4665.「資本主義という謎」



きまぐれ読書案内「資本主義という謎」
From: tokumaru

きまぐれ読書案内: 大澤真幸・水野和夫著「資本主義という謎」
(NHK出版新書、2013)

・資本には姿も形もない、お金を抽象化したものだ
 資本主義とは何か。
 資本とは、論理層表現であり、物理的実態を持たない。物理層に
おいては「お金」として流通している。「お金」が通用すること自
体すでに論理的な思考のおかげであるが、その「お金」から一切の
物理的な属性を捨象したとき、「資本(capital)」という言葉が生ま
れる。
 この「資本」に主義という二文字(ismという3文字)がくっつくと
資本主義(capitalism)となる。

・イズムとは何か
 主義(ism)とは何か。橋本治に「宗教なんかこわくない!」という
著作があるが、ここで橋本は宗教とは「主義(ism)」であるという。
 そもそも我々は宗教に幸福を求める。だがそもそも幸福とは何な
のだろう。心の安らぎ、自分の自己実現、家族の健康、子孫の繁栄
、財産、出世などいろいろと考えられるが、ここではその中身につ
いて深くは掘り下げない。ただ思想や宗教が示す生き方に従うこと
で、我々は幸福になることを期待する。
 ちなみに、本能が生き方を規定する野生動物や昆虫や微生物やア
メーバには、思想も宗教も存在しない。彼らは宗教も思想も必要と
しないし、幸福も不幸も感じない。彼らは本能の論理に従って、淡
々と生きている。
 本能(DNA)の遺伝的記憶では変化の激しい時代に生きていけないか
ら、伝統や教育によって、知能(intelligence)を蓄積して生きてい
くのが、ヒトやチンパンジーなど大型霊長類である。ヒトは知能を
伝える手段として、文法によって複雑なメッセージを伝達できる言
語を獲得し、文明という人工環境の中で生きる不自然な動物である。
ヒトだけが、言語を使って、思想や宗教を発展させた。ヒトは、言
葉をもつことによって、将来や死後の世界について不安や畏れを感
じるようになり、幸不幸を思い煩うようになった。ヒトの思い煩い
を救済するのが、宗教や思想の役割である。


・資本主義とはお金を信じると幸せになるという教え
 橋本は、「思想(thoughts)」と「宗教・主義(ism)」を分けて論じ
ている。幸せになる生き方を、自分で考え、自分で模索し獲得して
いくことが「思想」であり、初期仏教は、自分の頭で考える人間が
、「自らが自らであることを獲得していくための思想」だった。悟
りを開いて、自分の人生を自分のものにして、「ただの人」になる
、というのが仏教本来の教えである。ただの人とは、野生動物のよ
うに、思い煩わずに、自然に抗わず、自然に即して生きることをい
うのだろう。
 スリランカや東南アジアの上座部仏教は、「ゴータマの教えに従
って修行する出家者を崇める」ものであり、自分の修行や実践によ
って悟りを開こうとする。ゴータマの教えを、修行や実践行などの
直接的身体体験によって、自分の身体に刻み込むのは、思想的行為
である。
 自らの試行錯誤の末にたどりつくもの、自力で選び取り構築する
ものが思想であるのに対して、宗教は、自分の頭でものを考えるこ
とのできない人間に対して言語によって示される生き方のパッケー
ジである。宗教は言語的であり、その言語情報は信仰の対象となる。
自分の人生上の悩みや不安を自分で解決することを諦めた人間が、
誰かが用意した答えにとびつき、丸呑みしてすがりつく対象が宗教
である。
 信仰とは、信ずること、疑いをさしはさまないこと、自分の頭で
考えないこと、鵜呑みにすることである。宗教とは、この点で、マ
ルクス主義や共産主義と同じイデオロギーであるというのは、著者
の達観である。
 橋本のこの主張は、だからといって、思想が正しく宗教が誤って
いるというものではない。他人の言うことを丸ごと信ずる宗教より
も、自分の頭で考え体に汗して獲得した思想のほうが結果的に正し
い可能性は高いだろうが、思想にも宗教にもそれぞれ正邪はある。
 こう考えてみると、資本主義とは、お金を尊ぶ宗教、お金が増え
ると幸福になると信じることといってもよいかもしれない。

