4719.構造主義言語学



From: 小川 
皆様
 
慶応大学三田での鈴木先生の講演に夫婦で出かけました。先生は母
校の学生に向かってますます元気になられたいつものかつ弁で2時
間があっと過ぎました。内容もいつもながら新しい発見をさせられ
る話題が入っていました。
今回は、鳥のことばの話のほかに、めずらしく現代言語学の主流と
なっているチョムスキーの基本語理論についての批判がありました。

「言語は論理ではない。深層構造はすべて言語を通じて共通である
とする理論には無理がある。」
 「論理は、人間と本質的に無関係に流れている物事の理屈である。
人間には作り出した独特の世界があって、無色透明の人間抜きの自
然科学的な素材に還元できるものではない。」
「言語という中間世界・・・、人間には、周りに外界刺激を吸収し
てくれる目に見えない膜のようなものがある。Shock Absober
であり、混沌の世界を言語と言う中間世界によって人間にとって有
意味な人間的世界に構築するもので周辺の環境とか文化によって築
かれるものだ。」
 
「言語には”気合”のようなものが必要である。言いたいことをし
ゃべりたいという強い本能的
パッション、強い念力のようなものが必要である。」
 
「異なる環境に住む人間にはそれぞれのことばが使われている。湿
気の多い日本人には”Water”では表現できない水を表現する
言葉がたくさんある。(お湯、湿気、。。。。)同様エスキモーで
は氷を表現する言葉が沢山ある。世界の言語を1つにしようとする
には、膨大なエネルギーが必要になる。現在の世界はバベルの塔や
イカロスのようなことをやっている。」
 
私なりの理解でメモしましたが、この「中間世界」の話を纏めて話
したのは余りないといわれていました。(一部は放送大学「ことば
と環境」「言語学が輝いていた時代」で紹介しているが集中して話
したのは今回が初めて)
 
タカの会のメンバーも5-6人参加されていた。偶々、講演前にキャ
ンパスで休んでいたら先生から声をかけられ慶応のイチョウの木の
保護の話などしていただき私も家内から高い評価を獲ました。
「中間世界」の話については先生の次回の著作が楽しみです。
 
小川
==============================
From: tokumaru

小川さん、

鈴木先生の講演の報告ありがとうございました。

しかし、その内容は非常に残念な内容といわざるをえません。

九官鳥に「エサ」、「ミズ」という記号を教え、いちはやくローレ
ンツやティンバーゲンの業績を評価された鈴木先生とは思えない内
容です。


私は、ヒトの記号もヒト以外の動物の記号も、生理メカニズムは共
通で、違いは唯一、文法にあると考えています。

チョムスキーは行き過ぎなのではなく、行き足りないのだと思います。

得丸
==============================
得丸さん
 
このあたりのチョムスキーに対する批判は、「言語学が輝いていた
時代」P190〜P200あたりに田中克彦氏との対談で議論して
います。田中氏も鈴木先生と同様の意見のようです。「中間世界」
の考えは鈴木先生の全くのオリジナルではなくフンボルトの研究に
もあったものだったが、ナチスの国粋主義的な言語学になったため
に憎まれて忘れ去られてしまったものであるが見直すべきであると
いう流れのものです。
私なりに整理すると
 
命題
“意味の生成を言語という「中間世界」によって人間にとって有意
味な人間世界に構築する”
 
チョムスキーは“生得的な普遍的な言語能力がまずあって、それが
実際の人間の諸言語となるときにいろいろな有限個の要素が違った
ように結ばれ違った段階で出てくるために、世界に6000も違っ
た言語がある。しかし元は1つだ。言語の内的論理によって新しい
文章が教わらないでも出る。不変、普遍の深層構造があってその基
底の上に言語的に生成された表現がいろいろ出てくる。生成する文
法がある。」という考え
 
フンボルトは“言語は出来上がった作品ではなくてエネルギーであ
り、エネルギーというのは絶えず作りつつあるものである。言語は
現実をありのままに映し出すような写真機のようなものではない。
現実を把握するのは論理ではなくて言語であって論理とは別のもの
である。言語独自の世界、言語の中間世界がある。言語は現実を中
間世界のなかで処理するものである。”
 
鈴木先生も言語の起源の研究には、従来の言語学の範囲のみならず
脳科学、人類学、分子生物学の知識が必要であるとの意見では同じ
考え。
 
私は“言語は「文法」のみで作られるものではなく環境によって作
られるもの”という意見をとります。例えば“インドの狼に育てら
れた少年がことばを話せなかった。狼のうなり声しか出せなかった
”事実をどう説明できるのでしょうか?
 
