昨日28日、関東平野の平地の際を走る八高線、両毛線、水戸線に 乗り、この山地と平野の際を旅行してきた。 武蔵境6:04分の高尾行きに乗り、八王子6:32分着くが、隣 ホーム八高線の6:34分川越行きに階段を駆けてやっと間に合っ た。 この時間と同時刻6:35分横浜線、東神奈川行きの電車もあり、 この電車に乗る通勤客が、中央線を降りると階段を駆け上がるので 混雑する。そこを旅行者の私Fが押しのけて上がらないと間に合わ ない。八高線に乗る通勤客は少ないので、階段下りは空いている。 ごめんなさいね!通勤客の皆様。私のような遊び人が邪魔して!! 八高線は、南の高麗川までは電化させて本数が多いし、ほとんどの 電車の行き先は川越である。途中、東京行きの電車とすれ違い、八 高線の高麗川発東京行きを知る。青梅特快は有名であるが、八高特 快もあるのだ。八高線の南は電化されているが単線であり、1時間 3本程度と本数が多く、このため各駅で交換待ちがある。 高麗川(コマガワ)で、北の八高線に乗り換える。ここからは電化 されていないので、2両編成ディーゼル車である。1時間に1本程 度と運行密度は低くなるが、乗客数は多く、始発高麗川と終点高崎 に近いところでは、多くの立ち客が居る。 高崎駅から両毛線の電車に乗る。前橋9:24分に着く。前橋は、 特殊な都市である。上越本線から外れているために交通の便がよく ない県庁所在地である。交通の要所にないと、県内からの陳情団や 県職員の県内調整が問題になる。 JR前橋駅前横のイトーヨーカ堂も撤退して、今は空ビルである。 しかし、駅から伸びる広いケヤキ通りの道は、歩道も整備され木陰 ができて涼しいが、店がない。閑散としている。しかし、その道に バスが引っ切り無しに通る。 上毛電鉄の中央前橋駅の方が拓けている。電車の本数が多いことに よるのであろう。JRは1時間に2本である。伊勢崎より先に行く 電車は1時間に1本である。伊勢崎の手前の駒形までは複線で、そ こから小山までは単線である。伊勢崎から東武電車で東京に行く方 が早いし安い。上毛電鉄の前橋から東武電車に途中で乗換えても早 いはずである。 県庁はJR駅から歩いて15分の所にある。そこまでけやきの広い 道が続く。よく整備されている。人が少ないので、気持ちがよい。 前橋は、酒井・松平家の前橋藩の藩都であり、前橋城があったとこ ろであり、その城があった所に県庁のリッパな建物がある。 しかし、城の碑や前橋公園は隅に追いやられている。観光客に優し くない。このため、この都市は完全な政府都市になっている。ここ まで完璧な政治都市は、日本ではここしかない。東京への通勤客も ないし、観光地でも、繁華街でもない。県庁の近くにアーケード街 があり、そこに行ったが寂れている。飲み屋しかない。県庁職員の ための飲み屋さんなのかもしれない。 2時間の観光を予定が、1時間程度しか見るの物がない。公園や東 照宮を見たがたいしたことがないので、駅に戻った。 前橋11:21分の小山行きに乗り、足利で降りる。この足利は前 橋と逆で観光に生きるしかない。足利学校、ばんな寺があり、観光 資源がある。火曜日という平日であり人はないが、よく整備された 石畳の道で、この周辺の店も特徴をある。心地よい町並みである。 と思ったら、都市景観100選で、1994年に足利学校・鑁阿寺 周辺地区(栃木県足利市)が指定されている。 足利学校は、遅くても鎌倉時代にはできていた論語などを教えた学 校である。室町時代初期には衰退していたが、1432年(永享4年)上 杉憲実が足利の領主になって自ら再興に尽力した。 教育の中心は儒学であったが、易学においても非常に高名であり、 また兵学、医学も教えた。戦国時代には、足利学校の出身者が易学 等の実践的な学問を身に付け、戦国武将に仕えるということがしば しばあったという。学費は無料、学生は入学すると同時に僧籍に入 った。 足利学校の様子を、キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルは 「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー(坂東の大学 )」と記し、足利学校は海外にまでその名が伝えられた。ザビエル によれば、国内に11ある大学及びアカデミーの中で、最大のものが 、足利学校アカデミーであるとした。 鑁阿(ばんな)寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼(よしかね)が 、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂(じぶつどう)を建て、守り 本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれている。 三代目の足利義氏(よしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏 寺とした。このため、お寺は、現在、真言宗大日派の本山である。 足利は、前橋とは趣が全然違う都市であり、それが隣同士にある。 町全体の雄大さは前橋であるが、足利学校・ばんな寺周辺の小奇麗 な町並みは足利である。町が何で生きるかの対象の違いで町のつく りも違うことを両都市は示しているようだ。 足利駅で、14:08分小山行きの電車に乗ったが、高校生が大量 に乗ってきた。地方のJRは高校生で持っていることがわかる。地 方では、大人は自動車で移動するが、高校生は地元の高校ではなく 、離れた高校に通うことが多いが、交通手段は電車かバスしかない。 このため、JRでの通学が多くなる。おじいさん、あばあさんも多 いが、高校生よりは少ない。このため、登下校時に運行本数が多い。 小山で水戸線に乗り換える。水戸線は4両編成の電車、両毛線は5 両編成の電車であった。八高線は南は8両編成の電車、北は2両編 成のディーゼル車であるが、乗客は多い。 関東平野の際を走るJR路線は、人口密度が多い。そして、水戸線 、両毛線、八高線南の沿線には工場や会社が多い。高度成長期後半 に東京からこちらに移転した工場が多数のであろうが、その工場が 健在であるために、人口が多いようである。 両毛線には東武鉄道や上毛電鉄などの私鉄があるが、水戸線には競 合する私鉄がないために、人口密度は両毛線より低いが、乗客数が 同じ程度のような気がする。JR西日本山陽本線の広島から先の状 態より、この両線の方が儲けが多いように気がする。 今回、関東平野の山際の路線を乗ったが、相模線には乗っていない ので、今後乗りたいと思う。 次回は、銚子、鹿島神宮に行く予定である。