4736.ベトナムの印象



ベトナムの印象
From:tokumaru

みなさま

特に現地で受け入れていただいた竹下さん、おかげでいい旅行にな
りました。

7月9日から仕事でハノイにきています。

仕事は、ベトナム科学院衛星センターの職員を日本の4大学にまと
めて11人留学させるための下準備といったところです。
文化の違うベトナムの人たちに、日本の大学側の意向を伝えるのは
、なかなか大変でしたが、三日連続してとことん議論することで、
幸いにも、仕事は順調に進んでます。


仕事の合間に街をぶらぶら散歩し、バスに乗って移動しています。
生まれてはじめてのベトナムですが、香港や澳門と同じように、出
会いや場の引力に導かれながら、体感しています。

植民地と共産主義のおかげか、この街に潤いが少なくて、歩いてい
ると記憶喪失になりそうな街並みに感じます。アジアにしてはやや
居心地の悪い街といえます。

まずここは寺などの宗教施設が極端に少なく、散在する池のほかに
市民の憩いの場となる公共スペースがありません。
人々は、朝と夕方、池のそばにあつまって、体操したり、おしゃべ
りをしています。

旧市街には、宗教施設をそのまま居抜きで飾り物の売店にしたとお
ぼしき店もあり、醜悪このうえありません。

唯一のやすらぎの場が、池の周りのわずかな空間です。
ところが一昨日の夕方、旧市街にある池のそばで写真を撮っていた
ら、英語を勉強しているというきれいな女性に話しかけられ、危う
く騙されるところでした。

食事だか飲みにいくと、怖いお兄さんたちに囲まれるという仕組み
だそうです。僕は、仕事の相棒に電話したところ、危ない話だと注
意され、危うく難を逃れました。


大きな道路には庶民向けの既製服店ばかり。ほかには安食堂、銀行
ATM。街を歩いていても、どこも同じ印象を受け、なかなか土地勘
がつきません。

そして何より、この街には文化や芸術の匂いがしません。

そういえば、ベトナムの人で活躍している芸術家や音楽家ってあま
り聞いたことがありません。現代演劇の公演もないし、ロックコン
サートもなさそうだし、息がつまりそうです。
芸術家たちはもうとっくに逃げ出しているのかも。

ここは意図的か非意図的かわかりませんが、想い出が生まれにくい
街づくりという印象を受けました。

べトコンの兵士の霊をとむらう場所にもまだ出会っていません。
ふつうは戦士の霊をあつく国民でとむらうはずなのに。
きっと、戦後史に何か隠ぺいしなくてはならない影があるのではな
いかと思いました。(ソ連との関係?)

また、買い物をすると、外国人には平気で5倍から10倍高い値段
をふっかけてきて、なんら悪いと思わないという心性もけっこうつ
らく感じております。


そのような街の印象ですので、汗でびしょびしょになりながら稽古
する合気道は本当に心と体を癒してくれます。

出張が決まったときに、ネットで調べて道場に連絡をとり、稽古場
所とベトナムの薄手の道着を買う店を聞いてました。

到着翌日の昼休みに道着を買いに店に行って、2着買いその日の晩
から稽古に参加しています。
(現地通貨が弱いので、円にすると一着が約千円です。)
すでに10日、12日、13日と参加しました。

はじめての道場で、思う存分楽しくお稽古ができ、出張の際にはぜ
ひまた稽古にきてくださいと言われたのが、いまのところハノイで
最良の思い出です。

ベトナムでよかったこと、もうひとつありました。

ふつうのビジネスホテルで、無線LANが各フロアにあり、それを使う
と、20MBや30MBの大きなファイルを東京のサーバーにアッ
プロードできるのです。

IEEE(アイトリプルイー)の無線LANの国際標準規格である802.11
 (はちまるにいてんいちいち)の威力といえるでしょうか。

おかげで7月25日に発表するポスターの最後の仕上げをハノイでする
ことができました。

印刷所と往復8〜9回もパワーポイントファイルをアップロードし、
出来上がったポスターを確認するという作業を2週間以上も繰り返し、
やっと出来上がりました。

作成にとりかかったのが6月上旬でしたから、一か月以上かかりました。

英語版ですが、みなさまにも見ていただき、ご意見をいただければ
と思います。

ひとつは、「概念の分子構造」、もうひとつは「文法の量子生力学」
という副題です。

得丸
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(Fのコメント)
ベトナムでのホーチミンは印象が違う。得丸さんには、ホーチミン
市にも行って欲しいものである。また、古都フエも雰囲気が良いの
でオススメである。
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From: Hiromi Sodekawa
神父様はパーキンソン病のため、これまでのような活動はできなく
なっていますが、先日、叙階から25年のお祝いのときに、「まだ
、無理をすれば、少しは何かができるので、どうぞ(自分を)お使
いください」などと言われ、皆をはっとさせました。


