4696.「資本主義という謎」



「資本主義という謎」、けっこう重たいけど、読む価値大です。
レジュメの第一弾
得丸

大澤真幸・水野和夫著『資本主義という謎』2013年5月31日
近代文明論は資本主義論に集約される。次の新しい文明をつくりだす時が きて
いる。
                                得丸公明

1.本との出会い:6月テキストの著者高瀬毅さんから4月14日に熱く紹介され
た。読んでみると、社会学者と経済学者が熱く資本主義を語り合っていて、3度
読み返しても足りないほど、論点やヒントがちりばめられている。

p13 「問うこと、問い直すこと、問いそのものを置き換えていくこと」が回答
よりも重要だと大澤はいうが、問い続けることで 自然と回答は見えてくるもの
だ。熟読熟思せよ。

2.本書の意義・現在性:ローマクラブが「成長の限界」を唱えて40年以上が経過
したのに、マネタリストやネオコンの口車にのって無自覚に成長路線を求めたこ
とで、周期的バブルと世界規模の貧富の格差拡大を生み出している。近代文明
の失敗は、資本主義という特殊な思想・行動様式にあることを理解して発想を転
換し、次の人 類文明(人間の意識の成長、「天命反転」)に進みなさい。

3.資本主義とは何か:
1)資本:お金の純粋論理表現。物理的には存在しない。お金がそもそも物理的価
値ではなく共同幻想的な交換価値を体現する 便宜的・論理的なものであるか
ら、その純粋論理的な「資本」、「資本主義」については、これまできちんと議
論が行なわれてこなかった。形 而上的存在である資本を扱う形而上学(論理学)
が存在していない。

P212:貨幣に関する新しい理論が必要なのにない。213今までは、あくまで国内経
済が先にある。私の感じですと、まず最初に世界経済がある。しかしその世界経
済のフレーム ワーク自体を説明する手法が、まだ存在しない。

2)資本主義の特徴: 選民思 想と暴力的略奪、強欲な資本の自己増殖論理
i)近代以降に登場した人類史の歴史的にみて、きわめて限 定された行動様式

ii)非対称。儲ける人と儲けない人がいる。「恩恵を享受で きるのは全人類では
なく、限られた割合の人たちだけ」「15%対85%原理」(p25)。相互 性がない。ユ
ダヤ教やキリスト教の選民思想の表れ。ウェーバーも指摘?。

iii)周辺=外部(収奪す る場)・フロンティア(収奪の最前線)を必要 とする。暴
力的な収奪が前提とされている。資本主義の始期が地理上の発見と重なるのもそ
のため。グローバル化によって世界がひとつになっ た現在は、内部植民地化し
て自国民を収奪対象としている。(サブプライムローン、派遣社員)

iv)強欲。資本の自己増殖=金利を認める。自らは収奪しておいて、人に貸すとき
には金利を取るのか。論理的な金が物理的な果実を生むことが前提。 この資本
の論理そのもの(つまり資本家の意図にかかわらず)が人間を不幸にしているので
はないか。

4.第1章 な ぜ資本主義は普遍化したのか?
1)資本主義が普遍的であるということではない。 人間は動物の仲間である、人
間を生命進化のなかに位置づけてとらえる伝 統的思考を忘れて、他者や自然か
ら略奪して金儲けすることを是とする欲に目のくらんだ人間が増え、世界に広
まっただけ。

2)大澤の議論は、安易なアナロジーで資本主義を「最後の選択肢」、前提、必要
悪として肯定するが、これは資本主義の本質(選民思想と暴力的略奪)まで理解で
きていないからであろう。

3)デカルト革命(p53)は、 どう資本主義に貢献したのか。「我思う故に我あり」
という自己中心的な論理で、間違った論理に基づいて強引に自己正当化する合理
主義。デ カルト自身、「方法序説」で「どんな利口な動物より、最低の知性の
人間のほうが偉い。なぜなら文法を使うからだ」と述べている。明らかな 間違
い。文法は、知性の証明ではなく、母音を獲得したヒトがもつ情報を表現するた
めの論理スイッチ。文法を使うことによって、ヒトはDNAの生得知からますます
疎外され、学習を義務付けられた のに、学習しないから近代文明が滅びたのだ。

