4952.水郡線常陸太田支線に乗る



この頃、古代史の本を読んで考えているが、なかなか思った結果が
出てこないので、昨日は縄文時代の本を持って、気分転換のために
18切符で水郡線の常陸太田支線に乗ってきた。

上野8時24分、で水戸10時28分着でこの電車は通勤時間から外れてい
るので、空いていた。水戸で水郡線は11時15分発であるので、駅に
あるマクノナルドでコーヒーとハンバーガーを早い昼食として食べ
た。しかし、このマクドもそんな混んでいない。マクドの不調が見
える。しかし、これだけでは、足りなくグラノーラを別の店で食べ
た。

水戸11時15分発でJR東日本標準のE-130デーゼルカー2両ワンマンに
乗り、上菅谷11時32着で隣にいるEー130デーゼルカー2両に乗り換え
11時32分に出る。

支線沿線は田畑の中をほとんど高低差なしに進んでいく。この終点
の常陸太田と上菅谷の2駅以外は無人駅であるが、車掌が乗務して
いるので、全ドアが開いた。

そして常陸太田11時50分着、常陸太田駅は立て替えたのだろう綺麗
な駅である。この駅にある観光案内所で常陸太田市街の見所を尋ね
たら、今、月遅れのひな祭りをしているという。


水戸を真っ直ぐ行ったら市街に着くと追われたので、国道293号線を
駅から真っ直ぐ進んだが、市街地につかない。そこで歩いている人
に聞いたら、丘の上を指して、あそこであるから、坂道を上がって
くださいと言われた。

坂を上がると、大きなビルもあり、古い店が多い。その店の前やシ
ョーウンドーの中にお雛様などが飾られている。丘の上で有り、も
う一方にも坂があり下っている。鯨の背中のようである。このため
、この丘を鯨ヶ丘というようである。

ここは、佐竹氏が、江戸時代初期に秋田へ移るまでの城があったと
ころである。このため、この常陸太田が、その当時の茨城の中心地
であったことになる。この丘に城もあったのである。城跡は、現在
若宮八幡神社になっている。

ということは、高地性集落の発展系であることになる。この高地性
集落は古代史を読むと、弥生期に近畿や山陽に多くあったことが分
かっている。このような集落というか市街地が現在もあることに感
激した。

もう1つは、川が両側を流れて合流する。このため、昔は下は沼地
であった可能性はあるし、かわが氾濫する可能性もあったので、丘
の上の方が暮らし安いのかもしれないと思った。

若宮八幡神社を見たかったが、次の列車の出発時間との関係で、途
中で引き返した。最初から道に迷わなけれたと悔やまれる。

常陸太田13時11分発、上菅谷13時25分着でホームを代わって3番線
で水戸行き13時31分に乗る。水戸13時48分着で水戸で14時01分の土
浦行に、土浦で15時00分上野行に乗り、上野15時56分に着く。







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