4769.わが友ピアジェ



わが友ピアジェ
From:tokumaru
みなさま、
学会の様子、一部ご報告します。
得丸

わが友ピアジェ − 知能の発展とは新しい概念を記憶して、それ
を使った思考を積み重ねることである

 第19回国際言語学者会議は、ソシュール没後100年を記念して、ジ
ュネーブ大学で開かれた。ジュネーブといえば、カルヴァン、ルソ
ー、ソシュール、ピアジェといった人物の名前が思い浮かぶ。
 7月22日月曜日午前8時30分から行われたこの会議の最初の基調講
演は、グラフィ教授による「言語学の歴史における言語学と心理学
」だった。内容は、ドイツの心理学者ブントとチョムスキーを比較
するもので、言語は社会的なものであって個人の心理とはあまり関
係ない、心理学から得るものはあまりないという悲観的内容だった。
 しかし、僕の言語の起源とメカニズムの研究の初期に、ヴィゴツ
キーとピアジェから学んだことは計り知れず、ここで黙っているの
はよくないと思った。しかも、ここはピアジェがいたジュネーブ大
学だ。このようなときの質問は単純なほどよいので、ヴィゴツキー
はロシア人にまかせて、ジュネーブ市民のために質問をした。
「あなたの心理学に対する悲観論は刺激的であり、心に突き刺さる。
あなたはピアジェをどう評価しますか」
 聴衆には受けた。しかしグラフィ先生は、言語学においてピアジ
ェは評価が低いという話をした。最後に先生に「あなたは『知能の
心理学』を読みましたか」と聞いたら、「いいえ」だった。
 この質問のおかげで、僕はピアジェチアンということになり、コ
ーヒーブレークで何人かとピアジェの話をした。
http://www.cil19.org/programme/lu22/

2.
 7月23日火曜日、ふと思いついてネットで検索すると、ピアジェの
お墓は市内中心部にあるプランパレ墓地にあることがわかった。路
面電車から通りの向こうに緑地が一瞬みえて気になっていたところ
だ。その墓地のどこに埋葬されているのか、案内の学生に聞いてみ
たが、誰も知らなかった。
 夕方のポスターセッションをひとめぐりしたあと、路面電車で一
人で墓地に向かう。入り口が閉ざされていて入れないかと思ったら
、親切な黒人の男が、入る時は扉を乗り越えて入り、出る時はボタ
ンを押せば扉が開くと教えてくれた。
 管理事務所の壁に数百人分の名簿と地図があり、ピアジェの墓の
番号がわかった。地図にそれがどこにあるかも示されている。
 ところが、はじめのうち、ピアジェの墓がどこにあるかわからず
、うろうろすることになる。他の墓と違って、大きな木の下にひっ
そりとあるからだ。まるで盆栽の箱庭のような、岩と苔と名もない
草。墓碑銘もないが、多様な自然の一部としてピアジェは眠ってい
た。

3.
 7月24日、早く目がさめた。学会が始まる前に、植物園でプラタナ
スの大木と対話することにした。じつは7月21日の朝、気の向くまま
にバスを乗り継いで、レマン湖に隣接し、WTO(かつてのUNCTAD)の本
部の前にある植物園を散策した。プラタナスの大木に向かって気を
送ったあと、背中をつけて座っていると、なんとも気持ちがよかっ
たので、また行こうと思ったのだった。
 この日は基調講演のあとエクスカージョンで一般の発表はない日
だった。9時からの基調講演は、リリアン・ヘーゲマンの「副詞節の
シンタックス」というもので、パスしようかと思っていたのだが、
植物園で英気を養ったら、学会に行く気がみなぎってきた。
 前の晩に事務局のジャックとファビエンヌにも写真を送ったとこ
ろ、ジャックが、「ピアジェの自宅がジュネーブ郊外にあってね、
公開されていないんだが庭には入れるんだ。あとで住所を教えてあ
げる」といって、基調講演の途中にメールが届いて、ピアジェの自
宅を教えてもらった。
 講演は、シンタックスは文法であるという前提のもとに、いろい
ろな文例を出して、語順のことをああだこうだと述べていたのだが
、研究のための研究で、目的がないという印象をもった。
 質疑応答で最初に手を挙げた。「私は情報理論屋です。情報理論
を使って言語の起源の研究をしていますが、その際、文法を定義す
る必要に迫られました。(会場から、それは難しいことをといった気
持ちを込めて笑いが出たが、次の発言で静まり返る) 私なりの定義
は、『単音節の付加あるいは変化によって、意味の変化を指示する
スイッチ』となりました。この定義の問題は、機能語を文法として
含むことはできますが、シンタックスが含まれないことです。あな
たはシンタックスと機能語を両方含む文法の定義を持っていますか」
 ヘーゲマンはたじろぎ、僕に質問を繰り返すようにいった。私が
同じことをゆっくりはっきりと言い直すと、彼女は、「私は口語的
な表現だけを扱って、基礎的なことは扱わないと最初にお断りしま
した。シンタックスも文法的に機能するんじゃないかしら、、、、
」としどろもどろに答えたのだった。しかしこれがシンタックスと
文法の違いを考えることなく、ひたすら語順のツリーを描いて学会
発表をしている、チョムスキーに魔法をかけられた世界の言語学者
たちの実情だろう。
http://www.cil19.org/programme/me24/

