4534.サモアの宗教



サモアの宗教
サモアの人々の大部分は、プロテスタントである。都市や村々には
他の建物とは比べものにならない程立派なコンクリート製のキリス
ト教会があり、日曜には着飾って家族揃って礼拝やミサに出かける。
午後は安息日でもあり、仕事をしないで終日ごろ寝やゲームで静か
に過ごしている。

 サモア人のキリスト教化と植民地化について「南太平洋知るため
の58章」(明石書店)から抜き書きする。
 “南太平洋の人々の約95%がキリスト教徒である。18世紀末に
ロンドン伝道協会がジェームス・クックの探検航海がイギリスで関
心を喚起したこともあり、会員たちは彼方の大海原と島世界に思い
を馳せて最初の伝道地に南太平洋を選んだ。
 一方フランスによるタビチの植民地化とともにカトリックの影響
力が増大し、ロンドン伝道協会は、追い出されるようにサモアに移
った。その一方でプロテスタント諸派も布教活動を開始し、メソジ
スト派がトンガとフィージ、長老派がニューへブリデス諸島、アン
グリカン教会がハワイに進出した。中でもメソジシスト派の伸展は
めざましく、フィージを拠点としてニューブリテン島、ニューギニ
ア南東部、ソロモン諸島西部を布教している。
 キリスト教の宣教団は南太平洋の植民地化の先兵でもあった。植
民地行政、キリスト教、農園労働は南太平洋の植民地化の3つの大き
な成立要素であった。

 植民地化は自らの論理を一方的に押し付け、政治的・経済的・社
会的に不均衡な関係を強いるものである。不公平な制度や法律にも
とづいて資源の搾取、土地の接収、労働者の徴税を実施するもので
あった。農園労働や労働者徴集は一定の制度に基づいて契約されて
いたが実質的に西洋人への徴税の一部であった。

 改宗は宗教や信仰のみならず、日常生活のあらゆる面を劇的に変
えた。宣教団は、島の人々に聖書や賛美歌を伝えるとともに(西洋
人が理解するところの)「人間性」の向上に尽力した。メソジスト
宣教師は、「不潔な環境に住む裸の未開人」の布教に際して、「キ
リスト教の神の言葉よりも、勤勉、誠実、清潔の観念を植え付ける
事が先決である」と述べている。西洋的な衛生観念に適った服装や
住居をもたらし、規律正しい労働を教えた。また「人間性」向上の
一貫として教育と医療を提供した。教育に関しては聖書と賛美歌を
用いて教材がつくられ人々は読み書きを習得していった。南太平洋
の社会は伝統的に無文字社会であった。識字教育の影響は非常に大
きかった。優秀な若者は外国の神学校に留学するものまででた。一
方の医療では、宣教師が簡単な医学知識を習得して人々に投薬を行
い、病気を治して改宗者を得ようとした。各所に診療所を建てるな
どして布教と治病は密接な関係にあった。このような布教活動は、
南太平洋の人々に西洋的な価値観の浸透を促し、西洋人に植民地化
を進める効果を持った。子供たちが「アダムとイブ」を自分たちの
最初の人間だと語るまでになった。“

 牧師の権限は地方では大変強く、マタイと肩を並べるほどである
らしい。南太平洋の人々は反対や抵抗運動もなく簡単に改宗したの
であろうか?19世紀になってニュージランドがサモアを植民地化す
る際にマニ運動という異議申し立て運動が起きたようであるが、政
治運動であって改宗反対運動ではない。インドの聖地 チルパティ
を訪問した際、インド全土から多くのヒンズー教徒がバラティ神を
頼って巡礼におとずれキリスト教には興味を示さない民族とはまる
で異なる。インドの場合古来より独自文化が進んでいて伝統的な自
分たちの神様に霊力、医療の効能、教えがあって西欧の神に改宗す
る必要がなかったからであろう。イギリスによるインドの植民地化
はあまり宗教と関わりなく経済的に伸展したからだと思われる。産
業革命技術による西欧化はあっても人々の心までは変えていない。

