4906.政治に興味ない若者の心理的な動向



昨日、近代現代宗教思想史を研究している人と、日本の若者がなぜ
、社会の問題にも政治にも興味を持たないのであろうかと議論した。

この中で、一番興味を持ったのは、大本教や黒住教などができた社
会的な状況と現在の社会的な状況が同じようになっているというこ
とである。

社会が悪い方向に変化して、将来を見通せないことが若者に見えて
いるが、どうして良いのかわからないという閉塞状況になっている
からであるという。

江戸時代の文化文政以降、戦前の暗い時代などと現在は同じであり
、精神病が多くなっていることも同じ要因だという。

そういえば、若者の手相を見ると、頭脳線が下に垂れ下がっている
人が多い。上に長いと論理的な頭を使うことになるが、下に垂れて
いるので、非論理的に頭を使っていることになる。そして手相を見
るというと、多くの若者が、見てと寄ってくる。

この現象は、若者が自分のことしか興味を持たなくなり、意識が外
部から内部に向かっていることになる。自分の内観に向かっている
が、この人たちを惹きつける宗教がないのが問題であり、それは、
どのように内観を深めるかの合理的な説明がない現在の宗教には、
若者は振り向かないからである。

しかし、若者が神社などに行くのは、何か求めるものがあるからで
ある。

内観を高める方法を開発したのが仏教であり、その仏教の論理が日
本に伝えられなかったことで、今の宗教には手段しかない、内観を
深める合理的な説明ができない。

天台宗の摩訶止観が、親鸞、日蓮を新興宗教構築に導いた論理であ
るが、これも見向きもされていない。摩訶止観は密教理論から出て
いる。このため、最澄は空海の持ち帰った密教を知りたくて近寄っ
たが、教えてくれないので、第3代座主・円仁が中国に留学して、
密教を持ち帰ることになる。このようにその当時の密教理論は日本
に入ったが、その後、密教はチベットで一層の発展をするが、その
部分が日本にはない。

しかし、日本では独自の発展をする。それが半座半行での内観方法
で、この宗派が日蓮宗、浄土真宗になるが、その根本を説明できる
坊主がいないので、合理的な説明を求める若者が近づかない。

全行での内観法が武士道などになり、精神性を持つことになる。こ
の全行の修行が鈴木正三で農業に拡大し、石田梅岩が商売や専門家
に拡大することになる。日本人は仕事=修行という意識になってい
たから、超時間の労働にも耐えられたのである。

しかし、それをヨーロッパでは仏教を学問として取り入れた。それ
が心理学がである。華厳や唯識などは西洋的な論理で説明されてい
る。華厳とは、皆が繋がっていることであり、ユングの心理学にな
り、唯識とは、我思うに我ありであり、心理学の基本である。

このように合理的な説明を現在心理学が行っているので、この体系
化が必要なのであるが、まだ心理学は間違えている所があり、なか
なか精神病が無くならない。内観での論理構築をしないので、間違
える。

というように、心理学的な説明をした内観を重視した宗教が、必要
なようである。

合理的な説明は、仏教史を書いていると、当然のようにその発展史
になり、内観を見る方法の発展がわかることになる。

このような仏教史に目覚めたのは、祖母との議論に勝ちたいと、仏
教書を読み、どうして内観が起こるのかという議論や疑問からであ
る。

このコラムでも仏教史を読めるので、どうぞ、参照して下さい。

仏教思想

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