4973.琵琶湖湖北、高月に行く



18切符の時期、旅行をするが、今回は近江を見ようとして行った
。今回は「ふらっと、こだま」切符を使って、大阪に行くことで予
定したが、途中で最初の日も近江に行くことになった。

しかし、困ったのは「ふらっと、こだま」切符は、途中下車すると
無効になり、最初からの料金が必要ということで途中下車ができな
い。このため、新大阪に行ってから米原に戻ることにした。

5日8時56分東京発、こだまに乗り、13時00分新大阪着、13時16分発
ひかりで米原13時52分着、米原14時01分発で高月14時21分に着いた。

4月5日は、春祭りで渡岸寺の11面観音像が見れた。そして、そ
の近くに高月観音の里歴史民俗資料館があり、この地域の観音像を
守る住民の苦労を展示していた。1つの集落に1つの観音堂がある
ほど、仏教が盛んである。しかし、その観音堂を守るのは、地元民
であり、氏神ではなく氏仏として守っているという。この湖北は昔
から戦場になることが多く、その中、観音像を民衆は守ってきたと
いう。この住民の心はなぜなのだろうと思った。

ここの観音様は、現在、4月13日(日曜日)まで東京芸大美術館
で「観音の里の祈りとくらし展−びわ湖・長浜のホトケたち−」で
見ることができる。そして、高月歴史民俗資料館の佐々木さんが4
月11日、12日に講演会を東京藝術大学大学美術館で行うそうで
、その住民の心を話して頂けるようである。

また、この地域に昔からのオコナイという行事を展示されている。
そして、一番、ビックリしたのが、雨森芳洲がこの高月雨森から出
ているということである。

雨森芳洲は、江戸時代の儒学者であり、対馬藩の外交官として活躍
し、朝鮮通信使などと江戸へ随行した。この芳洲の考え方は、現在
の外交戦略に大いに参考になる意見を述べている。

1.国や民族間に文化上の優劣はなく、異なった文化は本質的に平
  等である。
2.国によってしきたりや考え方は異なって当たり前だ。
  自分の尺度で相手を判断してはいけない。
3.お互いに相手の国の歴史・習慣・人情・考え方などをよく理解
  し、違いを認め尊重し合わなければならない。
4.お互いに欺いたり争ったりせず、誠意と信義にのっとり、交際
  するべきである。(高月歴史民俗資料館の資料から)

この雨森芳洲庵が、生まれた高月雨森にある。ここに、芳洲の著書
や遺品、芳洲が深く関わった朝鮮通信使の資料などが展示している。

雨森芳洲の資料は、対馬だと思うと違って、ここ高月雨森にあると
いうのだ。

外交戦略、国際戦略、地政学をやっている人は、高月雨森の雨森芳
洲庵に行ってみることを勧める。今の過剰なナショナリズムは、間
違っていると江戸時代に外交の一線にいた外交官が言っているので
ある。

朝鮮通信使との関係で、韓国からの観光客・研究者が多いが、この
数年、中国からの研究者も来ているという。中国の外交戦略が変化
することを期待したいですね。

その日は、大阪に戻り泊まり、次の日も高月に来た。雨が強い中、
駅から雨森まで歩いた。帰りは14時18分発高月で乗り、18切符で
東京まで帰った。東京についたのは22時29分であった。途中は、ほ
とんど寝ていた。雨の中を歩いて疲れたのか、ぐっすりと寝ること
ができた。もちろん、終点での乗り換えはしたが、今日は全て座れ
たので、席に着くと、また寝るという感じである。




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