最近の人類学のいろいろな研究で言語機能の源泉を脳内にある“ミ
トコンドリアDNA”とか“FOXP2遺伝子”の発見とかが騒が
れていますが、いかに生物的にそれらのものが準備されていても人
間単独では“ことば“は成立しないものと思います。社会なり他者
が必要なのだと思います。
 

小川
==============================
小川さん

小川さん、ていねいなご説明ありがとうございました。

「中間世界」という言葉、それがいったい何を指すのか、非常に興味深いです。

カッシーラーが死ぬ直前の1945年にニューヨークで行なった講演を思い出しまし
た。(僕もこの講演が気に入って、2年前に予稿で引用させてもら いました。)

「言語学は記号学の一部であり、物理学の一部ではない」といって、「言語を物
理世界から分け隔て」ます。

しかし、これは記号とは何かがわかっていないから、記号の論理学、記号の物理
学が何かをわかっていないから、そう言ったのだと、後になってから、 思いま
した。

心や中間世界といった、目にみえない、わけのわからないことを科学に取り込む
のは、生気論の系譜に属する考え方です。説明のつかないことを、モヤ モヤし
た言葉で表現してゴマカすのです。

カッシーラの誤りと、鈴木先生の誤りは、同根です。


もし今カッシーラが生きていたら、講演をこのように訂正すべきだと思います。

「言語学は記号学の一部であり、それは目に見えない物理学、つまり量子力学に
よって作用している。

パブロフの条件反射、ティンバーゲンの生得解発機構は、同様に記号の研究であ
るが、ヒトの言語はその記号のメカニズムの発展型である。

ヒトの記号メカニズムが、ヒト以外の動物のそれよりも発展しているのは、ティ
ンバーゲンが示したように、動物の記号反射は、刺激の運動ベクトルに 対して
も起きている。しかしヒトは、その機能を論理ベクトルに転用して、文法的接続
(ランガージュ・アルティキュレ、文節)を可能にして、複雑な 内容を伝達でき
るように進化したことである」と。


荒川修作の意味のメカニズムのなかに、逆転可能性という図式があります。(添付)

意味の論理ベクトルとは、「太郎と花子」、「太郎か花子」、「太郎も花子
も」、「太郎が花子に」、「太郎が花子と」といったごく短い表現を耳にし て
それだけで、「太郎」と「花子」の関係を無意識に理解していることをいいま
す。わずかな音韻が、我々の意識の上で、概念と概念をベクトルで結 ぶ。


古今東西の言語学を調べましたが、言語学には、文法論と抽象概念論がまったく
存在していません。

チョムスキーは、「生成文法」論を唱えたところまでは、ある程度評価できます
が、残念ながら、結果的には追随者を不毛な世界に囲い込んでしまっ た。

記号に文法を有するのは、ヒトだけですから、ある程度、仕方ないといえますが。


構造主義言語学は、もっともっと言語の秘密に迫らなくてはいけなかったのだと
思います。

「エサ」と「ミズ」を覚えた九官鳥が、「エサとミズ」、「エサかミズか」、
「エサもミズも」というのを、理解できるかできないか、そういった実験 が
あってもよかったと、後から思うのです。


得丸


現代言語学における構造主義 (1945)

言語学は自然科学かという問いに対する私の答えはきわめて単純である.

自然科学とは何か.物理的対象を取り扱う科学である.

物理学者や化学者は,それらのものの属性を記録し,それらの変化を研究し,そ
の変化を引き起こす法則を発見する.

言語現象も同様に研究することができるかもしれない.我々は音を大気の振動と
みなし,音声の生理学を様々な音声を生みだす器官の運動とし て表現できる.

しかし,これらをすべて行なっても,ヒト言語を物理世界から分け隔てる境界線
を越えるに至らない.言語は「記号的形態」である.それは記 号からなり,記
号は物理世界には属さない.それらは会話というまるで異なる宇宙に属してい
る.自然の物性と記号は同じ基準で扱えない.言 語学は記号学の一部であり,
物理学の一部ではない.



コラム目次に戻る
トップページに戻る