 “ゲルナーによると人類は前農耕(狩猟採集社会)、農耕社会、
そして産業社会という3つの段階を経てきた。狩猟社会とは、日本の
アイヌの社会のように規模が小さいため国家のような組織を持つ必
要がなかった。それに対して農耕社会においては、古代エジプトや
中国のような大きな国家ができる。自給自足の農村どうしがネット
ワークを組んでいるような、国家をほとんど意識しないで済む場合
もある。しかし産業社会では巨大で複雑な分業と協働によって成り
立つので国家による強制や統制が必要になる。(佐藤優「人間の叡
智」19Pより)”

 サモアは漁業という狩猟採集と農業が経済の70%以上を占めてい
る。規模の小さい漁業と農業を中心とした狩猟社会では国家のよう
な組織を持つ必要がなかった。松前藩がアイヌとの関係において、
交易の利害関係のみで強奪をせず共存共栄していたような支配関係
であったのではないかと思われる。マヤ・インカ文明の支配、アフ
リカの奴隷労働支配のような略奪・強奪の支配・被支配が少なかっ
たのは、規模が小さく銀や香料、茶のような資源も少なく、支配コ
ストの割には益の少ない島国であったためと思う。

 サモアは母系社会で、村落ではマタイ(村落の首長)・チーフ・
牧師を除けば男性の権限は強くない。夫婦の絆は一夫一婦制を堅持
して、不倫は少ない。いやなら潔く夫を変えてしまう。女性は多産
で子供は家事を手伝いしつけは厳しく、母親となると絶大な権力を
持つ。子は独立するまで家事を助け、長女が夫を迎え、同居する形
が多くみられる。食事は、客や主人が先に食べ、その間、子供は蝿
を追ったり飲み物を用意したりで、幼児を除き食物を口にすること
はない。残された食事を子供や同居人が食べ、最後は豚や犬、鶏が
食べ、残飯はなく合理的である。

このような社会にキリスト教が普及したのは、医療と教育が密接な
関連をもって人々の心に入っていったのだろうと思う。労働の喜び
を教えるプロテスタンティズムの影響はサモア人が農園で労働のき
っかけになったのではないだろうか?西洋人らしい契約に基づいて
はじめられたが報酬は少なく西洋人に有利な契約形態であった。マ
ックスウェーバーが説くプロテスタントの世俗内禁欲が資本主義の
「精神」に適合性を持って近代資本主義を成立させた段階まではい
かないが、それでも労働による喜びを習得することができた。しか
し貨幣経済の浸透でモラルは欧化している。 

 それよりも最も影響が大きかったのは医療であり、衛生観念の導
入であろうと思う。病気の効き目は分かり易く土地の人々の心にも
大きい影響を与える。おそらく伝統的なヒーリングに頼っていた病
気治療が西洋の薬によって劇的に治癒したりすると外国信仰は非常
に強くなる。日本でも奈良時代の仏教の伝来によって伝統的な古神
道が影響を受け神仏習合までに至ったのは、医療の影響が大きかっ
たのではないかと思う。インドや中国の医薬が密教のように不治の
疫病を快癒させて日本人が仏教に帰依したことが大きいインカやア
ステカにおけるスペインの植民地収奪のような過激さはない。収奪
するほどの銀などの鉱物資源もない。現在の日本で結婚式は神式、
葬式は仏教といったあいまいさを残したまま土俗的なマオリ族の習
俗とキリスト教は習合しているようだ。この国の人々も日本人と同
じく“目に見えないものをリアルに感じる”実念論が唯名論よりも
強い人々であると思う。
(2012.11.10 OGAWA)
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小川さん、

サモアの宗教についてのご報告ありがとうございました。

キリスト教が伝導したもの(つまり押し付けたもの)は、当時のイギリス社会が
よしとする価値観だったのかと思いました。

それが現地によいかどうか以前に、宣教師が心安らぐ生活を、そして植民地経営
に便利な価値観を押し付けたのですね。

キリスト教だから一般的な何かがあるというよりも、植民地化した当時の宗主国
の時代背景が反映されるものなのですね。


 狩猟採集社会 ⇒ 農耕社会 ⇒ 産業社会 

という時代区分ですが、農耕社会から産業社会への進展は、何に伴うものでしょ
うか。

化石燃料の使用でしょうか、それとも貨幣によってすべてを判断する貨幣社会化
でしょうか。あるいは、国民国家との関係でしょうか。

産業社会によって、我々はますます本覚から離れてしまったように思います。

得丸



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