4925.国家神道と自然神道の戦い



昨日、ある人と会い、右と左とは何を意味するのか、酒を飲みなが
ら話し、右は復古主義の神道で、左は共産主義が悪いとなり、未来
志向のリベラルのことだとなった。

しかし、右でも安倍首相など国家主義者が目指すのは、明治後の国
家神道であり、それより古い江戸時代以前の自然神道もあり、しか
し、自然神道は今のリベラルの中にあり、左であるという。

ということは、明治期の国家神道が右で、それ以外は全て左という
ことになる。右が意味する範囲が非常に狭い。そして、私も今まで
右と思っていたが、左に属するというのである。

左の中での問題は、理想に向かう速度かも知れないと思った。現実
と調和して進むか、急激に進めるかであろう。現実主義か過激主義
かの違いのようである。そして、理想は、右と左では大きく違う。

そして、日本の今後の理想は、明治後の国家神道系が押す、現在の
石油文明や原発文明ではなく、江戸時代以前と同じような植生文明
であり、藻谷さんが言う里山資本主義であり、その根本に自然神道
でなければならないと一致した。

それでは自然神道とは何かと話が進み、古代から続く神社と森が密
接な関係にあり、森が全ての始まりで、広葉樹のシラカシが船に付
いて流れた繁茂する所と古代の人間たちが行き着いた所が同じで、
徐々にそこから古代神道ができたのではないかというのである。

そして、縄文の初めは、沖縄の御嶽(うたき)から始まったとその
人は推測している。その御嶽が人とともに日本各地に舞い降りたと
いうのだ。

その舞い降りたところは、シラカシの繁茂する所であり、そこに昔
ながらの神社があるはずという。しかし、これだと出雲は沖縄から
きたことになるなと思いながら聞いていた。この部分の推測を直さ
ないといけないと思い、聞いていた。

しかし、後世、江戸時代に、その所を針葉樹、松に置き換えること
になる。効率を中心に置いた経済が、徐々に浸透して、その果に国
家神道があり、広葉樹の森を針葉樹の森にした。

針葉樹は、単一性が高く、人が森に入っても多様性が少なく、癒し
の効果が少ない。しかし、広葉樹の森は多様性があり、いろいろな
周波数の磁気が出て、気持ちが良い。このため、癒しの効果が大き
いのである。

そして、明治期以降は石炭や石油、そして原子力など、もっともっ
とという経済活動が中心となり、第2次世界戦争になり、その限界
点に現在、達してしまった。国家神道が犯した効率重視、理念主義
から精神重視の自然主義に今、変革をしないといけないという。

石油を中心とした効率重視の経済から植生を中心とした精神重視の
経済にすることである。その裏には国家神道と自然神道の戦いがあ
るという結論になった。

その人は、広葉樹の森を広げて、神社を再興して行きたいし、広め
たいという。私も古代史を調べるために、神社を足がかりにしよう
としているので、協力はできそうである。

さあ、どうなりますか?


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