4)資本主義がヨーロッパで誕生したのも、ユダヤ=キリスト教の選民思想(ア フ
リカや南米の人間を殺戮しまくり、奴隷として売る)と、誤った論理で自己を肯
定する神学=デカルト主義のおかげ。プロテスタンティズムは、ユダヤ的強欲が
カトリックの伝統・桎梏(利子への憎悪)を解き 放った思想運動、お金のカルト
集団と考えてよいのではないか。「キリスト教と資本主義は、ほとんど一体」(p78)

5)「会社はだれのものか」(岩 井克人p69) かつて森嶋通夫が日本においては会
社は資本家のもので はなく、企業官僚の所有にあると論じた。日本的経営は、
強欲な資本主義を日本的風土のなかで手なづけたものだったのかもしれない。

5.21世紀の利子率革命:投資機会がもはやない。
1)グローバル化して地球上からフロンティアが喪失した。自由に収奪できるもの
が、地球上に残っていない。

2)内部植民地へ 「リーマンショックと3・11は、グローバル経済の浸透にと
もなって先進国の内部に「中心/周辺」の関係がつくり出されていることを顕わ
にした」「原発では、東京(中心)と福島(周辺)の非対称な関係性を、安全神話や
無限のエネルギー、そして雇用の再創 出、交付金・補助金というイデオロギー
が結びつけた。サブプライムローンも同様で、ウォール街(中心)と低所得層(周
辺)を「今すぐ中流階級になれる」というイデオロギーが結びつけた」(p87)

6.第2章 国 家と資本主義
1)「資本主義の出発点では、絶対君主=資本家のようなものだと言いました。し
かし本質的には、資本主義にとって国家は不可欠ではなくて、都合のいいときに
た またま組んでいた」「今の局面で言えば、資本主義から見ると、国家はもう
都合が悪い存在、足手まとい」「資本が国境を容易に超えるとき に、国家は邪
魔者になる。逆に、容易に国境を越えられない場合は、資本主義は国家を利用」p105

2)資本は世界資本になっている。国家は土地から離れられない。P107

3)統計も国家単位でしかない。(p105) 一時多国籍企業論あったが、発展しな
かった。これは資本主義が自らの姿をさらさないため、研究を奨励しなかったか
ら か。

4)たしかに国家が資本を助けている部分はある。しかし資本は自由に国境を越え
ていく。*1995年*以降、国際資本の完全移動性が実現して、資本帝国と国
家の関係は、圧倒的に前者が強くなった。P112 ⇒ いったい1995年に何があっ
たのか。

5)いちはやくバブルでつまずいた日本は、蒐集システムではないシステムの構築
に専念すべきp125-6  資本主義でないシステムを構築せよ

6)中国は日本以上に「過剰・飽満・過多」に向かっている。内需だけではとても
吸収できない過剰資本に陥る。P127 近代社会の幕引きは、中国。P128 新しい
ものはまだ生まれてないp138

7.第3章 長 い21世紀と不可能性の時代 
1)長い16世紀と 長い21世紀の対比は、興味深い。P143の表。これからカオスが
来る。

2)出版資本主義が、プロテスタントを勝者に導いた。P161 これが資本主義を世
界展開するときの支えとなった。

3)日本のカタカナは、漢字文献を読むための補助ツールとして生まれ、ひらがな
は、和紙に墨と筆で手紙や和歌を送るために 生まれた。日本の出版は、宗教的
目的よりも、和歌や俳句や小説や日記など庶民の教養のために発展した。詩心を
伝達する手段として文字や出 版が繁栄した日本文化は世界に誇るべき。

4)p168 土地の所有権は、アメリカの自由の根幹。しかし黒人奴 隷という大きな
原罪をもつ。

5)p172 中国の繁栄の先には世界デフレが  もうまもなく やってくる

6)p178 失われた20年、ドンキホーテの世界だった:「蒐集」の時代は終わりつ
つあるのに、近代価値観に拘泥した「成長戦略」という竹槍 で、ポスト「蒐
集」の時代に立ち向かおうとしているのが今の日本。