4. 
 7月25日、自分のポスター発表のある日、二度寝して少し遅刻して
学会に。Fitchの「言語の進化:比較生物学の視点から」という基調
講演にすべりこむ。彼はフィリップ・リーバーマンのところでPh.D.
をとったという割には、恩師の説を否定し、真逆なことをいう。つ
まり、人の喉頭降下が重要だという説があるが、哺乳類は誰でも喉
頭降下するので、人だけが特別ではないというのだ。
 リーバーマンの研究には非常に学ぶところ多かったので、これは
捨て置けない。
 質問で、「人のSVT(喉頭より上の発声器官)の特徴は、水平部分と
垂直部分が1:1で交わることによって、母音の共鳴がおきて、量子母
音(quantum vowels)が生まれるとリーバーマンは言うが、あなたは
同意しないのですか」と聞いたら、同意しないと認めた。
http://www.cil19.org/programme/je25/

ちなみに私のポスター発表のアブストラクト
http://www.cil19.org/cc/en/abstract/contribution/396/
http://www.cil19.org/cc/en/abstract/contribution/552/

5
「言語と人の認知の起源」のセッションは、霊長類の話題やチョム
スキーのI言語/E言語の話題が中心で、実際にいつどこでどう進化し
たのかという話題はない。MITのひょろひょろした若手が、I言語とE
言語の定義を朝のセッション基調講演と別の定義で話すので、きち
んと定義してから話してくれと質疑応答の時間に苦情をいったとこ
ろ、後ろから年配の男性がなにやら彼を擁護する発言をした。ふり
かえるとなんとチョムスキー御大であった。その学生は発表が終わ
ると、チョムスキーの隣に並び、なにやら耳打ちしている。
http://www.cil19.org/cc/abstract/contribution/579/

 セッションが休憩にはいったとき、何人かがチョムスキーにサイ
ンを求めていた。その列に並んで、自分のポスターの縮小版を差し
出して、「あなたの難題を情報理論をつかって解いてみました」と
いったら、「それはなかなかおもしろいね。」といいながら、ボー
ルペンでポスターの空いた領域に名前を書き始めた。そして話が終
わると「これは君のだ」といって、署名入りのポスターを返してく
れた。記念にとっておくことにする。

6
 7月26日、朝6時前に学生寮を出て、バスと路面電車を乗り継いて
、カルージュの近くにあるというピアジェの自宅に向かう。
 火曜日の夜、お墓にお参りしたことを事務局のジャックとファビ
エンヌに報告したところ、ジャックが、「ピアジェの自宅がジュネ
ーブ郊外にあってね、公開されていないんだが庭には入れるんだ。
あとで住所を教えてあげる」といって、翌朝自宅住所を教えてもら
っていたのだった。
 その住所をもとにグーグルの地図で場所を確認していたのだが、
あえてそれに頼らず、カルージュの駅から坂を上がる道を、よりよ
い住宅地と思えるほうにさまよいながら歩き始める。道が二またに
なっているところで、至近距離になったと感じたので、パソコン画
面に保存してあった付近の地図と見比べる。あと500mほどのところ
までたどりついていた。

 家の門は針金で固定されていて、すぐに開いた。誰も住んでいな
い大きな二階建ての家の横を通って庭に出た。なかなかに気持ちの
よい、野生味のある庭だ。奥のほうまでいってみたいと思ったが、
草が茂っていて通れない。

 振り返ると家の屋根の上には一匹の猫がいて空を見上げている。
そうか、ピアジェは猫派か。2時間ほど滞在して、学会に戻る。基調
講演はドイツの方言がテーマであまり興味がわかない。