・「周辺」あるいは「外部」の喪失、そして国内植民地
 この「資本主義という謎」で社会学者と経済学者が語っているこ
とは、ひと言でいうと、「もう資本主義の時代は終わっている」と
いうことだ。なぜなら「資本主義は、収奪される周辺を必要として
おり、いまや外部経済(只で手に入れることのできる財:天然資源や
土地やかつての奴隷)が枯渇してしまっている」からである。

 資本主義は、どこに向かうのか。内部植民地に向かうほかない。
国民を収奪の対象とするということである。
 こう考えると、若者が非正規雇用として安くこき使われるのもわ
かる。人権や労働権に保護されない労働者を作り出すことは資本の
要請であるのだ。
 福島第一原発事故後の日本政府の対応も理解できる。水や食品の
放射能汚染をひたかくしにかくして、国民に放射能を摂取させて、
できるだけたくさんの病人をつくれば、医療費の売上増加につなが
るし、葬儀屋も墓地も儲かる。それに老人が早く死ねば、年金も払
う必要がなくなる。
 南アフリカでは、ヴェンダ、シスカイ、ボプタツワナなどの国内
植民地を無理やり国家独立させて、その国に帰属する部族の黒人を
一方的に外国人労働者として扱うというトリックが使われた。現代
資本主義は、国籍を収奪のツールに使う必要はない。国民を無知な
状態にとどめておいて、より病気になるように、より安くこき使わ
れるように、制度をあらためていけばよいのである。

・人間の顔が見えない資本主義の暴走
 もう30年近く前のことだが、会社の資本家が法人資本であり、そ
のまた資本家が法人資本である、、、、するとどこまでいっても資
本しかないことになり、人間の意志を超えた資本の支配を感じてお
それおののいたことがある。
 資本というものが、人間のコントロールを超えて独自に暴走を始
める素地は、資本主義に内在する原理であるようだ。
 人類は資本主義という論理によって滅ぼされるのだろうか。

(2013.04.26, 得丸公明 思想道場鷹揚の会)
==============================
『経済大陸アフリカ』
皆様、

憲法記念日の東京は晴れ渡っています。
自民党は憲法改正を唱えているようですが、だいたいいつも腰砕け
になってきました。憲法のような抽象的な概念をきちんと考えるこ
とは非常にむずかしい。今の政治家の知的レベルではおそらく最終
的なところまで考えつくすことはできず、今度もいつの間にか、憲
法改正論議は立ち消えとなるのかもしれないなあと私は思っていま
す。

さて、平野克己著『経済大陸アフリカ』です。

−1− 経済学とは何か
本書のタイトル、「経済大陸」って、おもしろい言葉の使い方です
。経済って何でしょう?

私の考えでは、経済学とは、すべての人間活動をお金に換算して数
値化する学問です。

これは資本主義というシステムにとって、それを正当化するための
論理マシンといえます。

キリスト教では、「哲学は神学の端女(はしため)」といわれてい
ますが、資本主義にとっては、「経済学は資本の端女」です。

タイトルで「経済大陸」という時点ですでにアフリカを資本主義的
にとらえるという著者の立ち位置が明確にされています。その是非
も議論してみたいですね。

−2− アフリカの謎 
本書の冒頭、「はじめに」の第一段落を読むと、「今世紀にはいっ
てからアフリカは、植民地時代以来ともいえる大変動をきたしてい
る。いまアフリカは確実に、着実に、変貌しつつある。なにせ20年
以上経済成長していなかったものが、一転して継続的な高成長を謳
歌しているのである。」とあります。

