4478.日本庭園2の鑑賞



昨日9月27日、小石川後楽園、旧浜離宮、旧芝離宮の3庭園を鑑
賞してきた。

江戸時代の日本庭園は、大名たちの趣味と目的により、いろいろな
回遊式庭園があることを知った。また、思想としての仏教や儒教、
神道や気候風土としての広葉樹とマツなどの植生などの影響を受け
て成り立っている。東京にある主な庭園は江戸時代、明治、昭和の
庭園であり、どうしても回遊式庭園が多くなるようである。

昨日行った庭園の内、一番大きなのが旧浜離宮、次が小石川後楽園
、小さいのが旧芝離宮であるが、逆に、私が評価する順番は旧芝離
宮、小石川後楽園、旧浜離宮の順番である。しかし、小石川後楽園
の内庭は旧芝離宮と同程度によかったと評価した。

入場料は、小石川後楽園と旧浜離宮が300円で、旧芝離宮が150
円でした。旧浜離宮は庭園というより公園という色彩が高い。多く
の大名を集めるために、広い空間と芝生でできている。第11代将
軍家斉が完成したが、将軍家の庭園であった。このため、草の花が
ない。松と芝生と潮入りの池、中之島などがあるが、水戸の偕楽園
を思い出した。質実剛健を表しているようである。

旧浜離宮は、この潮入りの池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代
以降に造られた北庭とに大別され、明治時代に作られた庭は、ボタ
ンなどの林が作られた。この明治以後の庭は日本庭園ではない。

小石川後楽園は、江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の
祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として
造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園だ。光圀は作庭
に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「
(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて
楽しむ」から「後楽園」と名づけられた。

庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所
に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものにな
っている。この庭園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・
田園などの景観が巧みに表現されているが、おもちゃ箱をひっくり
返したような印象を受けた。それと全体的に六義園より暗い感じが
する。

六義園は、明暗がハッキリしているし目的な明確が分、スッキリし
た印象を受ける。といように小石川後楽園より六義園の方が評価が
高くなる。

しかし、内庭は、池に蓮と中之島への橋が風情有り、なかなか良い。

旧芝離宮は、この内庭の延長のような庭園である。延宝6年(1678年
)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領し整備して、庭園を
「楽壽園」と呼んでいた。幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となる。
海と浜をメインとした、回遊式泉水庭園であり、池を中心とした庭
園の区画や石の配置は、非常に優れている。山がないので、コント
ラストがない分評価できないが、表す海の浜の風景が非常に良い。

ここまでの日本庭園としてのランキングとしては、枯山水庭園以外
では、
1.足立美術館の日本庭園
2.六義園
3.栗林公園
4.旧芝離宮
5.小石川後楽園
6.旧古河庭園
7.旧浜離宮
8.小石川植物園の日本庭園
となるか?

京都や奈良の庭園も見ているが、観察眼を持っていなかったので、
再度、京都の庭は再度見て、評価しないと思う。

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