ごあいさつ

本日はJYD記念オーケストラ&合唱団の第22回演奏会にお出でい
ただき、ありがとうございます。今回演奏されるミサ曲を選曲委員
会で選んだのは、大震災が起こってからまだあまり時が経っていな
くて、しょっちゅう余震の揺れを感じていた頃でした。そんな中で
選んだのが“Missa in Angustiis”、直訳すれば「困難の中でのミ
サ」「窮乏時のミサ」「行き詰まっているときのミサ」です。※注

私達はその後、今に至るまで、復興の希望を持ちながらも、何か大
きな圧迫感というか行き詰まりのようなものをたびたび感じながら
過ごしてきたように思います。本当は危険なのに「安心安全、安心
安全、安心安全…」という呪文を何回も繰り返すことによって安全
神話を作りあげてしまう偽預言者や、逆に、ありもしない危険を大
袈裟に誇張して、軍備を増強し、再び戦争に向かう道に国民を導く
ような不賢明な為政者があらわれはじめているように感じているの
は私だけでしょうか。

そういう状況において私たちは「不安」や「悲しみ」の中に飲み込
まれてしまい、また、その中にどっぷりと浸かったまま抜け出せな
くなってしまう可能性もあります。
しかし、“in angustiis”というタイトルのついたこの曲に取り組
んでみると、曲の冒頭の”Kyrie”の叫びが、確かに「困難な状況」
を訴えていると思いますが、その後の曲想は決して暗く行き詰まっ
た感じのものばかりではないことに気づくことになります。
そこで私はこの曲のタイトルの私なりの訳を次のように決めました。
ミサ《困難の中にあっても》、あるいはミサ《貧しくたって》、ま
たはミサ《行き詰まっても》。…どうでしょう?
ところで、ミサ曲ではGloria の最初の部分と最後の曲の最後の部分
に「平和」ということばが歌われます。ラテン語では“pax”
あるいは“pacem”という言葉ですが、もともとのヘブライ語では
「シャローム」ということばで、実は「平和」だけでなく「健やか」
「元気」などの意味も含む力強い言葉です。そして、その平和は単
に争いごとがない状態を表すのではなく、人が生き生きと生かされ
ている状態をあらわすことばです。たとえこの世界が絶望的な状況
に陥っても、その中で人は生かしあいながら信頼と希望と愛をもっ
て進むことができると信じたいと思います。

“Dona nobis
pacem”「わたしたちに平和をお与えください」。この言葉を目指し
て歌い進んでゆくミサ曲を、困難や行き詰まりの中にいると感じて
いるすべての人のために捧げて、この演奏会の祈りの中心にすえた
いと思います。

※“Missa in Angustiis”=チラシには、ある音楽辞典に従って「
深い悲しみのミサ」と訳が書かれていましたが、angustiae
(もっぱら複数形のみ使うので、辞書にはこの形で出ています)と
いうことばの意味は、■ 狭い場所・隘路、■(呼吸などが)短いこ
と、■ 短言小話、■窮乏・貧困・欠乏、■ 狼狽・当惑・困難、■ 
狭く堅苦しいこと、■ 細かいこと・こせこせしたこと、であり、
ango, -ere (=狭める、圧縮する、締めつける、苦しめる)という動
詞から派生した形容詞angustus
(=狭い、窮迫した、簡素な、息の短い、欠乏した、困難な、狭量
な)から更に名詞化したもので、人間の個人的な感情よりも、人間
を取り巻く社会や世界の状況を言い表すことばといえる。

くどくどとした文章になり申し訳ありません。忍耐をもってこの「
あいさつ」を読んでくださった方、また、回を重ねても相変わらず
未熟な私たちの演奏を最後まで聴いてくださった方に感謝いたしま
す。

JYD記念オーケストラ&合唱団顧問
レデンプトール修道会
鈴木敬一神父





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