4620.ミャンマー語の動詞は活用しない



ミャンマー語の動詞は活用しない
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆さん、

新しい職場、まだ10日も働いていませんが、いやぁ、仕事ってこんなに忙しいの
かと20年ぶりくらいで、感激しています。

9日からミャンマーに調査出張に行くことになり、その面会相手先を見つけると
ころから、始めているから、けっこう大変。

それに加えて、参考資料として、ミャンマー語の入門書や文法書、歴史の本な
ど、いろいろと図書館や古本で取り寄せて読んでいます。

びっくりしたのは、ミャンマー語は動詞が活用しない。形容詞と動詞が同じ形。

これってほとんどピダハンの世界です。デジタル言語学の定義にもとづいた文法
は、ミャンマー語にない。これは大きな発見でした。

違いは、母音の数が多いことや、複合子音や二重母音、さらに声調もあって、音
韻的には複雑なのです。これはジャングルの中で出会う人が敵か味方か を判断
するために役立つのでしょう。

びっくりするのは、ミャンマー語の文字が、まるでCの字の切れ目が上下左右に
ある視力検査表のようであること。実際に、ミャンマーからの留学生 は、日本
で健康診断を受けたときに、なぜ日本人はミャンマー語を使って検査するのか不
思議に思ったそうです。(九州大学の先生から直接聞いた実 話)

遠藤周作の奥さんの遠藤順子さんは、「ビルマ独立に命をかけた男たち」という
本をPHPから出版されています。戦時中に、ビルマ大使と非常に深い お付き
合いを家族ぐるみでしていたということです。

出発まであと一週間ですが、どれだけ知識を入力できるかで、現地での雑談の盛
り上がりが変わるので、できるだけ面白い本を見つけて読もうと思って います。
得丸
==============================
From: 神山
おー、得丸さん、ミャンマーですか。
正月に行ってきました。現地に知人が二人います。
国内にも、10年以上ミャンマービジネスをやってきた知人もいます。
紹介しましょうか。

言語学から入る得丸さんと、友人関係から入るコウヤマですね。
なはは。楽しい国ですよ。
建国の気概に溢れている。
楽しんできてください〜。

えーねぴどーには、日本人三人しかいませんよ、居酒屋一つない
人工都市、街じゃなく要塞の印象てわした、東京ドーム70個分の議
事堂ありんす、

神山
==============================
古山高麗雄『フーコン戦記』
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様、

土曜日からビルマ出張。準備をしていたら、ふと、子どものころ、大叔父がビル
マで戦死したと聞いた記憶が甦る、

厚生労働省、大分県庁を通じて調べたところ、第18師団第56歩兵連隊で、昭和19
年5月25日に戦没していたことがわかりました。

生きていたら、小遣いくらいもらった関係だ。大叔父と同じ連隊に帰属していた
古山高麗雄の小説を読んでみようと思った

http://www.geocities.jp/buzensakai/reki/18si.htm

http://burari2161.fc2web.com/hohei56rentai.htm

http://addfield.jugem.cc/?eid=806
ビルマ戦の生き残り、村山辰平は同じ聯隊の戸之倉晋と時々会うが、彼は「なん
も憶えてとらんばい。自分のことでん、憶えとらん」と言った。

http://www.geocities.jp/amasabu/b1046.htm
主人公の辰平は、戦後になって将校達の書き残した体験談を読まなければ、自分
が何の作戦のために、どこを通り、どこを逃げ迷ったのかも知らなかっ たし、
調べつくしても、分からないのである。

得丸公明(思想道場鷹揚の会)
==============================
そうですか、18師団ですね。小生の長兄も、九州ですから、同じ師
団ですかね、明日にでも戦後出された戦記本を探してみます。

今夜は、アメリカ200年祭にイリノイへ引率した、長州の出身のテュ
ターの下で育った妙齢に方と1976以来久しぶり声の交換をいた
しました。

NY赴任中は「噂の真相」の愛読者だったという女史です。混乱の時
代には思わぬ所から筍が出てきます。

未だ、地球は捨てたものではありません、弥生、ますます、万物、
生殖活動盛んになり、空から落ちる鳥の糞にも
ご注意ください。草草  浅山
==============================
論語の新解釈:学びて思わざれば則ち殆(あや)うし。思いて学ば
ざれ,ば則ち罔(くら)し。と、孔子は教えたのではないか
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様、

僕はビルマ出張が、準備不足のために、1週間延期となり、バタバタと
準備を続けています。出発は今週土曜日になりました。

おかげで古山高麗雄の『プレオー8の夜明け』を30年以上ぶりに再読。
フランス語がカタカナでたくさん使われていて、最初読んだときには、
おもしろさは感じなかっただろうなと思いました。今読むと、けっこう
しみじみと面白い。

