4467.歴史記述のマトリョシカ人形



論理の量子力学 あるいは 歴史記述のマトリョシカ人形
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU 

1)思想とは何かと考えるきっかけを得た。

今回、佐渡島の初日に、北一輝のお墓、石碑、生家を回りました。おかげ で、
あらためて、北一輝とは何者だったのかと考える機会を得ました。

とくに私は、彼が著わした「日本国改造法案」というものをどうとらえる のか
ということが気に掛かっていて、それによって彼が思想家なのか、革命家なの
か、それとの何か他の者であるかがわかるように思いまし た。

思想とは、日々の生活の一挙手一投足を支配する論理ではないでしょう か。ご
飯の食べ方や風呂の入り方、掃除の仕方から、もっと複雑で高度な行動に至るま
で、我々の行動は刷り込まれた論理によって決定されま す。この論理は、コン
ピュータや家電製品を作動させるソフトウエアプログラムの論理に等しいといえ
ます。これを思想と呼ぶべきではないか と思いいたったのです。

すると、本を書いたということは、それ自体で思想とは言えず、それが 人々の
行動を論理の次元で支配するときに、それは思想として機能するといえるのだと
思います。

激烈な言葉を紡いで青年将校の心を奪ったとしても、厳密にはそれ自体で 思想
活動とはいえません。そこに著わされた言葉が、具体的な行動を指し示し、それ
が読む者の行動を規定するときにだけ、思想であるといえ る。

道元は、一挙手一投足までこと細かに指示をしています。アラカワは、使 用法
を明記して作品をつくります。それこそが思想ではないかと、思うのです。

そうすると、北一輝は思想家とはいえなくなります。でも、このように思 想を
定義することは適切かどうか、これから考えて行きたいと思います。

2)生身の良寛 光とのたわむれ

秋の野にだれ聞けとてかよもすがら声ふり立てて鈴虫の 鳴く

この歌を詠んだ良寛を感じとりたかったのですが、出雲崎ではあまり感じ ませ
んでした。でも、国上山の五合庵の敷地で、木漏れ日を見て、生命を感じまし
た。おそらくすべての生命現象は、光子の生まれ変わり。鈴 虫の鳴き声も、実
はもとをただせば光なのです。

そういうことを感じただけでもよかった。

http://q.hatena.ne.jp/1345151217

3)渡辺京二『黒船前夜』 − 論理の量子力学へ

さて、メインの読書会ですが、本をよく読みもしないで、文句ばっかり 言って
すみませんでした。もう少しゆとりがあれば、徹底的に読み込んで、渡辺京二さ
んが本来やるべきだった史料の吟味と誤り訂正をした かったのですが、基礎知
識と時間が許さず、中途半端な批判で終わりました。

でも、新幹線の中で、石川さんのコメントを聞いたおかげで、自分が思っ てい
ること、感じたことが多少整理されてきたので、簡単にご説明します。

何かについて議論をするためには、そのことの概念がまず必要です。たと えば
それは、「北一輝」や「良寛」という人名であったり、「ロシアの極東進出」や
「ナガサキ原爆」といった事項名でもいい。とにかくその 言葉がなければ、議
論を聞いても、何も心に残らないし、思考は広がりも深まりもしない。

生まれてから一度も耳にしたことのない言葉は、概念としてもっていない か
ら、一度聞いたくらいでは、すぐに忘れてしまうことが多い。仮に記憶できたと
しても、すぐにそれを概念として使える人は、いないといっ てよい。

イェルネによれば、免疫という概念がパスツールの時代に生まれて、それ が20
年ごとにひとつずつ次元を深めていって、免疫細胞の ネットワーク理論に深ま
るまで100年を要しました。何かについて深く知ろうとすれば、時 間や労力をか
ける必要があります。

ロシアのマトリョシカ人形のように、ひとつ下の次元が見えたと思って喜 んで
いたら、しばらくするとさらに下の次元があることに気づく。科学はそういうこ
とのくり返しです。

我々にとっては、原爆がそうでした。昭和天皇もそうでした。韓国も少し そう
いうところはありました。台湾は韓国より以上に深まることはありませんでした
が、代わりに、杉浦少尉の飛虎将軍廟を教えていただいた り、「帰ったら真っ
先に靖国に行ってください」といわれたり、日本に対する見方が変わりました。

「黒船前夜」は、読者をもうひとつ下の次元に導いてくれるのか。もし、 渡辺
京二さんが導いてくれないなら、読者が自分の論理力でひとつ下の地層を開拓で
きるのか。そこで何を発見するのか。

そういったチャレンジをやってみたかったのですが、私自身ちゃんと読まなかっ
たこともあり、できませんでした。渡辺さんゴメンナサイ

得丸久文
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リアル・プリンセスをアップしました
From: KUMON KIMIAKI TOKUMARU

皆様

6年前に書いた人類が滅亡する話、「リアル・プリンセス − 地球の痛み、わ
が痛み」をアップしました。

冒頭にあるように、このころは、

「驚くほどに深刻な現在の地球環境問題は、人類文明の必然として起きてしまっ
た災厄である。誰が悪いわけでもない。いまさら後戻りもできない。人 類の誕
生と環境破壊は表裏一体のセットになっていて、たまたま今その最終段階を迎え
ているにすぎない。

