4632.巧妙に隠ぺいされたジェノサイド



薩摩と長州による、薩摩と長州以外の県民に対する、、、、、
From:tokumaru

皆様
「ミャンマーよいとこ、一度はおいで」と歌いたくなるくらい、ミ
ャンマーはおもしろいです。

日本人墓地で、郷里大分の慰霊碑を探したところ、福岡や鳥取はあ
ったのに、大分はなかった。

しかし、大分がないのと、鹿児島や山口がないのとは、意味がまる
で違っているのではないでしょうか。

浅山さん、いかがでしょう。

ビルマで思ったことを、マイルストンに書きましたので、お届けし
ます。

得丸

巧妙に隠ぺいされたジェノサイド
現代という芸術 応用編1      得丸久文

 仕事でミャンマーに行くことになり、ひと月前から関係書を読み
漁った。ビルマ独立の英雄たちとそれを支援した日本の特務機関、
20万人近い戦死者を生んだ第二次世界大戦中の日本陸軍、遺族の随
筆などに目を通していると、自分の大伯父がビルマで戦没した記憶
がよみがえってきた。

 どこで亡くなったのか厚生労働省に電話して問い合わせてみたと
ころ、本籍のある県庁の高齢者福祉課に記録があることがわかった。
所属部隊と階級、戦没した場所と日時を教えてもらい、部隊名をキ
ーワードとしてグーグル検索して、大伯父の所属した部隊を題材に
した古山高麗雄の小説『フーコン戦記』にめぐりあった。

 ビルマ西部でインパール作戦が行われている頃、北部のフーコン
渓谷では、食糧も武器弾薬も補給されないまま、兵員だけが補充さ
れ、敵の迫撃砲や戦闘機の機銃掃射や山蛭やマラリアや飢えによっ
て続々と命を落としていた。『フーコン戦記』は、無意味に消耗し
、生きるか死ぬかは運だけだった、救いのない環境を描いていた。

 ミャンマーに着いて、ヤンゴン郊外にある日本人墓地を訪れた。
3月中旬の太陽にギラギラと照りつけられながら、いくつかの慰霊と
鎮魂碑で線香を焚いて、郷里のお菓子をお供えして、お経を読んだ。

 その後、朝靄のせいで輪郭のにじむ太陽を見、姿を隠すところの
ない疎林が延々と続く脇を車で走ると、だんだんと怒りのような疑
問がわいてきた。アリエナイ。こんなところに兵員を投入すれば、
皆殺しにあうだけであることは明白だ。あれは戦争でも作戦でもな
かった!!

 衣料も食糧も与えず、武器も弾薬も補給せず、次々に兵員を投入
し、大平原のなか敵の攻撃目標になるためだけに右往左往させるジ
ェノサイドだったのではないか。ビルマで死ななかった県民による
、ビルマで死んだ県民に対するジェノサイド。そう思ったときに、
すべての謎が解けた気がした。

以上
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北原亞以子さんの『父の戦地』というエッセイ集は、昭和20年に
ビルマで戦死した父親から送ってきた絵葉書をたくさん紹介してい
ます。

このエッセイの圧巻は、彼女がある賞をもらってから20年近く鳴か
ず飛ばずでいたときに、父の霊の助けをもらって、売れる小説が書
けるようになったというところ。

先祖の霊は、いつまでも、子孫を見守ってくれていることのひとつ
の例ではないでしょうか。

西郷のような大物は、薩摩や長州といった一地方の人間の利益に流
されることはなかったと思いますが、現実に日本の地方の生活レベ
ルを比較すると、薩摩や長州には特別な予算が分配されていて、逆に
東北や北関東などは、発展しないまま。

たとえば銚子と千葉を結ぶ総武本線の列車は、いまでも単線区間が
長い。信じられないことです。


大東亜戦争において、どこの地方の兵隊がどこに送られたのかの研
究があれば、おそらく、死地に送られた兵隊が多かった地方と、そ
うでなかった地方に、くっきりと分かれるのだろうなあと、今更な
がら思います。

というのは、ビルマの平原を車で走り、飛行機の窓から見て、こん
なところに武器も弾薬も糧食もない歩兵部隊を展開すると、まちが
いなく敵になぶり殺されると実感したからです。