小説のレベルは、読者のレベル(購買層のレベル)に左右されるの
かな、最近の小説は読む気がしない。

唐突ですが、論語に、「学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれ
ば則ち殆(あや)うし。」という言葉があります。

あるHPでの説明は「せっかく学んでも、自分で考えてみないと知識は
確かなものにならない。自分ひとりで考えるばかりで学ぶことをしなけれ
ば、独り善がりになって危険だ。」とありました。

でも、これ、暗しと危うしが逆になっていると思いませんか。

つまり、「せっかく学んでも、自分で考えてみないと、言葉・知識に
振り回されるから、危険である。
 いくら考えても、新しいことを学ばないと、自分以外の人間が行なった
古今東西・最新の知的営為を取り込めないから暗くなる」という説明
のほうがすっきりすると思いませんか。

学ぶとは、新しい知識、新しい概念を、言語的に習得すること。
そして、思うとは、その概念を自分の意識の上で操作して、他の概念
との整合性を確かめたり、新たな論理式にあてはめてみること。

広く浅くが「学ぶ」ことの基本であり、狭く深くが「思う」ことの実際ですが、
どちらも学びと思いの両輪がなければ、正しい結論に到達しない。

この三年半、研究会活動をしてきましたが、どこの世界でも、自分の
専門に閉じこもっている人がいました。自分の専門ではないからと、
新しいことに耳を閉ざし、新しい言葉を学ぶ努力をしません。
実際には「狭く深く」では終わらないのに、面倒くさいから、専門性を
口実に世界を狭めているだけのような気がします。

一方、「広く浅く」のほうも、言葉の意味を深める機会にじっくりと言葉
と向き合って、堀さげる努力をしないと、うわっつらなまま、言葉に
振り回されてしまいます。言葉の定義をきちんとやって、あれやこれや、
ああでもないこうでもないと、考えてみないことには、言葉は正しく使え
ません。

広く浅くという態度で生きていくと、出会いや気づきのチャンスも偶然
めぐってきますが、狭く深くという態度では、なかなか世界が広がらない。
狭く深くのほうは、自分から外部世界を切り捨てているからでしょう。

養老天命反転地の使用法に「思わぬことが起こったら、そこで立ち止まり、
20秒ほどかけて(もっと考え尽くすために)よりよい姿勢をとること。」という
のがあります。

これが、学びが思いに変わる瞬間です。

そして、「知覚の降り立つ場:あらゆる出来事を識別すること

イメージの降り立つ場:知覚の降り立つ場と場のすき間を充たすところ

建築の降り立つ場:ディメンションや位置を確かにすること」

という助言と、

「どんな角度から眺める時も、複数の地平線を使って見るようにすること。」

「一組の家具は、他の家具との比較の対象として使うこと。」

「遠く離れている家同士に、同じ要素を見つけること。最初は明らかな相似
を見つけ出し、だんだん異なる相似も見つけ出すようにすること。」

と続きますが、これは思うこと、思考のテクニックです。

一方で、
「何度か家をでたり入ったりし、その都度違った入口を通ること。」

「中に入ってバランスを失うような気がしたら、自分の名前を叫んでみること。
他の人の名前でもよい。」

「自分の家とのはっきりした類似を見つけるようにすること。もしできなければ、
この家が自分の双子だと思って歩くこと。」

「今この家に住んでいるつもりで、または隣に住んでいるようなつもりで動き回
ること。」

というのは、学びのテクニック、知識獲得の手法といえるでしょう。

まったく知らなかった世界に自分の意識を切りひらいていくために、
体を動かしながら、世界と一体化する。

そのとき、あらたな世界が目に飛び込んできて、新たな概念が獲得できる。

ま、こんなことを考えたのも、このところミャンマーにどっぷりつかって、
古山高麗雄の『フーコン戦記』などという出色の戦争文学に出会ったおかげ
もあります。

今日、ウェブ検索をすれば、自分の知らなかった新たな世界、新たな概念と
出会うことが容易になりました。

人類の進化はこれから始まるのかもしれません。

得丸公明(思想道場 鷹揚の会)
==============================
激戦地ビルマ(ミャンマー)から奇跡的に生還した詩人:丸山豊のこと
From: 松本