7)時代区分1945-1970 理 想の時代, 1970-1995 虚構の時代 1995- 不可能性の
時代「長い21世 紀」は虚構の時代とともに始まる。1973年石油危機、1975年サ
イゴン陥落=虚構の時代:お前はもうすでに死んでいるのに、それに気づいていない

8)赤坂真理「東京プリズン」p18880年代こそ夢や幻で、90年代のほうがリアルで
はないか。地に足のついていなかったのが虚構の時代

9)利子率革命、利子のない時代は、資本主義的に動きたくても動けないp189 地
球規模でのフロンティアの喪失

10)p192 近代社会で、宗教の代わりに全体の土俵の機能を果たし ていたのは、
経済。つまり資本主義の強欲経済が行動様式を規定した。

11)p196 経済成長の時代は終わった。「成長しないシステム」と は。

12)そうではなくて、何を成長させるかを考えるべきではないか。人間性を成長
させる。江戸期の日本は、牛馬の使用を抑制し て手植えにした。江戸期に答え
があるかも

8.第4章 成 長なき資本主義は可能か?
1)「資本主義に未来はあるのか。あるとしていかなる未来なのか。」p200 この
問いかけは無意味。無理に決まっている。成長=略奪・収奪であるから。むし
ろ、資本主義に代わる未来は、どうすれ ば構築できるのかと問いを変えるべき。

2)反グローバリゼーションも、中途半端。資本主義を超えていない。

3)貨幣数量説は、国際資本の完全移動によって破綻している。

P212:貨幣に 関する新しい理論が必要なのにない。お金が国境を越えるという事
態が想定されていない。

213近代経 済学は一国単位の経済学だった。貨幣が貨幣を生む自己増殖過程に入
ると、貨幣の量なんてまったく把握できない。株式交換で企業買収ができ るよ
うになると、どこまでを貨幣とするかの定義もできていない。今までは、あくま
で国内経済が先にある。

私の感じですと、まず最初に世界経済がある。しかしその世界経済のフ レーム
ワーク自体を説明する手法が、まだ存在しない。

4)失われた20年は、 日本固有の現象ではない。p215 世界規模の現象

5)大澤「資本主義は最悪だが、それよりよいシステムはない」p230というのは、
イカサマ。人を惑わす言葉。資本主義ではない、よいシステムを考えろといえば
よい。

6)大澤の最大の過ちは、p237「科 学は真理の集合ではない。仮説の集合」「科
学に最終的な真理はなかった」 科学において目にみえない真理(量子力学)を正
しく意識に構築する手法が必要。公理的手法。

9.第5章  「未来の他者」との幸福論
1)悲惨な現状:資本に必要とされない人は、物理的にも精神的にも貧困となるp248

2)景気回復は株主のためであっても、雇用者のためではないp251

3)時価会計、連結会計、税効果会計を導入して未来の富を先取りp272

4)今のシステムには未来がない。P276

5)『桐島、部活やめるってよ』の示唆するもの。閉塞感、勝ち組と負け組の自
覚、「桐島が俺たちの代わりに救済されてい る」という感覚、

6)桐島の不在をどう受け止めて、これから生きていけばよいのか。

10.これからどのような文明を構築するか

1)本書は資本主義のシステムに未来がないこと、救済の慰めとなる桐島すらいな
いことを述べて、そこで終わっている。

2)次の文明をどう築くのか、何に手本を求めるのか、示していない。

3)江戸期の日本は世界の手本になるだろう。しかしそれは、日本という高度に詩
歌や小説などの文芸と、剣術など身体技法が 発達した国だからできたこと。簡
単ではない。

4)荒川修作の天命反転は、ヒトの意識構築のメカニズムを解明し、どうすれば効
率よく、思い通りの意識を獲得できるかを示 した。これもヒントあるいは答え
になるだろう。

5)資本の恐ろしさは、資本家の意図に関係なく、資本の論理が人間の行動様式を
支配して、差別と収奪を拡大して滅びに向う ところにある。麻薬のような宗
教。それを自覚して、資本主義を否定して、次の文明を考える必要がある。

As of 29 May 2013
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「成長なき資本主義」の彼方
From: 松本
皆さん
ながめただけでしかありませんが、その限りで感じたことをいくつか。

