4567.二十世紀と二十一世紀の文学の違い



二十世紀と二十一世紀の文学の違い
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様、

『チェルノブイリの祈り』を二度読んで、ふと長田弘の『私の二十世紀書店』と
いう素敵なエッセイを思い出しました。

その最初の記事には、こんな言葉が書いてあります。

http://www.msz.co.jp/book/detail/04509.html

「一冊の本はみずから語るものを語って、みずから負う同時代を語る。いや、
語ってしまう。二十世紀にはいって書かれた本の世界からは、本来の意味 での
主人公ははじめはゆっくりと、やがて急速に姿を消した。物語の主人公は、もは
や特定の運命を背負った特定の誰かではなくなった。かわって二十 世紀の物語
のふつうの主人公となったのは、無名の同時代だ。たとえそれが一人の物語とし
て語られることがあっても、その一人はあなたではないかも しれないが、あな
たであるかもしれない一人であり、物語は彼もしくは彼女の物語ではなくて、た
またまその名でよばれたにすぎないような一人の生き た同時代の物語なのだ。
運命をではなく、同時代を開示することが、言葉のする仕事になった。

二十世紀という時代がくれた本を読んでいると、二十世紀前夜の冬のパリで一人
の詩人(イェーツ)が大騒ぎのあとで悲しみをこめてしるした夜ふけの言葉、あ
とには、度しがたい神(the Savage God)あるのみ、という言葉をおもいだす。

わたしたちがもちえた物語の主人公、二十世紀という時代が生きてきた同時代と
いうのは、確かに度しがたい神の同時代だったのだ、とおもう。わたしたちの手
にのこされた本。それは名づけようもなく度しがたい神を相手どった、さまざま
なかたちの個人的な訴訟記録なのだ」(二十世紀前夜)。


これが二十世紀の言葉の仕事だとしたら、二十一世紀の言葉は、また違った任務
を負っているのではないか。そう思ったのです。


この『チェルノブイリの祈り』の中で、何度も繰り返し語られているように、二
十一世紀の言葉は、人類という繁殖しすぎた種族に属するすべての人間 が共に
生きている、希望のない、何がなんだかわからない、未曾有の時代を、言語化す
ることを仕事とする。

それが始まったきっかけは1986年のチェルノブイリであり、原発事故から数
年経過してようやく人々は言葉を紡ぎはじめた。

そして2011年のフクシマ原発事故が後を追った。『チェルノブイリの祈り』
のおかげで、我々は少しだけ時間を節約できるかもしれない。だからこ の本を
丁寧に読む必要がある。


しかしそれでも多くの人は、自分の生きている状況を言語化できないうちに、言
語化の必要性を感じないうちに、不条理に命を絶たれるのだろう。

そして生き残った人間のごく一部が、なんとかして自分たちの生きている今を、
自分たちの幸せを、言葉にする努力を重ねるのだろう。

そしてそれは、おそらく言葉をどう紡ぐかの問題ではなく、言葉によって一人ひ
とりの人間の意識を作り変える作業となるのではないかと思うのです。


つまり、二十世紀は、庶民をまきこんだ物語をたくさん生みだしたが、それはす
べて目に見える戦争や民族独立や人種差別などの悲劇であり、人間が人 間を苦
しめた悲劇であった。

しかし、二十一世紀に苦しむのは、やはり庶民であるが、人々は目に見えない放
射能が生みだす病気や奇形や、「成長の限界」を超えたことにともなう 地球環
境問題に苦しむことになった。

放射能も地球環境問題も、ともに、五官で感じることができない現象である。人
類は目にみえないものによって苦しまなければならないだけでなく、そ の目に
見えない脅威は、人類あるいは人類文明が集合的にひき起こしたこと、類として
の罪にもとづいているのだ。一種の原罪。


『チェルノブイリの祈り』の二度目を読んで感じたのは、本書は、この原罪感覚
を乗り越えているということです。

この本は、人間という物理的存在を超越した、言語の世界、論理の世界に踏む出
すことができるということを示しているのではないでしょうか。

愛をつきつめると、肉体を超えてしまう。放射能によって、見るも無残な姿をさ
らすようになった夫を愛し続ける妻がそれを感じさせる。死を身近に感 じつつ
も、平然と生きている子供たちがそれを感じさせてくれる。

この本を読むことによって、我々が目指すべきであるのは、一刻も早く、論理の
世界で生きる技を身につけることではないだろうか。 そんなことを思 いまし
た。皆さんはいかがですか。

得丸公明(思想道場 鷹揚の会)
===================================
やはりベラルーシを舞台にした映画『チェルノブイリ・ハート』がネット上で見れます
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU
皆様、

