4965.神仏習合とは何か?



この頃、なぜ、日本はいろいろな文化を融合できるのか、考えざる
を得ない場面になることが多い。その理由をどう説明すれば、理解
されるのか?と。

この一つとして解答は、神仏習合で説明できるようだ。神仏習合は
異文化を受け入れたことになり、それぞれの宗教の根幹は、維持で
きようにする方法である。

鎌田東二氏は、その神仏習合の前に神々習合があって、その次に神
仏習合があったという。そして、神々習合に至る道には戦いがあり
、その戦いを収めるために、両方の神を一緒にして、亦名を作り、
ある神が、複数の神を兼ねるようにしたのである。

森に基づく生活の論理や基盤は同じという神を支える論理が違わな
いことが、この裏にはあり、主神はその土地にいる神であり、支配
階層が変わると、前の神様は習合されるか、陪社として隅にいくこ
とになる。祖先崇拝が同じであることで両方の崇拝をできるように
したのである。

この神々習合の仕組みを神仏間でもできたようである。ということ
は、日本に入るキリスト教も日本化すると、マリア信仰として神主
習合になる可能性があったし、文化的には西洋文明は日本の文化に
溶け混んでいる。日本人の恐れや祖先崇拝という心が同じである限
り、諸外国のどのような文化でもどうかできることを意味する。

日本の異文化取り込みは、よって神々習合の上にあるとも言えるの
だ。

今後も、異文化に直面したときには、日本は森の信仰を基盤として
その異文化を習合してしまう素地を持っているし、そのため、中国
や韓国のように歴史的な文化が失うこともない。沖縄の御嶽のよう
な信仰が韓国にもあったようであるが、儒教やキリスト教、仏教の
影響でほとんど残っていない。

日本では神社があり、お寺があり、教会があり、御嶽がありと多種
類の宗教が、全部残っている。

今までは、異文化を受け入れていたが、今後は日本の文明を世界に
広めることになる。この時、習合という文化特性も海外に持ち出せ
るの、疑問であるが、日本文化の受け入れ際して、1つの参考には
なる。相手の生活論理構造に合わせて、日本文化を変化させること
で、入り込めるようになると思う。

さあ、どうなりますか?


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