きまぐれ読書案内 胡桃沢耕史 『黒パン俘虜記』 得丸公明 5年前、近所の図書館の除籍コーナーに、胡桃沢耕史の『黒パン俘虜記』がお いてあったので、インドに持っていって読んだ。これは彼自身の経験し た外蒙 古での収容所体験を綴ったものである。 抑留期間は2年ちょっとだった。短かった理由は、モンゴルの収容所の死亡率 が20%と高かったからだそうだ。 「全シベリアの収容所と比べても異常に高い死亡率だ。本国の監察官が驚い て、この国の抑留者だけを早急に全員帰すことにした」 蒙古の特務機関の中尉は「四千人も死んだことについて、私ら蒙古共和国政府 にすべての責任を押しつけられても困るな。作業の量も食料も国連の示す規定 通りだった。殺された者のうちの大部分は、日本人同士がお互いの利益で殺し あったのだ。その事情はお前にはよくわかっているはずだ」という。 「ええ分かっています。どこで聞かれてもそう答えますよ。日本人俘虜は、 皆、同じ抑留者の仲間のボスに殺されたんだと。」 このいきさつを丁寧に記録したのが本書である。暴力をふるって権力を握った ヤクザや、同じ収容所仲間に規定外の労働をおしつけて私腹をこやした者たち が収容所内の権力を握り、同じ収容所仲間の健康や生命をむさぼって、ずるく生 きのび、日本に帰っていった。 その悪を告発した一人は、函館に向かう帰国船の中で私刑に合い、海に投棄さ れた。 一生で最大の怒りとやるせなさを抱きつづけた著者が、本書の内容をはじめて 公にしたのが「オール読物」の昭和56年12月号から57年4月、 58年1 月、6月号であったのには驚いた。それまでの期間、公にしないで抱え込んでい た理由は何だったのか。 もしかすると、吉村という主犯級の男が病気にでもなったからかもしれない。 吉村は、胡桃沢耕史を名誉毀損で訴えるが裁判途中で死んでしまう。吉村が生き ているが、物理的な仕返しはできないという絶妙のタイミングを狙ったのだろう か。 純文学はリアリズム文学であるといったのは福田宏年(『時が紡ぐ幻 − 近 代芸術観批判』)であったが、この『黒パン俘虜記』に描かれたむき出 しのリ アリズムこそ、文学の名に値すると思った。つまり、描かれるべくして描かれ、 読まれることによって読者に生きる知恵を授けるという時代の任務を背負った 作品である。 読んでから5年もたって本書を思い出したのは、フクシマ原発事故以降の日本 で、放射能汚染食品の流通、放射能汚染瓦礫の焼却などが横行しているのは、 モンゴルの収容所でおきたことと同じ同国民を食い物にしているヤクザな人間た ちの存在を感じたためだろうか。 同じ日本の国民の健康や生命をむさぼって、ずるく生きのび、私腹をこやして いる一団がいる。非常時であるにもかかわらず、国民を内部被曝・外部 被曝の 危険にあえてさらす情報統制や世論誘導が横行している。 戦争に負けて、民主主義国家という嘘の建前と、政治家たちの無責任とアメリ カによる占領体制という夢のない現実の狭間に、吸血鬼のような集団が入り込 む隙間があったのだと思う。これが日本の戦後体制のもっともいびつで汚い部分 であるが、フクシマ原発事故の危機のドサクサに紛れて、彼らが好き勝手なふる まいをしているのだろうか。 (2012.4.13)