1)資本主義がその生命線ともいうべき成長が不能になってしまった時代が
現在であり、これは不可逆的との時代把握は、「我々」(?)の間では
もはや常識とはいえ、エコノミストである水野和夫までが
そう考えていることがわかったのは収穫。
2)そうであるかぎり今をときめくアベノミクスなるものが本質的に愚劣であり、
あらかじめ破綻していることを見抜いている点も二重丸。
3)カール・シュミットが「20世紀に技術進歩教とも言うべき宗教が誕生した」
と書いているとの紹介も収穫。余談だが、吉本隆明もこの信者から死ぬまで抜け
られなかったということだろう。
4)ただし、中国の現状と今後の見通しについての論は甘すぎだし、面白からず。
グローバル資本主義が世界を覆い尽くしている危険に満ち満ちた現代システムを
遠からず崩壊と破局に導く最大の要因が中国であり、アメリカであることを
もっと厳しく、ラディカルに語り合うべきではなかったか。
「成長なき資本主義」を力説するのである限りは、だ。
5)あわせて「経済成長なしの資本主義の可能性を思考実験してみる」という
本書対談企画のテーマもよく考えてみれば本質的には余計な試み。
成長なき資本主義というおさえ方はいいが、そこに可能性などあるわけがなく
むしろ経済体制含めて、まるごと大破の時代に入ってしまっているのであり、
だからこそ「下山の時代」が始まっているとの認識と開き直りが求められるのでは
ないか。
大澤が「実存」の問題(p244)と言ってることと触れ合うところでもあるは
ずだが、そのあたりの軸足が定まっていない印象。
「実存」という言葉に久々に触れたのも収穫ではあるが。
6)水野の「あとがき」に書かれている鈴木忠志主宰の「有度サロン」には共鳴。
思えば、タカの会も鷹揚も、これに通じるサロンと言っていいはず。
7)20世紀のいつごろから、そうなったとみているのか、尋ねたいところだが、
「世界は病院」との鈴木の基本認識にも全く同感。このことを知ったのも収穫。
たぶん高度経済成長と消費社会化が始まり、それをエネルギー的に支えた原発が
日本列島の過疎地に次々に設置されていったあたりからではなかろうか。
8)「資本主義を否定して、次の文明を考える必要がある」との得丸さんの結び
には大賛成。ただし「資本主義は否定」できるものなのだろうか。あるいはそう
言うことに何か意味がありうるのだろうか?否定しても否定しても否定しても
だらだらと続いて、地球と人類を滅亡に導く資本主義の体内で、「実存」的な変
革の企てを多様に試みていくのが、せめてもの救いであり、快楽的な生き方では
ないだろうか。それが下山の思想を深めるということでもあろう。
個人的には好みに合わないが、得丸さんが高く評価している荒川修作の「天命反
転」の道もそのひとつだ。
9)最後に、1960年代中盤、日本が60年安保と三井三池闘争の後、
高度経済成長と大衆消費社会化に邁進していく時代に、大正炭鉱で「しんがり戦」
を闘い抜くなかから、資本主義否定の不可能性を悟り尽くして、筑豊からテック
=ラボへと転身した谷川雁のことばを紹介しておくことにしましょう。
「おもうに資本制への抵抗体は、それ自身のままでいつか資本制の外界に出るこ
とができるという信仰こそ、無数の革命思想を形而上化したつまづきの石であっ
た。だが、資本制の外と見える領域は、実は私有制の公然たる照明のとどかない
資本制そのものの内臓部分にすぎず、国家権力を奪取しようとしまいと、すべて
の抵抗体は私有制の時期遅れの戯画となるか、それとも私有制の進行の先駆とな
るか、どちらかに帰着する運命を持っている。しかしながら、資本制内部の照明
はこのような抵抗体によってしか先進坑道を掘ることはできない…」
(「わが組織空間」1964年12月)
テック=ラボが、はたして雁が想定した「先進坑道」になりえたかどうかは
別途検討が必要なところですが。
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From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様、

