4657.現代という芸術アラカワ 応用編2



現代という芸術アラカワ 応用編2
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様

現代という芸術アラカワ 応用編2もビルマです。

1グラム の質量も1カロリーの栄養もないが、とても深い喜び

大東亜戦争においてビルマ方面では、30万人の兵士が投入され、18万5千人が 戦
没した。(厚生省援護局調査昭和27年発表)兵士たちがどのように戦って、どの
ように死ん だかは、おどろくほど知られていない。

古山高麗雄の「フーコン戦記」を読むと、昭和18年から終戦にかけて、ビルマの
密林あるいは平原で、食 料や弾薬の補給もなく、敵の迫撃砲と戦闘機の機銃掃
射によって一方的になぶり殺しされるように殺されていく姿が描かれている。作
戦とか戦 闘というより、日本国家による前途有為な日本の若者の処刑、ジェノ
サイドではないかと思えた。

相共に百人一首を憶ひ出しカルタを作る すべて叶ひぬ 21年1月ナコンパトン


  森田丈夫 歌集「認識票 ー 軍医のビルマ戦線歌日記」より

この歌は、第33師団で軍医だった森田丈夫さんが、九死に一生を得て、戦後捕虜
として収容所にいたときのもの。囚われの身とはいえ、命 の危険はなくなっ
て、誰かが「正月だからカルタしよう」と言ったのだろう。読み札と取り札は、
食品か建築材の包装紙を使ったかも。肝心の 歌は、みんなの記憶を甦らせるほ
かなかった。


 何日かかったか知らないが、百首全部思い出せたとき、うれしかっただろう。
記憶をたぐりよせていっしょに百人一首を思い出していた仲間 だけでなく、
「百人一首を全部思い出したそうだよ」という報せに収容所中が喜びをともにし
ただろう。ちなみに百首目は、森田氏が思い出し たと注記されていた。「かさ
さぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにけり」だったという。百首全
部思い出したことが、本当に嬉し かったのだろう。

この喜びのすごいところは、物理的なものが一切ないこ とだ。1グラムの質量も
なく、1カロリーの栄養もない。百人一首の言葉、論理の記憶を回復したことが
どうして喜びを生むのか。

この喜びが感動的であったことは、日本人であれば老若 男女を問わず誰でも理
解できる。きっとヒトに固有の脳内生理メカニズムがあるはずである。

得丸久文
http://www.milestone-art.com/MILESTONES/issue146/htm/p11tokumaru.htm
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無常と永遠と  鴨長明が方丈記を書きながら思ったことは、無常
だったのか、永遠だったのか
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様、

鴨長明の方丈記、無常がテーマだと思っていましたが、もしかしたら、無常を超
えた永遠がテーマかもしれないと思ったりもしています。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかた
は、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とす みか
と、またかくの如し。」というのは、論語の「逝く者はかくの如きか、昼夜をお
かず」を思い出させます。

10年以上前に、文化と時間について考えたことが、国際戦略コラムに異文化交流
術として残っているので、よかったら読んでみて下さい。

無常のようにみえる時間の流れのなかで、どうすれば、人類の文化の蓄積を受け
継いで、自らを前衛として文化のさらなる発展に貢献できるのか、これ もとて
も重要なことだと思います。


http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k4/140415.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k4/140423.htm

得丸
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本とは、種のようなものだろうか

From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様、

この本を書くまでは死ねない、という思いが、北原亞以子さんの「父の戦地」や
古山高麗雄の「フーコン戦記」からは感じられました。

この場合に、本とは、何なのでしょう。

一本の草が、芽を出して、育ち、花を咲かせて、種を作って枯れていく。
一人の人間が、学習して一人前になって、学んだ成果を本にして、死んでいく。
本とは草花にとっての種のようなものかもしれません。
次世代の人間に学んだ成果を伝えるためにあるのではないでしょうか。

得丸公明(思想道場 鷹揚の会)
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靖国に本当の神がいる!
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様

靖国問題についてずっと書きたかったことを整理してみました。

とくまる
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靖国に本当の神がいる!

1.マスコミの思考の型と違った世界観
 テレビや新聞報道は、我々のものの考え方を、一定の型あるいは枠には めて
しまう。型とは、別のことばを連想させる仕組みあるいは論理といってもよい。

 たとえば靖国神社と聞くと、「戦争遂行、A級戦犯合祀、閣僚参拝ケシ カラ
ン」のようなことばをすぐに思い浮かべるのは、テレビや新聞報道のおかげである。

 このような連想が、正しいものであれば問題はないが、意図的に誤った もの
であったり、歴史的変化を反映していないものであると、問題である。我々は正
しい行動を取ることができなくなるからである。

 靖国神社に実際に行ってみると、東京のド真ん中にあるのに、静かで、 風格
のある神社であることがわかる。神社の裏手の庭もなかなかに神秘的かつ魅力的
で、歩いていて気持ちよい。