得丸さん
新職場に移った縁で、このところビルマへの関心を新たに深めている様子、
大したものです。
で、ひとつ、情報。
最近必要があって、谷川雁(関連)をあれこれ集中的に読み返したり、調べたり
しているのですが、
それで、つい昨日意識化できたことです。
雁の若き日に加わった詩誌「母音」(久留米が拠点)の主宰者:丸山豊が
なんと壮絶を極めたビルマ戦役からの奇跡の生還者の一人だったとのこと。
彼は陸軍の軍医として従軍していたので、兵隊ではありませんが、
帰国後久留米で医院を開設しながら、詩誌を主宰し、自らも詩を書いた背景には
多分この体験が大きく働いているのでは…
これ以上のことは僕には不明だし、目下さらに調べる余裕はありませんが、
もしも興味あれば、参考にしてください。
詩以外に、この体験そのものを記した本もあるようです。

明日からがミャンマー出張だったはず。
稔り多い旅になるよう願っています。
            松本
==============================
ミャンマー
得丸さん
 
明日からミャンマーとのこと
ミャンマーは去年ヤンゴン市の河川フェリーボートについてJICA
の入札案件があって少し調べたことがあります。ミャンマーは国土
の南北を貫くエーヤワディ河とそこから分岐した多くの河川などの
デルタ地帯で内陸水路を国民の3分の1が利用している国です。ヤン
ゴン市も3方を河川で囲まれており中心街と住宅街のダラー地区を結
ぶ渡河船が走っています。このフェリーが40年もの老朽化しており
安全性と輸送効率が課題となって日本の無償供与案件として計画し
ているところです。当方は入札で敗退しましたが計画は進められて
おり、海運振興や港湾整備が重点課題となっています。政権交替後
の開放政策で多くの開発プロジェクトが計画されています。JET
ROも事務所を拡充するようです。開発コンサルは日本工営が圧倒
的に強い国です。フェリーにのる機会がありましたら写真でもとっ
てきてください。 気をつけていってらっしゃい。
 
小川
==============================
小川さん

情報ありがとうございました。

河川フェリー、具体的にどの路線とか、わかっているのでしょうか。
それとも、どこもだいたい同じように老朽化しているのでしょうか。

写真取れたらとってきます。

松本さん、

丸山豊、知りませんでした。
56連隊というのは、僕の大叔父がいたのと同じ連隊ですね。
久留米や長崎、大分の兵隊が多かったところだと聞いています。

「フーコン戦記」を読む限り、あれは戦闘でも作戦でもなく、
官僚主義の弊害が、無駄に若い日本兵を見殺しにした例ですね。


昨日だか亡くなった作家の北原亜以子さんも、わりとさいきんに
「父の戦地」というヤンゴンの父から届いた絵葉書をふんだんに
使ったエッセイを出版していますね。

彼女がスランプのときに、お父さんの霊に助けられたと書いて
ありました。人間は肉体は滅びても、霊は死なないのかもしれま
せん。

ミャンマーで戦没した同郷の若者たちの霊も、まだどこかで
浮遊しているのかもしれません。

今回の出張、なぜかお彼岸にぶつかったのも、ご縁でしょうか。

得丸
==============================
得丸さん
 
ヤンゴン側はパンソーダン港に現在のフェリーの波止場があるよう
です。
対岸はダラでここからジープで40分のところにあるトンテ村から労
働者が通っており朝夕はヤンゴン市内に通う通勤客で賑わっている
そうです。ここのフェリーが古くて替えたいようです。
 
小川
==============================
松本さん、

ビルマ関連の戦記ものとしては、当然、(1) 生きて帰ってきた人の手記がメイン
です。

しかし、どうしても生きて帰ってきた人の話は、自慢話に聞こえる。自分の強靭
な体力や、強運を、自慢しているように聞こえる。

だから、(2) 古山高麗雄のような小説が必要になるのだと思います。運がいい
か、悪いかで、生きるか死ぬかが決まる。しかし、国家は少なくとも、兵士の命
が大切だなどと はこれっぽっちも考えていなかった。死者と生者を対等に論じ
ることができるのは、小説だけの特権でしょう。文庫版の「フーコン戦記」の解
説は長部 日出男でした。なかなかよかったですよ。

そして最後が(3) 遺族の手記で、これには手紙をたくさんもらった北原亜以子
さんの「父の戦地」や、福田恵子さんの「ビルマの花」があります。

この「ビルマの花」のp241に、丸山豊の「月白の道」が出てきます。

ちなみに、北原亜以子のお父さんは、車の保守が担当、福田恵子さんのお父さん
は、通信部隊の隊長、どちらも比較的安全な立場にいたのですが、だか ら自分
で描いた絵を添えたハガキをたくさん送ってくることができたのです。それでも
お二人のお父様は、戦死なされています。

19万人の戦死者がいるビルマ、ここを訪れるのは、台南の飛虎将軍廟とも違っ
た、新たな体験となるような気がしています。

得丸

コラム目次に戻る
トップページに戻る