レジュメは得丸だけが用意してきましたが、感想・自由討論のとこ
ろから、はじめてみました。

1 概念の理解および定義をめぐって

 石川さんが「蒐集」という言葉がわからない。と、口火を切りました。

小川さんが「グレートジャーニー」の見学で心に残った ヤマノミ族の互酬やわ
ざと取り残す行動様式について語られました。

アメリカでは、所有ができなくなりつつあり、なにごと もレンタルですます風
潮が広まっているそうです。

豊田さんから、「蒐集」は、所有してお互いを認めると いう相互承認の意味を
もつのではないかと言われました。

得丸は、単純に「蒐集=収奪」と読み替えて読んでい る。礼儀や相互性がな
く、暴力的に奪ってくるところに西洋キリスト教社会の選民思想を体現した資本
主義の特徴がある。

小川さん:「海賊」みたいなものですね。

ほかに概念としては、資本主義の普遍性を論ずるために は、「資本主義」の定
義をきちんと行なわないと議論が空転する。(得丸レジュメ参照)

「デカルト革命」の意味がわからない。(得丸レジュメ 参照)

「成長」とは何か。石川さん「回転の速さ」という意味 があるのでは。得丸
「外部から奪ってきて自分のものにすることではないか」

2 資本の論理
 1986年にパリで感じた、人間の顔のみえない資本の論理。

小川さん「トヨタだけ一人勝ちしていて、周りが利益還 元せよと迫ったとき
に、トヨタの担当者が考えていたことは、その収益を再投資して、さらなる収益
を得ることだった。」

資本が金利を生むというところに、資本主義の本質があ り、それが人間を狂わ
せ不幸にしているのではないか。

3 資本主義の普遍性

 これは日本でも資本主義は生まれえたという説と、資本主義は西洋キリ スト
教の選民思想と金利肯定にもとづく近代西欧的なものであり、相互持合い・系
列・労使協調・便宜的労組などの日本的経営は、資本主義を 土着化したのでは
ないかという説に分かれました。

4 唯一絶対神と西洋近代科学

私は、資本主義の問題は、神は存在するのかという問題 と結びつくと思う。

20世 紀以降の科学は、五官で感知できない量子力学、分子生物学の領域に入っ
てきた。バチカンは、それらの科学者をいちはやくノーベル賞や教皇 庁科学ア
カデミーのメンバーとして取り込み、真理をヴェールで隠蔽しようとしてきた。

「シュレジンガーの猫は生きていると同時に死んでいる」といったわけの わか
らない命題で、人々の意識を狂わせ、目に見えないところにある法則性、メカニ
ズムの解明を邪魔している。物理学は、次々と新しい理論 を引っ張り出してく
るが、前の理論との整合性も誤り訂正もしない、「片付けられない症候群」である。

 チョムスキーも、マナグア講義録のなかで、「デカルトの難題の解明を 「人
間の知的能力の範囲外」であり,「神 の介在なしにはあり得ない」と述べ」て
いる。これも同様に真理を隠蔽する工作である。

一神教の誤りを露呈するからだ。近代科学自体が、キリ スト教の生み出したも
のだから、ある意味それも仕方ないのかもしれない。我々が近代科学のよいとこ
ろ、悪いところを、丁寧に読み取って、 その成し遂げていないことを継続する
必要がある。

目にみえない世界の科学は、論理学としてのみ成立しう る。そのことの重要性
を荒川修作は示している。

5 資本主義を乗り越える思想

 南さんの「ヨーロッパ人の心」という西洋哲学史についての著作で、 「哲学
は神学の端女(はしため)」であったことを知ったが、「経済学は資本主義の端
女」である。だから、金利の専門家である水野氏がいち はやく資本主義の限界
を感じたが、他の経済学者は資本主義を乗り越えられない。