これを感じるためには、「靖国はケシカラン」という論 理を捨て去る必要があ
るだろう。もし「ケシカラン」という思考の枠にとらわれ続けていると、まず靖
国に足が向かないし、仮にお参りしたと しても、小さいながらに神秘的な庭が
目に入ってこない。

 神社の風格や居心地よさを感じた時点で、じつはすでにマスコミに押し 付け
られた思考の枠から少しだけ自由になっているのだが、それですぐに枠を作り変
えることができる人はあまりいない。

五官で感じる神社の雰囲気や庭の神秘性と、言語的・論 理的な表現である「A
級戦犯」や「閣僚参拝」ということばは、脳のなかで別の次元として扱われるか
ら、共存しえるのだ。「A級戦犯を合祀 している靖国神社は、行ってみると意
外に気持ちよい場所だ」というように。

「閣僚の靖国神社参拝はケシカラン」という言語命題と対立し、それを否 定あ
るいは無化する、「靖国神社にこそ本当の日本の守護神がいる。みんなで参拝し
よう」という言語命題を獲得するためには、靖国神社や英 霊についての体験や
知識を蓄積して、それを自分の頭のなかで総合する作業が必要になる。

この作業は、なかなか他人から理解されない孤独な作業 である。なぜならば、
多くの人がマスコミの植えつけた連想の論理に束縛されていて、それと別の論理
をまったく理解できず、受け容れられな いからだ。

2.英霊の実在が確かめられたとき
 他人が理解できないとわかっていることを、言語化するのは骨の折れる 仕事
である。でもそれをしなければならないと思うときがある。たとえば英霊の実在
を感じたときである。

3年 前に台湾の台南で訪れた飛虎将軍廟は、台南で戦死したゼロ戦のパイロット
杉浦茂峰中尉を祀る。戦後25年ほどたって、台南の人々の夢枕にたった人影が、
昭和19年に台南の町中に飛行機が墜落しないように誘導してい て戦死した日本
兵であるということがわかって、1971年に小さな廟が建てられた。その後、そこ
に行くと宝く じが当たるとか、商売繁盛するという霊験が積み重なって、1993
年に大きな廟に建替えられたそうだ。

今年3月に亡くなられた小説家の北原亞以子さんは、新人賞をもらって20年間、
さっぱり売れなかったという。売れない作家の北原亞以子さんを人気作家にした
のは、ビルマで戦没したお父さん だったということが、北原さんの『父の戦
地』に書いてある。売れるきっかけとなった土方歳三の原稿依頼が、なんと「人
違い」で舞い込んで きたのだ。これもお父さんの業績だったような気がする。
そしてその小説をかいている最中も、枕元にお父さんの影がいたことを何度も経
験し ている。

英霊が自分の死んだ街の人々を守っている、遺された子 供を守っている、子供
のためにひと働きしている、ということが本当だったら、英霊が眠る靖国神社の
意味も変わってこざるをえない。

http://pongojam.pixnet.net/blog/post/38186700

http://pongojam.pixnet.net/blog/post/38206222

3.三島由紀夫の『英霊の声』と昭和天皇の靖国参拝中止
 三島由紀夫の『英霊の声』は、2・26事件に参加した兵士たちと神風 特攻
隊の兵士たちが登場し、「などてすめろぎは人となりたまひし」と昭和天皇が神
から人間に降下したことを非難する。

 そもそも靖国神社は、日本国の若者を戦争に徴兵し、もし戦没したとき は、
現人神である天皇陛下が戦没者にお参りする場所であった。現人神に供養される
はずの約束が反故にされたことは、生きている人間の興味 を引かなかったが、
英霊達は「約束が違う」という思いだったろう。

 『英霊の声』が書かれたのが昭和41年(1966年)。この頃まで英霊たちは霊界で
修行を積んでいたのかもしれない。そし て、昭和天皇に、「お前にはパワーが
ない。人間に堕ちてしまったのならもう来なくてよい」と伝えたのではなかった
か。昭和天皇が靖国神社 に参拝しなくなったのは、A級戦犯の合祀が理由では
なく、英霊に来るなと言われたからではなかったか。

そして、その頃から、英霊は自ら神となって日本や台湾 を守るべく活動を始め
たのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=dbLz7O5IAKU

4. 靖国神社は、守護神の民主化である
 このように考えると、靖国神社の新たな意義がみえてくる。

 靖国神社こそ、英霊たちが日本を守るために待機している場所である。 いざ
何かあると、そこから出動して、日本人を守るために精一杯の活動をする。

 日本人は、もっともっと靖国神社にお参りにいくとよい。靖国神社こ そ、英
霊という日本の守護神が鎮座まします場である。

得丸公明(思想道場 鷹揚の会 2013.04.26)


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