しかし、本書の中身を読むと、たとえば第5章の冒頭にあるように、
「アフリカの現実はきびしい。経済成長率は高くても貧困問題はい
っこうに解決されず、安定した社会基盤が形成されにくい。それゆ
え政情は不安定で、政治リスクも小さくない。」ということが綿々
と論じられています。

この「高成長の指標」と「いっこうに解決されない貧困」の謎に対
して、平野さんはいったいどのような答を用意しているのか。

それを読み解くだけでも面白い本です。仮に平野さんの用意した答
えが不十分であれば、それはそれで、なぜその答えでは説明がつか
ないのかと考える、いい訓練になります。

おそらく、現代世界は、すでに国別(national)な思考枠組みでは現
象を把握できない段階にきているのに、経済指標として入手可能で
あるのは国別統計しかない。このあたりに、平野さんの説得力のな
さの根拠があるように思います。

−3− 読書で論理を身につける
そもそも、読書とは、何のためにやるのか。

コンサルタントにとって、読書は、論理のボキャブラリを増やすた
めの訓練ではないでしょうか。

子供は、自然数の十進法しか知らない。でもそれでは説明しきれな
い、考えつくせない問題はたくさんあります。

それらの問題を考えるため、解決するためには、実数、虚数、有理
数、無理数、平方根、立方根、二進法、指数、対数などを使って考
えることが求められるのです。

複素数や対数をうまく使って考えられるようになれば、提案書が輝
きを帯びて、受注のチャンスも増えるのではないでしょうか。

国別の思考枠組みは、自然数のようなもの。この枠組みを超える思
考法を、過去の経済学(たとえば従属理論、外部経済不経済論、成
長の限界論など)に求め、そのうえで、もっと合理的な思考枠組み
を身につけることはできないものでしょうか。

とまあ、壮大な野望をもって、平野克己著「経済大陸アフリカ」を
読んでみたいと思います。

得丸
==============================
4・26でチェルノブイリ事故 満27周年
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU

伝説のチェルノブイリの苦き水瑞穂の国の蛇口に届く、

弁当の米の産地を尋ぬれば岩手産だと気まずげにいう、

咳き込みが突如増えたり肺炎も仕出し弁当宴のあとに

口にした水の苦さにおののきて吐かむと焦り夢から醒める

春風は放射核種を運ぶらし線量計の数値がはねる

紙マスクしても無駄だとしない人しないよりマシかもと思うが

目に見えぬ放射核種を知覚する線量計を肌身離すな

春風の運ぶ核種は昨年の二倍であると線量計示す

飲む水に毒混じるとは思わざり原発事故は首都滅ぼすか

==============================
小野先生に質問してみました
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
ツイッターで質問をしてみました

質問1) 東京の水道水の検出限界は10Bq/Kgだそうで、それに近い放射能汚染水
が水道から供給されている可能性があります。この水でお風呂 に入るのは、放
射能の雨に打たれるのと同じくらい危険なのでしょうか。

質問2) お米や野菜その他食品の放射能検査基準が50Bq/Kgとか100Bq/Kgと規定
されているようですが、そもそも放射能汚染はまんべ んなく平均的に汚染して
いるのか、それとも一部では高い汚染、一部では低い汚染とまばらなのか。わ
かっているのでしょうか

質問3) 風邪や肺炎のときに抗生物質を投与するのは、ウィルス感染を前提とし
た治療ですよね。放射性物質の内部被曝による風邪や肺炎のときは何を投与する
のがよい ですか。抗生物質を投与することは、治療につながるのか、あるいは
病状が悪化するのかわかりますか。

https://twitter.com/onodekita 思いつたので小野先生に質問を投げてみました。

得丸公明 さっそくに回答いただきました

1)
関東圏は、いろんな意味でリスクが高い。でも、何が理由かは誰にもわからない。

2)
極端に偏在する放射能−セシウム食品が危険な理由
http://onodekita.sblo.jp/article/60716549.html …

3)
治療はない。せいぜい、ステロイド


コラム目次に戻る
トップページに戻る