4892.安倍靖国参拝は「サンフランシスコ体制への挑戦」



■安倍靖国参拝は「サンフランシスコ体制への挑戦」だ。
首相にその覚悟を問う。

●先の大戦の戦勝国にとって、安倍靖国参拝はサンフランシスコ体
制への挑戦と映る。
●中国の拡張意思が明白な中、日米の紐帯を弱める行為は外交戦略
の定石から見ると下策であり時期尚早だ。
●しかしながら、踏み出した以上、これを機に来るべき東京裁判史
観の修正に向け準備を加速すべきだ。
 
◆参拝の波紋◆
昨年末26日に安倍首相が、予てから公約していた靖国神社参拝を
行った。
これに対し、中韓両国は予想通り非難声明を出し、主要各国からは
懸念が表明され、特に駐日米国大使館、続いて米国務省は「失望し
た」との異例の表現で批判した。
 
首相は靖国参拝について、「国の為に戦った戦没者に国のリーダー
が個人として哀悼の意を表明する行為は他国から何ら非難されるべ
きではない」との立場だ。
一方、日本を非難する各国には、A級戦犯が合祀されている靖国を
国のリーダーが参拝する事は、戦後の国際社会を形成するサンフラ
ンシスコ講和体制への挑戦と映っている。
 
このギャップを埋める事は困難だ。
筆者は予てから靖国参拝問題について、第一段階としてA級戦犯を
分祀した上での天皇及び首相の参拝可能化を図る、第二段階として
中国の拡張意思が明白な中、米国を筆頭とした各国との紐帯を強め
中国を牽制し何らかの形で中国の牙を抜く、第三段階として国際社
会に向け東京裁判(極東軍事裁判)史観の修正を図った上で「A級
戦犯」を再合祀し、進んではサンフランシスコ体制の見直しを図る
べきと考えていた。
 
この成就には最低10年は掛り、それまでは中国と各国に楔を打ち
込み離反させるようにこそすれ、共同させる事は外交上の下策と考
えてきた。
 
だが、今回安倍首相は参拝に踏み切った。
今後安倍首相が採る選択肢は、(1)参拝を自粛する、(2)A級
戦犯分祀または新たな追悼施設の建設を表明し参拝する、(3)国
際世論に左右されず参拝を継続する、(4)国際社会に向け東京裁
判史観の修正を発信しつつ参拝を継続する、の4つ若しくはこれ等
の混合型だ。
恐らく、現実に安倍首相が採る選択肢は、就任以来の行動パターン
から察するに(1)か(2)となるだろう。
 
(3)、(4)は、中国の牙を抜くべく他国と強調して囲い込みを
図る中では、ほぼ不可能だろう。
 
◆大東亜戦争は聖戦か◆
しかし、国際社会に向けての東京裁判史観の修正については、今か
ら準備をすべきだ。
これ等については、瀬島隆三著「大東亜戦争の真実」等で多くが語
られてきた。
だが、そこで語られている「大東亜戦争は、祖国防衛戦争であると
共に欧米による支配からのアジア解放の聖戦であった」とのコンセ
プトを国際社会に認めさせるには、次の事項についての一層の体系
化、理論化、洗練化が必要である。
 
●欧米による「日本植民地化」の蓋然性の証左
●欧米による植民地統治より、日本による統治が人道的であった理
由とその証左
●日本による統治は、自治独立への過渡的形態と位置付けられてい
た事の証左
●戦闘による現地人及び欧米人死傷者数が、上記「善政」を是とす
るに足る範囲に留まったと主張するに足る理論構築
●戦闘や統治の過程で残念ながら起きた暴力や性暴力が、発生数や
状況に於いて「事故」の範囲に収まる事の証左
 
近年、中韓を除くアジア諸国で、戦前戦中の日本について肯定的な
意見が発せられている。
これは、中国の拡張主義への恐怖への反作用、世界的な左翼の退潮
が影響している事は間違いない。
しかし、歴史の性質として、流血の記憶は世代交代と共に薄れ、替
って大きな歴史的流れに対する認識が浮上する事にも起因する。
例えば織田信長は、当時比叡山、石山本願寺焼き討ち等により天魔
(現代で言う悪魔)と呼ばれていたが、現在では中世を打ち破った
日本史最大の革命児として尊敬を集めている。
 
筆者は、浅学にして未だ大東亜戦争を聖戦であるか否かを断ずるに
躊躇がある。
欧米によるアジア植民地支配に対して、日本によるアジア支配の企
てが起こり、鬩ぎ合いの結果の日本の敗北、アジアの解放という、
正、反、止揚して合を為すとするヘーゲル哲学に於ける絶対精神、
理性の狡知に操られた弁証法的展開ではなかったかとの感もある。
 
しかし、何れにせよ大東亜戦争を終末とする一連の戦争について、
東京裁判史観から脱し、総括して国際社会に向け発信する事は、中
国の牙を抜いた後に遅かれ早かれやらねばならぬ事だ。
今回の安倍靖国参拝が、その契機となるなら意味ある事となる。
                    以上
佐藤 鴻全
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(Fのコメント)
日本が覇権国家にならないと、東京裁判史観を変更できない。それ
は論理ではないからで、正義の戦いと欧米が第2次大戦を定義して
いるので、現時点での公理である。

戦争に負けるということは、公理を相手に取られることであり、そ
れをひっくり返すために、戦争に勝つ必要がある。しかし、現時点
で、日本が欧米中国を相手に勝つことは、九分九厘できない。

ということは、そのような論理で公理をひっくり返ることは孤立す
るだけの話になる。今はやめるべきである。

日本のバカ学者は、そのような戦争の持つ公理を知らないようであ
る。論理以前の問題であることを知る必要がある。



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