荻生徂徠(おぎゅう そらい)寛文6年2月16日(1666年3月21日) - 享保13年1月19日(1728年2月28日)は、江戸時代中期の儒学者・思 想家・文献学者である。 朱子学に立脚した古典解釈を批判し、古代中国の古典を読み解く方 法論としての古文辞学(護園学派)を確立した。また、柳沢吉保や 8代将軍徳川吉宗への政治的助言者でもあった。吉宗に提出した政 治改革論『政談』には、徂徠の政治思想が具体的に示されている。 これは、日本思想史の流れのなかで政治と宗教道徳の分離を推し進 める画期的な著作でもあり、こののち経世思想(経世論)が本格的 に生まれてくる。 元禄・享保時代の社会的変動を思想面に於て最も痛切に受容して、 その時代的社会的な問題性と真正面から取り組まんとしたのは、徂 徠学である。徂徠学はなによりもまず政治学たることを本質とする。 経済政策を立案したのが太宰春台であり、藩専売制度や商業政策を 本格的に提案している。 この提案に基づき、大岡越前が市場の改革や貨幣の量を増したりな どの商業政策を行っている。 この元禄・享保時代は、農地開発が一段落して、経済活動が一時的 に失速したが、その経済活動をどうするかを問われた時代である。 その回答が、政治が経済をコントロールするという荻生徂徠の考え 方である。 今の時代と、この元禄・享保時代が似ている。そのため、その政治 制度も徂徠学が非常に参考になるようだ。 政治が経済をコントロールするという考え方が重要になっていると 見える。国家が経済を誘導する時代であるようだ。