外したロシ
ア軍を展開して、プーチンは、人命を失うことなくクリミア半島を
手にれることができた。

欧米のリーダは、ヨーロッパの国境線を強引に変更したことに対し
て怒りを表したが、プーチンは、15年前のNATO軍が出動したコソボ
を偽善的と言及して平然としている。コソボはその後、セルビアか
ら公式的にも分離したが。

欧米は、数人のロシア高官に狙い撃ちした制裁をしたが、これに対
して、プーチンも欧米政治家のロシア入国を制限する制裁をした。

全体として見れば、2・3のロシアの銀行の口座が凍結したり、若
干の軍事的な商品納品ができなくなったり、ルーブルが落ち、ロシ
ア株式市場が下がったなどがあるが、欧米制裁の影響は緩やかであ
る。

欧州が強い制裁を躊躇するのは、ヨーロッパとロシアが強い経済的
な関係があるためでそうなる。ロシアが東部ウクライナに軍事侵攻
したら、ロシアとの経済的な関係が少ない米国とEU諸国が付加的
な制裁の枠組みに発展するという約束をしている。

しかし、ヨーロッパが傷つかない方法を見つけるのは、容易ではな
い。

もちろん、ロシアは国際的な立場からその行動で、高い代償を払う
ことになる。友好とソフトパワーがソチ・オリンピックで醸成され
たが、その直後に使い果たし、ロシアはG8からも除名された。

国連総会でも、100ケ国からその行動を非難された。バークの核
サミットでもオバマ大統領から、ロシアは弱い周辺国に軍事的な圧
力を加える地域的な強国であると評された。

プーチンの問題は何か?何を目的としているのかが答えである。
プーチンが不安定さから逃れるために軍事的な行動を取るなら、あ
る程度の成功を収める。その過程で、プーチンはロシアと歴史的に
深い関係がある周辺の国への影響力を減少することになる。

ウクライナ東部のロシア語を話す人たちにはロシアの影響力はある
が、クリミア編入の影響で、国の全体ではロシアの影響力は減って
いる。そして、NATO諸国にプーチン嫌いを復活された。

プーチンは、ウクライナの革命成功が、メドベーチェフから大統領
を彼が引く継いだ2012年に起こった彼に対する抗議活動が再度起こ
ることを心配したのかもしれない。クリミア併合で、プーチンの支
持率は急上昇した。政権を倒したり、支持を低くするような抗議は、
大変少なくなる。

プーチンの動機がロシアを世界的な大国に復帰することとすると、
結局、東ドイツのKGB要員であったプーチンは、20世紀の最大の大
失敗としてソ連の解体を後悔していることになる。

事実、プーチンは時々、欧米に怒りを表現する。その根底にロシア
への不公平な扱いから屈辱的な感情に悩まされていた。G8、G20やWTO
、ブリュッセルでのNATO会議などでの身振りから、プーチンはNATO
のロシアに向かった拡大、東ヨーロッパへのMD、セルビアの分割を
容認できないようであった。

リビア・カダフィ大佐の崩壊やクレムリンの代理人であるシリアの
アサド政権を弱体化させる行動は、この感情を悪い方向に持ってい
ったようである。

プーチンのクリミアでの行動の主要な動機がこれなら、欧米の制裁
は、今信じることより大きな影響を持つかもしれない。

ソチの冬季オリンピック前には、プーチンはロシアの重要なゴール
として、ソフトパワーを増やすことであると評論している。しかし
、ウクライナでハードパワーを使ったことで、達成は難しくなった。

この感覚で、ロシアが弱小国から行動する地域強国になったとのオ
バマの宣言は、プーチンの脆弱なポイントを叩いたかもしれない。

彼のウクライナでの行動は、疑いなくロシアに目に見える物を短期
間に与えた。しかし、それらは明らかではないコストを払うことに
なる。プーチンの大胆な行動は価値が有るどうかは、まだわからな
い。

Putin’s Calculus

コラム目次に戻る
トップページに戻る