今は乾季で、中部ビルマの疎林からなる平原は、身を隠すところも
なく、敵機の機銃掃射や、敵の迫撃砲の、標的になるほかなかった
と思われます。

これは戦争でも、作戦でもない。ジェノサイドだと思いました。

誰が何のために、罪もない日本の若者を20万人近くも殺す必要があ
ったのか、これは謎です。
長州の陰謀なのか、長州が誰かと取引したのか、、、。


ビルマにきてから、見るもの、食べるもの、感じるもの、すべて70
年前と同じだったろうかと考えながら生活しています。

ジリジリと肌を焼く太陽、日の出や日没の光景、草原の姿、枯れた
川、夕方の涼しさ、バナナを焼いた料理、お茶の漬物、ビルマ人の
笑顔、ロンジーという民族衣装などなど。

69年前の昭和19年3月に、僕の大叔父は、この季節をビルマですごし
ました。同じ季節、同じ気候のなかで、どこまでが同じだろうかと
考えています。

そして僕だったら、どうするかな。ビルマ人のふりをして戦線離脱
、敵前逃亡するかな。しかし敵はいったいどこにいる人間のことを
いうのだろう。などと考えています。

そして思い至ったこと。

     これは戦争でも作戦でもない。

     あれは戦争でも作戦でもなかった。

武器も弾薬も食料も渡さずに、ビルマの平原に歩兵部隊を送りこむ
のは、兵士を使い捨てるという発想からも逸脱しています。

まるで古代ローマの円形劇場で行われたライオンとヒトのサバイバ
ルゲームのように、人殺しを楽しむための処置だと思いました。

この私の実感したことが、正しいかどうか、確かめることはなかな
か難しいことでしょうが。

得丸
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香港ミニ合宿について、ヤンゴンのフェリーボートに乗りました
From:tokumaru@pp
皆様、

ミャンマーの新行政都市ネピドでの調査が終わって、昨日からヤン
ゴンにきています。

夕方、ちょっと時間があったので、小川さんのご依頼のフェリーに
乗りました。写真もたくさんとりました。

反対岸の街で、自転車のサイドカーに乗って、ぐるりと街を見学し
たところ、まだ水道がなくて、井戸で水汲みして、天秤棒にバケツ
を2つぶらさげた子供の姿をみかけました。

「ここに水道を作れば、幸せになる」という発想は、僕にはありま
せん。

むしろ、この子たちは、どうしたら加賀の千代女の句作の喜びを共
有できるのだろうかと考えました。

「朝顔につるべ取られてもらい水」、この句にたどりつくまでに、
千代女だって相当に苦労したはず。

その苦労と、句に到達した達成感の喜びとを、共有することができ
たら、人間として最高の喜びではないかと考えます。
得丸
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21世紀の教養主義: 科学から人間を考える試み
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU 
皆様、

以前、話題にしたかもしれませんが、パリ在住の矢倉英隆さんという方が、
ときどき日本に帰ってきて、「科学から人間を考える試み」という講義を
やっておられます。

一昨日、その第5回目に、私も参加してきました。

http://science-he.blogspot.jp/p/5-20133.html

講義の内容もおもしろかったですが、このような試みこそが、本来の意味
での教養主義ではないでしょうか。

教養とは何か、最近はあまり話題になりませんが、一円の得にもならない
こと。だけど、知的好奇心が揺すぶられ、理解が深まることで、達成感や
充足感を味わう。

ビルマの捕虜収容所で、百人一首を全部思い出してカルタ遊びをした
日本の若者たちが、百首目を思い出したときに感動したのも、この教養
の喜びだったといえるでしょう。

教養は、単なる知識の羅列ではない。そこに知的喜びが生まれる。
それは物理的には何の保証もないものだけど、確かな喜びである。
論理的喜びというのでしょうか。

旧制高校のバンカラな校風は、教養主義をはぐくみましたが、戦後
真っ先に占領軍によって潰されました。エリートの育成には不可欠な
ものなのでしょう。

人類文明破滅の時代に、この教養の喜びというものが、見直されなくて
はならない。

そういうときに、パリから矢倉さんが、とても刺激的なものを持ち帰って
くれることに、感謝しています。

得丸公明(思想道場 鷹揚の会)
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人民日報 記事
From:Yuji_Takeshita

