4743.論語は著者校正を受けていない



論語は著者校正を受けていない
From:tokumaru

みなさま

論語に「学びて思わざればすなわち暗く、思ひて学ばざればすなわ
ち危うし」というのがあります。

これは「学びて思わざればすなわち危うく、思ひて学ばざればすな
わち暗し」の誤りではないかと思うのです。

学ぶとは、何か。
新しい言葉を覚えること。つまり概念の獲得。
概念なしに思考はできません。

放射能という概念をただしく獲得しないと、放射能について考えら
れないように。
思うとは、何か。

その言葉を使って、ああでもない、こうでもない、ああかな、こう
かなと、考えを巡らせること。

思うことによって、新たな概念が、正しい意味で使えるようになり
ます。

さて、巷にあふれる論語と、僕の説と、どっちが正しいのか。

実は論語は、孔子が亡くなってから弟子がまとめたものですから、
孔子も著者校正をしていません。

もしかすると、孔子は、僕の説に賛成してくれるのではないかと期
待もしています。

先日お送りした国際言語学者会議のポスターに、この孔子の言葉を
盛り込みました。

概念は、脳幹網様体に構築される抗原(抗原提示)として記憶され
、それは脳脊髄液中のBリンパ球の抗体と特異的に結びつきます。

こうして概念が獲得されることが、学ぶということではないかと思
うのです。

そして、その概念を使って思考するとは、Bリンパ球の抗体が、ほ
かのBリンパ球の抗原部分と接触して、相互に認識しあい、また、
大脳皮質にあるグリア細胞の抗原提示基を認識することで、過去の
記憶とも整合性をとります。

これが思考するということ、つまり思うということではないか。
孔子が生きていたら、これでよいかとうかがってみたいものです。
得丸
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人類の本性は善である、これは人類に厳しい自己研さんを要求する
From:tokumar
みなさま、

昨夜、会社の飲み会で聞いたのですが、
アメリカは、靖国神社をなくすことを思いついて、それをバチカン
にお伺いをたてたそうです。
バチカンの答えは、それはやめておけだったそうです。

浦上天主堂に原爆を投下したことについても、バチカンの発案では
なかったとしても、やはりアメリカはお伺いをたてたことでしょう。

非常におそろしい話です。
バチカンとアメリカの原罪というか、犯罪ですね。

今、成田空港で、これからジュネーブに出かけるところです。
私の研究の出発点は、人間には原罪があるのかというところで、
これは石牟礼道子さんの「水俣病は人類文明の原罪である」
という言葉に触発されたものです。

そして、結論は、こないだのポスターの最後のところに
かいてあるように、人間の本性は善である、ということになります。

古代中国の思想にも、孔子や孟子の性善説と、墨子らの性悪説があ
りますが、性善説のほうが、より厳しい生活と学習態度が求められ
ます。

これから人類は、自らの性善に気付いて、ひたすら
学習し、研鑽を積む時代になるでしょうか

得丸



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