7
 10時半からのバイオリングイスティックの講演は、なんの証拠も
出さずにキャバリスフォルザの言語の系統図を否定する。

 月曜日のピアジェ、前日のリーバーマン、本日のキャバリスフォ
ルザ、僕の参考文献で同一著者から2本の引用文献を記載している重
要文献がことごとく否定されていくのは、どうしたことか。

 質問で「キャバリスフォルザの研究は、何本も論文が出ているが
、まだ誰もそれを批判したのを見たことがない。」というと、「言
語学者は無視しているから批判しないのです」という。「キャバリ
スフォルザは、言語の系統図解析によって、コイサン語が一番古い
ということを言ったところが重要である。あなたの研究では、コイ
サン語はどこに位置づけられるのですか」と質問したら、「私はヨ
ーロッパ語だけを対象に比較している」という。「コイサン語も対
象にすればいいじゃないですか」というと「予算がない」という。
それなら他人の研究成果を否定できないのではないか。あまりにお
粗末だ。
http://www.cil19.org/cc/abstract/contribution/866/

8
 ランチタイムを使って、学会会場の二階にあるジュネーブ大学図
書館を訪れ、ピアジェにちなんだものはあるかと聞くと、ピアジェ
文庫があるという。

 部屋を仕切るガラスの壁には、ピアジェの研究に協力した100人近
い研究助手たちの写真が飾られている。中には遺品や写真とともに
、軽く1000冊を超えるピアジェの著書、編書、翻訳書が並べられた
本棚がある。日本語のものだけでも、50冊以上はある。

 とりあえず面白そうな邦訳書の名前をノートに書き留めた。

9
 14時からはセッション2に出たが、チョムスキー教団に属する二流
宣教師のような発表ばかりで、異論があっても質問する気力がわい
てこない。図書館は18時で閉館し、土日も開かないというので、16
時半からの基調講演をパスして、ふたたびピアジェ文庫に足を運ぶ。

 何か見落としたものはないかと、書棚に目をやるが、邦訳でない
かぎり短い時間で中身を確認できない。手に入りにくい本はコピー
して帰ろうかと考えたとき、WiFiがつながっていることに気付いた。
ここにある本のなかで今日本の古本屋で買えるものがあるか調べて
みようと思って、ネットの古本屋で検索する。『哲学の知恵と幻想
』、『心理学と認識論』などを見つけて、注文した。

 二度目にピアジェ文庫に入って、体が異常にだるく感じだした。
床の上にあおむけになり、そして寝そべって、本を読んだ。ふと目
がいったところに、英語版の「言語と学習」があった。副題に「ピ
アジェとチョムスキーの論争」とある。1975年に二人はパリで論争
していた。

 そういえば少し前に手にとった『精神発生と科学史』の冒頭で、
ピアジェはチョムスキーを批判していたが、あれはいつの本だった
かと調べてみると邦訳が1970年に出ていた。つまりかなり早い時期
からピアジェはチョムスキーを批判していたということになる。

 この「言語と学習」は、出版が1979年だから論争から4年たってか
らの出版ということになる。そしてそれはピアジェの亡くなる前年
である。

 おそらくこの本は、チョムスキー側から果たし合いの申し込みが
行われ、チョムスキー一流の言葉づかいで、ピアジェを打倒した扱
いにするためではなかったか。

 一連の流れから考えると、今回の学会冒頭の基調講演が、言語学
と心理学の歴史的研究という題で、ピアジェに一切触れていなかっ
たことも理解できる。ジュネーブでピアジェ抜きの心理学を講演す
るというのは、挑発であり、聴衆の意識を歪める破壊工作というこ
とになる。

 とにもかくにもピアジェの発言だけをコピーした。突然の疲労感
はこの本と出会わせるためだったのだろうか。

10
 7時からレマン湖上でお別れディナーがあるのだが、その前にピア
ジェの眠る墓地の近くにあるカフェに立ち寄ろうと思って電車に乗
ると、会議参加者の女性と声を交わした。

「あなたのヘーゲマンへの質問、おもしろかった」という。質問の
おかげでだいぶ顔を売ったようだ。

 彼女は現在失業中で、ディナーの券を買っていないという。途中
にピアジェのお墓があるけど、いかないかと誘ってみたら、ついて
きた。きっとピアジェも喜ぶだろう。二度目の墓参りとなった。