『チェルノブイリの祈り』は1996年のベラルーシ共和国について描かれてい
ます。

いろいろなメッセージが入り混じったポリローグ(たくさんの声)ですが、
よく耳を傾けるとひとつ共通のメッセージがあります。

それは「未来の物語」ということの意味。
未来の物語とは、未曾有の体験だということ。
いったい何が起きているのか、何をすればよいのか、
どう考えればよいのか、さっぱりお手本がない。
本を読んでもどこにも書いていない。
何がなんだかわからない。

人類はまったく新しい時代に突入したということ。

それが二度目を読んでいて感じたことです。

私たちも、目をよく開いて、チェルノブイリで起きたことを
しっかり頭に入れる必要があるようです。


で、このGyaoが配信している『チェルノブイリ・ハート』は、
40分の映画ですが、それから6年たった2002年の
ベラルーシの子供たちの病状について描かれています。

年とともに奇形児や病気の子供が増えているというのは、
オドロキでした。

それともうひとつ、とても大事なメッセージ、

終わりのほうの37分目、子供たちの心臓外科手術を執刀
したアメリカの心臓外科医が、

「こんなに感謝されるとどう答えたらよいのか 
困ります。

なぜなら 私たちはこの子たちの将来に
責任を感じてますからね」

と口にするところがあります。

どうしてこんなにこの医者は謙虚なのか
ぜひとも考えてみてください。

何かとても重大なメッセージが込められているような気がします。

チェルノブイリ・ハート (最初の40分だけでも是非ともご覧ください)

http://gyao.yahoo.co.jp/player/00908/v12193/v1000000000000000401/

得丸公明(思想道場 鷹揚の会)
==============================
謹賀新年 & 南アフリカから帰ってきました
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU 
皆様、

新年あけましておめでとうございます

1月6日午後8時に成田空港に着陸し、午後10時半過ぎに自宅に帰りつきました。

今回は、ヨハネスブルグとプレトリアでまず三泊して、
12月23日 クロムドライ金山見学、 人類のゆりかご スタークフォンテン
洞窟見学、 南アフリカ合気道連盟会長との昼食
12月24日 20万年前の隕石衝突跡 ツワイン・クレーター見学、
12月25日 ライオンパーク見学、ソウェトの不法居酒屋と飲み屋見学
ダーバンに移動して、
12月26日 ズールーランドの田園風景見学、 (ドラケンスバーグ山脈で宿泊)
12月27日 ブッシュマンの描いた岩絵見学(ゲームパス・シェルター) 
(ダーバン近くで宿泊)
ポートエリザベスから車でケープタウンまでドライブしつつ
12月28日 学生活動家で1977年に拷問で殺されたスティーブ・ビコの生
地キング・ウィリアムス・タウンで12月に開所したスティーブ・ビ コ・セン
ターと墓地、生家の見学 (キング・ウィリアムズ・タウン泊)
12月29日 20万年前の隕石衝突跡 カルコップ・クレーター見学 (グ
ラーフ・ラティネ泊)
12月30日 クラシーズ河口洞窟3号 ステレオ測量 (民家に宿泊)
12月31日 クラシーズ河口洞窟5号 調査      (民家に宿泊)
1月1日  クラシーズ川近くの民家で、合気道演武  (スティルベイに宿泊)
1月2日  ブロンボス洞窟に関連した博物館を見学、アフリカ最南端 アグラ
ス岬を訪問 (アグラス岬泊)
1月3日  ウィッツ大学のサラ・ウルツという考古学者と意見交換 (ステレ
ンボッシュ泊)
1月4日  ヒラリー・ディーコンの未亡人である考古学者ジャネット・ディー
コンと意見交換 (ステレンボッシュ泊)
1月5日 ケープタウンから帰国

という見出しだけ書いても盛りだくさんで強行軍な内容でした。
小川さんも、「仕事の出張よりハードだ」といいつつ、最後まで健康かつ元気に
旅をしてきました。

まだ整理できていませんが、とりあえず、ツワイン(塩という意味、実際に塩が
取れる)クレーターの写真を添付します。
霊力のありそうな湖に見えないでしょうか。

プレトリアの北、30km?くらいのところにある隕石衝突跡のクレーターで、
中心が池になっています。
黒人は、ここで働いている人で、実は12月24日午後は休みになっているの
に、わざわざ我々を案内してくれた優しい方です。


竹下さんのアドレス、登録しました。
届いていますか。
2月14日、新橋か青山のどちらかを予約しておきましょう。
予約でき次第、連絡します。

取り急ぎ

得丸公明 (思想道場 鷹揚の会)


コラム目次に戻る
トップページに戻る