4939.網野善彦と岡田英弘の史観



現在、古代史をある人の依頼で調査しているが、その古代史と中世
史での網野善彦の中世の非人観が結びついてきたようである。

中世の非人とは、「身分外の身分」で、農民以外の非定住の人々で
ある漂泊民で、本来的に社会から完全に疎外された存在だ。そして
、その集団は職能集団として10世紀に出現している。この非人の
仕事は、ケガレの部分や、律令制の外にいる芸能、遊女などの人で
神や神社や宗教との関係あった。そして、市場の位置付けも、神と
の関係があり、非人の仕事であった。市場は女性の仕事であったの
だ。

調べると古代史が、いろいろな中世での日本の影の部分との結びつ
きを感じる時がある。

もう1つ、晩年期の著作である『「日本」とは何か』で、一般的な
日本人の「孤立した島国」という日本像は改めるべきであると述べ
、実際は日本が「列島」であり、「アジア大陸東辺の懸け橋」とし
て、周辺の海を通じて多くの人や物がたえまなく列島に出入りして
いると主張している。この考え方は、岡田英弘の考え方に通じてい
る。

岡田英弘は、日本国(倭国)の起源については、近年のシンガポー
ルやマレーシアのような「中国系の移民と、現地住民とのハイブリ
ッド状態である、都市国家の連合体」であると主張。現在の中国人
(漢人)自体も「漢文を使う」というだけの共通点があるだけで、
起源はさまざまな民族がまじっていることから、「漢王朝末期の衰
退がなければ、朝鮮半島も日本列島も『中国文明の一部』になった
可能性が高い」とも述べるなど、網野先生より先に周辺の海を通じ
て多くの人や物がたえまなく列島に出入りしていると述べている。

日本の古代史を調査するためには、日本の古代史だけではなく、中
国の古代史、東南アジアの古代史の知識も必要になる。このため、
一人では到底研究できない規模になることがわかる。

その網野善彦先生も2004年にお亡くなりになった。中世史から
古代史に興味を移していたと拝察できるが、残念である。

これとは違うが、船井総研の船井幸雄先生もお亡くなりになって、
現在社会のもっと・もっと経済を諌める人もいなくなってしまった
。限界にある現在のもっと・もっと経済を有効な思想で批判し、次
の社会を提案する有名人が出ないのであろうか?

非常に心配な社会になってしまったように感じているこの頃である。




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