11
 翌朝、学会最終日の基調講演は手話の文法の話だった。

 手話を、「サイン言語(sign language)」と呼ぶのは正確ではない。
正確には手話は「視覚に訴える手の記号言語(visual hand-sign language)」
であり、音声言語は、「聴覚に訴える音声の記号言語
(auditory vocal-sign language)」と呼ぶべきだ。そうしないと
我々の音声言語の記号性を見落とすことになる。

 講演は、手話にも文法があり、概念は手の形、文法は手のうごき
の速度や方向で表現されるという。音声言語の場合、概念は単語の
アクセントにもとづく波形で形状であり、文法は、音節の付加や変
化というベクトル成分であり、概念が形状で、文法が運動ベクトル
という点で、手話も音声言語も同じメカニズムを使っている、同じ
分子構造によって担われているといえるのかなと漠然と聞いていた。

 ただ、音声言語の場合は、音素性があるから何万種類もの単語を
無意識かつ瞬間的に別の単語だと聞き分けることができる。手話の
手の形には、音素性に対応するものがないから、何万種類もの単語
を無意識かつ瞬時に見分けられる仕掛けがない。指の形や本数で表
現しわけられる単語の数が限られている。また、アクセントもない
ので、音節数あるいはモーラ数を数えようと思っても無理だ。さら
に、聴覚は受動的感覚器官であるので、記号は勝手に耳に入ってく
るが、視覚は能動的感覚期間だから、ちょっと目をそらしたり、目
をつぶったりすることで、相手の送ってくる記号を見逃すこともあ
る。こう考えると、手話が音声言語と同じだけ効率よく使えるとい
う講演内容には疑義を感じざるをえない。

 これを話してから、『餅屋の禅問答』の話をして、どうすれば示
し手の思っていることを正しく理解した確証を得られるのか、どう
すれば見る側が正しく意味を読みとっていると確認できるのか、と
いう質問をしようと思ったのだが、アンはあててくれなかった。

 まあいいか。相手の思っているとおりに理解しているのかを確認
できないのは、音声言語も同じである。

12 
 講演のあと閉会式があった。「(おそらく事務方のお疲れさん会の
ような)カクテルパーティーは6時半からだけど、それまで何する?
」とサビーナに聞くと、「ピアジェの家とお墓に行きたい」という。
そうかきっとピアジェも喜ぶから、僕が案内してあげよう。

 大学の建物を出たところにやってきたのが15番の路面電車のNation
行きだった。これに乗れば墓地に行ける。先に家に行くつもりだっ
たのを予定変更して、Stand駅から近いプランパレ墓地に行くことに
した。

 めずらしくピアジェのお墓の近くで、お弁当をたべて、木陰で読
書をしている女性がいる。サビーナを案内して写真を撮ってあげた
あと、急に疲れが出て、お墓の横で仰向けに寝転がった。そういえ
ば、荒川修作のバイオスクリーブハウスでも、二回目の訪問のとき
、疲れて寝たことを思い出す。もしかしてこれは疲れではなく、ピ
アジェの霊に招かれたのだろうか。サビーナが墓地の中を散策する
間、ずっとピアジェのお墓の横で寝転がり、少し眠ったようだ。と
ても気持ちよかった。

13
 墓地を出て、ホテル・ティファニーでお昼を食べようと思ったら
、レストランはやってないというので、ビールだけ飲んで休んだ。
それから、15番と12番の路面電車を乗り継いで、カルージュに向か
う。バス停で3つ分の距離だが、20分近く待つことになるので、ジュ
ネーブ大学のバッテル研究所の敷地の中を歩いて、ピアジェの家に
向かう。

 ここでも僕は、サビーナが庭を歩きまわっている間、物置におか
れた木製のベンチに寝そべっていて、また少し眠った。

14
 28日日曜日、ジュネーブの空港で、別の航空会社で日本に帰国す
るところのT大学のI先生にお目にかかるので、立ち話する。「チョ
ムスキーの生成文法によって、言語は本能ということになって、少
数言語の研究が減った。以前よりずっと欧米中心的になってきた」
という。

 会議が終わって一週間たって、8月1日にジャックからメールが届
く。チョムスキーとピアジェの論争について、「本を読まなければ
いけない。対立よりも同意点のほうが多いということがわかるよ」
というのだが、やはり僕には対立点のほうが重要な気がする。
(2013.8.2、8.17一部加筆訂正)
==============================
(Fのコメント)
私も研究所で日本語処理の自然言語研究をしていたとき、チョムス
キーの生成文法とピアジュの発展心理学を参考にしたことを思い出
す。

その2者が論争していたとは、両者は違うがどちらも参考になった
ので、研究の見方の側面が違うだけと思っていた。


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