皆様

本日の人民日報に面白い記事ありましたので、お知らせします。

P.S. 得丸さん、ミャンマーレポート面白いです。
   Hondaも昨年現地法人を立ち上げました。
   また教えて下さい。
竹下

トヨタ自動車は3月6日に本社役員の人事異動を行い、3人の副社長と張富士夫会長
が退任し、内山田竹志副会長が会長に昇進した。中国青年報が伝えた。

 トヨタ本社の人事異動の影響は、中国にも波及した。トヨタ中国法人は翌日、4
月1日より中国事業の役員の調整を行うとした。大西弘致中国本部長が北田真治氏
に代わり、中国総経理に就任する。合弁会社・広汽トヨタの総経理は、小林一弘常
務役員が小椋邦彦氏から引き継ぐ。一汽トヨタの柴川早人総経理は、常務役員に昇
進する。

 一汽トヨタの総経理が「昇進・増給」となったが、他2名の総経理は退任となっ
た。この人事異動は、何を示すものなのだろうか。豊田章男社長は日本メディアの
取材に応じた際に、「過去4年間はさまざまな試練が満ちていた。トヨタは将来に
目を向けるべき時が来た」と述べた。

 その「将来」のカギとなるのが、中国市場だ。豊田章男社長は「中国市場が最も
重要」と表明し十分な誠意を示したが、現在の状態を見る限り、トヨタの中国市場
に対する調整はまだ大きく遅れている。

 業界内では、「日産やその他の日本自動車メーカーの、中国市場における発展を
阻むのは、不確定な政治要因でなければ、単純な商品力・販売力でもなく、いまだ
表面にとどまっている本土化戦略だ」と指摘する声があがっている。

 ゼネラル・モーターズとフォルクスワーゲンの、中国における「全バリュー・チ
ェーンの本土化」は、すでに成功を収めている。日産と現代・起亜は長年の「慣ら
し運転」を経て、合弁会社の利益最大化を企業発展の最高基準とし、協力により大
きな力を形成し、企業の高度成長を促している。

 そのうち東風日産は、融合度が最も高い合弁自動車メーカーと公認されている。
同社が定めた「基本法」は最大の開放度を実現し、尽きることのない活力を外に示
し、社員一人ひとりの潜在力を十分に引き出した。トヨタも中国で研究開発センタ
ーの設立を開始しており、中国事業の役員に中国人を迎えているが、合弁会社の経
営に関しては閉鎖的・保守的だ。

広汽トヨタも一汽トヨタも、重要なポストに中国人・外国人の二重管理制度を敷い
ている。中国側が得意とする人材の使用、ルート拡大、マーケティングのすべてが
、日本側の管理者の同意がなければ実行に移せないのだ。近年の中国事業の不調を
受け、日本側の管理者は権力の取り戻しを急いだ。双方の不信任感が悪化し始め、
一触即発の状態にあるという噂が業界内で伝わったほどだ。これにより企業の深刻
な資源浪費が生じ、戦略の決定力と執行力が大きく損なわれた。

 いわゆる本土化とは、商品デザインで中国人消費者の好みに合わせるだけではな
く、また中国市場の資源供給を強化するだけでもない。それよりも重要なのは、管
理者の現地化を実現し、開放・融合の中で権限の適切な配置を身につけ、中国側の
提携先の意向を最大限に尊重し、合弁企業の利益最大化を実現することだ。そうす
ることにより、トヨタは中国市場で本来の実力を発揮できるようになる。

 かつてフォルクスワーゲンがまだ優位を占めておらず、トヨタ車の供給が需要に
追いつかなかった時代、トヨタ中国法人のある役員は食事中に、「定年退職後に、
トヨタはいかにして倒産したかという本の執筆を検討している」と冗談を言い、「
トヨタの大企業病はすでに深刻で、重病になっている」と語った。トヨタの頻繁な
人事異動の背後にあるものが、人材の活用であるのか、それとも新たな勢力闘争で
あるのかは定かでない。筆者の知る所によると、トヨタ合弁会社内部の日本人管理
者の間では、誰がどの勢力に属するかは公然たる秘密になっている。日本人管理者
は団結力を発揮しておらず、企業の戦略決定力に大きな疑問符が打たれている。

 トヨタは今回の人事異動により、ゼネラル・ モーターズグループ元副社長のマ
ーク・ホーガン氏ら3人を、社外取締役に任命した。トヨタは76年の歴史で、初め
て社外取締役のポストを設置した。豊田章男社長は、「外の世界からより多くの意
見を汲み取ることは、非情に重要だと信じている」と語った。

 豊田章男社長は中国市場で、本土化戦略を表面的に留めるのではなく、深く掘り
下げる必要がある。




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