 取り乱す必要も、あせる必要もない。ただ覚悟せよ。
 淡々とあるがままの事実を受け止め、ヒトが野生動物だった時代の記憶を取り
戻し、文明の豊かさにあっさり訣別して、きたるべき災難の時代をすご すほか
ない。」
という原罪説に近い立場のペシミズムでした。
ちなみに、その結語は、なんと、良寛和尚の言葉でした。


・良寛和尚の心境
 僕たちは、そろそろ自分の文明生活を厳しく見直すべきときであることがお分
かりいただけただろうか。

 見直す基準として、野生動物標準をお勧めする。ごくごく自然体で、これから
到来する災難を迎えればよい。

 文政一一年(一八二八年)の大地震のあとで良寛和尚が書いた手紙に、「災難に
遭う時節には災難 に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はそれ災
難をのがれる妙法にて候」という言葉がある。

 その災難が地震であろうと、地球環境問題であろうと、同じだ。この良寛和尚
の心境になればよい

翌年、インドのティルマラ・ティルパティと、南アフリカのクラシーズ河口洞窟
を訪れ、その後、言語のメカニズムを研究することで、人間が実は宇宙 から祝
福された生き物であるという確信を得ました。

これから続編となる「ハッピー・プリンス − 人類は宇宙から祝福されてい
る」を書こうと思います。

よろしくお願いします。

得丸久文
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『言葉の海へ』にあった『黒船前夜』関連部分
From: 盛

皆様

三文小説を読んでいる合間に、『言海』の編纂者で
ある大槻文彦の伝記『言葉の海へ』(高田宏、洋泉
社MC新書)に手を伸ばしたところ、次のような箇所
がありました。

文の最後に書いてあることですが、玄沢(1757〜18
27)というのは、大槻文彦のおじいさんです。

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 玄沢の関心は草創の人らしく多方面にわたってい
る。医学のほか、語学、物産、外交と、訳書著書が
行列する。だが、そうして外国を知ってゆくほどに、
玄沢の気がかりは海防であった。世界のなかでのこ
の国の位置を見さだめ、正しい状況判断の上で海防
策をとらねばならぬ。ロシアの風物国情を、漂民か
ら聞きとり蘭書から書きぬいて『環境異聞』『北辺
探事』の二著とし、これを幕府に上しているのは、
そのためであった。玄沢のなかに、藩とか幕府とか
を超える、「日本」というものの芽が萌えはじめて
いた。それが、子の磐渓、孫の文彦へとつづく、大
槻家の学の根になってゆく。(p.62)
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『黒船前夜』の中で繰り返し引用されていた『環境
異聞』ですが、そこでは「日本人漂民の口述書」や
「津太夫らの聞き書」と書かれていただけでしたの
で(口述書であれば玄沢は編著者にすぎないからで
しょうし、もしくは私が著者名を見落としているだ
けかもしれません)、こんなところで繋がって、ち
ょっとおどろいているところです。

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 海防論はすでに六、七十年前、西洋事情を知った
林子平が、『三国通覧図説』『海国兵談』の二著で
論じていた。二著とも幕府によって発禁処分にされ、
版木も破棄されて、子平は国もと仙台で禁固の身と
なって死んだが、この林子平と大槻玄沢が友人であ
った。
 玄沢と子平は、仙台の縁もあって、互いに影響し
合った。玄沢の海防論は『環境異聞』を書いている
ことにも現れているのだが、西洋を知ることが海防
への関心に展開するのは、子平にも玄沢にも当然の
なりゆきであった。その海防論を、子の磐渓が実践
を伴って継いだのだ。さらにその子の文彦が、明治
になって、北海道、琉球、小笠原などの辺境領土論
をつぎつぎに書くのも、同じ気持ちからであった。
 明治九年、三十歳の大槻文彦が、その著『小笠原
島新誌』の序を、「君ガ郷ノ林子平、嘗テ三国通覧
ヲ著ス」の言ではじめ、林子平への深い傾倒を吐露
する。林子平から大槻玄沢、磐渓、文彦へとつづく
海防論は、日本の洋学史のひとつの背骨なのである。
この四人にはまた、仙台という「国」もあった。北
辺の対露海防への強い関心が、林子平と大槻一族の
心に流れている。子平の二著は、まず北海道各地の
情況を探検し、ついで長崎で海外事情を調べて書か
れたものだ。玄沢の『環境異聞』、盤渓の『献芹微
衷』ともにロシアを扱っている。(p.70)
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引用しだすとキリがなくなるのでもうおしまいにし
ますが、磐渓が文彦たちに、「ロシアがいちばん礼
節を重んじている」と語る場面や、新井白石とシロ
ウテとのやりとりなどにも触れていて、読みながら
『黒船前夜』を思い返すことしきりです(『言葉の
海へ』はまだ1/3ほどしか読んでいません)。

と書いて、『西洋紀聞』のことはどこにあったかな
と調べてみましたが、そんな箇所は見あたらないで
すね(『黒船前夜』にはどうして索引がないのでし
ょうか)……あれれ。

どうやらこれは私が、高島俊男が新井白石ついて書
いていたものと混同してしまったみたいでした(こ
の本も同時期に読んだので)……。きっと『西洋紀
聞』のこの話はものすごく有名なんでしょうね。私
が知らなかっただけで。

どんどん違う話になってしまいそうなので……これ
にて。
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             盛 2012/09/11



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