論理的に考えるということについて From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU 皆様 今月も放射能に関する本です。 本は、『内部被曝の脅威』です どうして放射能の本ばかり続くのかと思っておられる方もいるでしょう。 それは放射能の問題は、論理的に考えなければならないからです。 では、論理的に考えるとは、どういうことをいうのか。 正しい知識を獲得して、その知識が反射的に生かされるように何度も何度もあれ これと考える(論語にいう「学びて思う」)。そうした状態で、考える こと を、論理的に考えるという。 論理とは: * 「論理」とは、「自動的」「反射的」な作用・現象である。それは偶然ではな く、必然的に起きる。 * 「論理」とは、五官で感じられない状況において、記憶によって構築された思 考回路が作用することをいう * 「論理」は、反射であるので、反射が起きるか、起きないかの問題である。 もちろん記憶や記憶によって構成された回路がどこまで正しいか、という問題も あるので、「論理」には、正しい論理と誤った論理、正しい行動を生む 論理 と、正しい行動に結びつかない論理があり、さらに論理のない状況も存在する。 * したがって「論理」は正しく構築しなければならない。 構築するとは、学びて思う、つまり正しい知識を獲得して、それが正しく作用す るように、何度もあれこれと考えて知能化することをいいます。 論理的に考えることの例をあげてみますと、 交差点で車が右折している場面に出くわすとしましょう 知識がないなら、そこで我々は、「車が右折している」と受け取るだけです。 もし、そこが右折禁止であると知っていたら、「右折禁止を無視した運転だ」と 考えます。これが論理的思考です。 あるいは、右に曲がった先が行き止まりであるということを知っていたなら、 「またトンチンカンな車がここで曲がって、行き止まりでUターンできな いか ら、バックで戻るのかな」とか、「この先の行き止まりの手前に、行きたいとこ ろがあるのかな」と考えます。これも論理的思考です。 知識があるか、ないかで、まったく違った思考が生まれます。これが論理的思考 の特徴です。 目に見える、五官で感じる現象としては、車が右に曲がろうとしているだけです が、記憶があってそれが感覚と連動すれば論理的思考が生まれるので す。 放射能の問題は、これに近い。 100ベクレル/kgの米を、0.2ベクレル/kgの水で炊いて、一日に二合食べ ると、どうなるのか、というのは、車が交差点で右に曲がろうとし ているのと 同じで、記憶(本能の記憶にはないので、知能の記憶、つまり学習の結果得られ た記憶)がない人にとっては、何の心配もないことでしょ う。 学習した結果、知識を脳内にインストールして知能化(知識記憶化)した人だけ が、それがどれだけ危険を伴うかを理解できる。 知識と知能の違いは、知識はたとえそれが脳内に記憶されていたとしても感覚刺 激に対して反応して、行動を生むことがない。雑学知識なんかは知識以 上のも のになれない。一方、知能は、知識が脳内でインテグレートされていて、外部か らの刺激に対して、その知識にもとづいた反応が生まれる状況に あることをいう。 知識は学ぶもの、知能は学んだ後で思う(考える)ことによって知識を身体の一 部にした状態をいいます。 したがって学習なくして知識なし。知識学習のあとの思考なくして知能なし。知 能なくして論理なし。 我々は放射能やチェルノブイリについてもっともっと勉強しなくてはなりません 得丸公明(思想道場 鷹揚の会) ============================== From: MARUYAMA Akiyoshi 得丸様 論理的に考えることの意味と意義を示していただき有難うございま した。 便利な世の中になり、インターネットで検索して、知った、理解し た、という感覚になる事をしばしば感じています。 インターネットの便利さと危険さを感じています。 インターネットで知った内容を、コピー・ペーストで引用する、そ のコンテンツを別の人が同じ方法で引用する。 このようにして間違った内容でも世の中に溢れてしまった情報は本 当だと信じられてしまう危険があります。 私は、とことん掘り下げる事が難しい(体力、時間、必要性などで) 場合は、こんな考えもある、あんな考えもあると受け止めています。 別の機会に関連の情報に接する機会が蓄積されて違う考え方のどち らを支持したいかという気持ちが次第に固まっていきます。 それにつけても人間関係とは厄介なものですね。 竹下さんの体全体で感じた中国事情を直接お聞きすることが出来な くて残念です。 日本から離れた場所で感じた日本観にも興味があります。 柴又の新年会以来お会いしていませんが活躍の様子を知り嬉しく思 っています。 丸山明好 ============================== From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU 丸山さん、レスありがとうございます。 > 便利な世の中になり、インターネットで検索して、知った、理解した、という > 感覚になる事をしばしば感じています。 > インターネットの便利さと危険さを感じています。 本を読む場合でも、インターネットの理解と、同じ落とし穴があると思います。 どう本を読むのか、読み方の手法を確立する必要がありますね。 論理的に考えるとは、論理的に行動するということであり、本で読んだ知識が自 分の血肉化して、行動に反映されるということだと思います。 そのためには、どういう本の読み方が必要となるのか。 1月のテキスト『内部被曝の脅威 原爆から劣化ウラン弾まで』(ちくま新書) も、ぜひとも皆さま3回読んでみて下さい。 僕は今、一度目の150ページくらい読み進みましたが、第二章の被曝直後のヒ ロシマ、その後の被爆者の治療の話や、第三章のなぜ内部被曝が何年も かかっ て癌へと発展するのかという説明は、ズシリときました。 せっかく本を買って読むのであれば、血肉化するまで読んでみたいじゃありませ んか。 得丸公明(思想道場 鷹揚の会)