 本書も結論はない。資本主義の後に何がくればいいのか、まったく提示 して
いない。

 資本主義は、松本さんの言われたように「だらだら続くのか」と考えて みた
が、「いや、すでに終わっている。今は終わりきるまでの一瞬のなかにいるの
だ」と思う。

 盛さんが、「デフレは成長じゃないのですか。安くなって、性能がよく なっ
たものが増えている。これは成長と言わないのですか」。

これが本日のMVP発言。

 経済指標によって数値化しないところで、成長はありえる。その可能性 に目
を向けよう。

以上
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鷹揚の会の皆さま、

夕べの会話、じつは2時間ですから、もっといろいろと飛んだのですが、
ひとつ思い出したのは、「毛が三本」の話。

昔から日本では、「サルは、ヒトより毛が三本少ない」だけの存在と
思われていました。

DNAが99%同じというのと、似てますね。

Human Minus Three Pieces of Hair で検索したら、昨年感染症の
研究誌で、「ヒトより毛が三本少ない」というタイトルの論文がありま
した。

アフガンでサルに噛まれると、狂犬病、B型肝炎、破傷風、マラリア
に人間が感染するという話です。

http://wwwnc.cdc.gov/eid/article/18/10/ac-1810_article.htm

ヒトとサルは、おそらく生物的にはほぼ100%同じつくりになっていて、
違いはヒトは肺からの空気を口から出すことができる。そしてそれに
よって母音を出せることでしょう。

母音の力によって、文法が可能となる。

「太郎と花子」、「太郎も花子も」、「太郎か花子」、「太郎が花子に」
「太郎を花子に」

Taro and Hanako, Taro or Hanako, Taro to Hanako, Taro by Hanako

といったわずか一音違う音韻列を耳にして、まったく違ったことを
イメージできるのです。

この機能を使って、ヒトは、概念を相互に関係づけあいながら表現する
ことができるようになりました。

そして、その延長として、抽象概念(物理的存在をもたない概念、論理概念)
を獲得したのです。

この抽象概念について、言語学はこれまでほとんど何も議論してきま
せんでした。

「資本主義」の謎は、抽象概念であることによって、言語学的にも封印され
てきたといえるでしょう。

得丸
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得丸さま、鷹揚会のみなさま、

昨日は読書会にて資本主義の謎をとりあげ、おめでとうございます。
なぜ、おめでとうか、解らないのですが、そのような気持ちです。

<アメリカでは、所有ができなくなりつつあり、なにごと もレンタ
ルですます風潮が広まっているそうです。

お!さすがアメリカ、新世界!そうなんです、所有なくて済むんです。
企業は貸せばいいし、それに対しての保険もかければいいし、半年、
1年、2年のリースで旧タイプを回収しリサイクルして、リースでどん
どん新製品を貸し出せばよいと思います。所有を止める時に伴う「喪
失感」とも、もはや、さようならの時代ですね。
そして、所有するものは、旧世界(ヨーロッパ)のように、買ったら
、5代使うんや!
スピリットに、気がつけ、みんな!1つの中で二極化すると思います。
祖父母の代の形あるものを孫の代まで合計5代は引き継いでスピリット
と、レンタルスピリットと。
バランス感覚、磨かれるのだろうなぁ。新しい世界です。

<本書も結論はない。資本主義の後に何がくればいいのか、まったく提
示 していない。

 未だ図書館の予約待ちで借りれませんが*読む前から結論は書いてい
ないだろうな、かけないだろうな、と予測していました。やっぱり、
と思いました。*

<資本主義は、松本さんの言われたように「だらだら続くのか」と考えて
みたが、「いや、すでに終わっている。今は終わりきるまでの一瞬の
なかにいるのだ」と思う。

同感です。”今は終わりきるまでの一瞬のなかにいる” 私も感じてい
ることです。言葉にされたことが、凄い!です。

<盛さんが、「デフレは成長じゃないのですか。安くなって、性能が
よくなったものが増えている。これは成長と言わないのですか」 これ
が本日のMVP発言。

盛さん、凄いですね!本当にそうです。

<経済指標によって数値化しないところで、成長はありえる。その可
能性 に目を向けよう。

ロスジェネ、バンプ世代は既に目を向けています。心強い限りです。
国の経済指標を数値化するのなら、一人(あるいは一世帯)づつ、是
非とも予算生活の家計簿をつけて、それで白書を作って国際社会で競
争して欲しいですー。時間をかけて取り上げたいワークなんです、家
計管理と、時間管理、食事の記録。(命の使いところの数値化ですね
。)この2年、雛形を元にエクセルで管理して、家計と時間の流れが
把握できつつあります。

堀田順子拝

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