4262.インド巡礼からの帰国



インド巡礼からの帰国、『恋せよ、乙女』『人間と非人間的動物た
ちの違い』
From: tokumaru

皆様、

南インドの聖地ティルマラに参拝し、全員無事、下痢もせず、スリ
にもあわず、昨日の朝、もどってきました。

聖地ティルマラの正式参拝は、なかなかの圧巻でした。そこでシン
ポジウムを行ってきました。

私は、シンポジウムで1本の講演『恋せよ乙女 源氏物語からのメ
ッセージ』と1回の授業『人間と非人間的動物たちとの違い』を行
なってきました。

−1−
『恋せよ乙女』は、以下のような内容でした。
1 言語とは音節を並べた情報である。
2 漢字文化圏に属する日本では、漢字を使った万葉仮名の延長と
して、9世紀初頭にカタカナが生まれ、10世紀初頭にひらがなが
生まれた。

3 これがインド系文字(ハングルもインド系文字に含まれます)
に比べて、いくつかの点で優位であり、人類史上でも唯一の第二音
節文字セットである。

 インド系文字は、とにかく難しい。そして時代とともに、文字の
形状が変化する。さらに、崩し字ができない。これは人口管理や納
税という政府の官吏のための文字であったために、より複雑なほど
よい(職業が保護される)という事情があったのではないか。

4 これに対してひらがなが生まれた背景には、
(1) 漢字の読み方をフリガナするためのカタカナという音節文字セ
ットが存在した
(2) 筆と墨という便利な筆記用具が一般化した。この道具に適した
書体として、ひらがなが考案された。30文字はカタカナと同じ漢
字をモデルにし、17文字はひらがなのために新たな漢字を使って
簡略化がおこなわれた。1000年以上経過しても、どちらもまっ
たく変化していないのは、オリジナルがしっかりしているためでも
ある。
(3) 7世紀初頭に輸入された和紙の技術が、9世紀には全国に広ま
り、比較的容易に手に入るようになった。再生紙すら存在していた

(4) 万葉集以来の歌心の伝統が国民の隅々にまで浸透している。
759年の万葉集は万葉仮名で書かれているが、905年の古今集
は漢字かな混じり文である。歌を詠みたい、日記をつけたい、手紙
を書きたい、物語を読みたい、書きたいという女性の思いがあった
から、ひらがなは生まれた。

5 ひらがなは女流文学を開花した。
 その研究書である『紫文要領』は、もののあはれについて論じて
いるが、これは文明的な要素を超越した、野生動物の感受性にもと
づいた心のありかたを大切にせよというものである。

 乙女らよ、恋せよ、自然のままであれ、そして勇気をもて。
以上


−2−
『人間と非人間的動物たちの違い』は、以下のような内容でした。
1 人間と人間以外の動物たちの違いは、実はきわめて少ない。
DNA配列も、脳と神経のネットワークもほぼまったく同一のメカ
ニズム。
2 違いのひとつは脳の拡大であり、生後一年間、ほぼ寝たきりの
状態でいることにより、チンパンジーの脳の4倍の大きさをもつに
いたった。これは洞窟居住のためであり、家をもつのも子育てのた
めである。

3 もうひとつは、コミュニケーションに用いる音声が、音節にも
とづいていること。
 アクセントをもつ離散的発声が可能な、喉頭降下によって、肺気
流を口から吐き出すことができるようになったために、母音、子音
それぞれが離散的な周波数をもつにいたった。
 動物は、限られた数の発声パターンを何度も何度も繰り返すのに
、人間は同じことは一回だけしか言わないのは、音節のおかげであ
る。
4 音節があるとどういう利点があるか。概念・文法・論理概念
(1) 順列によって単語の数を無限に作ることができる。
 音節の記号が、五官の記憶と結びつくメカニズムは、脳脊髄液中
の白血球と免疫グロブリンによる抗原抗体反応だと考えられる。B
細胞受容器や免疫グロブリンの相補性決定領域(CDR1-3)のペプチド
構造によって、抗原補足領域の形状が決定され、一対一の結合が生
まれる。これが概念である。

(2) 1音節の付加・変化によって、概念語を紡いで一次元状に文章
を組立てることができるのは、ヒトだけの現象。音節はアクセント
をもつので、文章を紡ぐときの音韻付加・変化に意味を持たせる決
まりをつくった。これが文法である。
 二語文や三語文は、赤ちゃんでもしゃべるし、チンパンジーに手
話(ASL)を教えたところ、二語文や三語文は問題なくコミュニケーシ
ョンできたことがNIMで紹介されている。

(3) 論理概念というのは、五官で感じることができない現象に名前
をつけたもの。
 我々の脳は、類や、関係性を考えることができる。
 類とは、Aか、Aでないかという排中率にもとづいて世界を分類す
ることである。そうすると、すべてが二分木状に体系化できる。

 関係性というのは、「イギリスとロンドンの関係は、インドとデ
リーの関係に等しい」という文章を聞いて、正しいと思うこと。
「アンドラプラデーシュ州とハイデラバードの関係は、タミルナー
ド州とムンバイの関係に等しい」と聞くと、それは間違っていると
自信をもって思うところでも明らか。我々は目に見えない概念であ
っても、論理操作によって、関係性を判断し、同じか、違うか、と
いうことを思考している。我々の脳内には、論理判断を実行する装
置があるのだ。

 これらの類概念・関係性概念にもとづいて、より複雑な科学的概
念が構築される。
 論理概念は、五官で感じられる記憶に根ざさず、論理判断を繰り
返した結果得られるものである。えてして現実から遊離したものと
なりがちである。

 論理概念をつかうためには、概念の透明性(知覚可能な現象から
はじまって、どのようにして概念ができているかについて明朗でな
ければならない)が重要となる。それは概念のトレーサビリティー
(概念から現実へと戻っていく論理の道筋が明確であること)と呼ぶ
こともできる。それができないとき、論理概念は、ヒトの思考を混
乱させ、騙すために用いられるようになる。

 この論理的コミュニケーションのことをデジタルと呼ぶのが妥当
と思われる。コンピュータネットワークのビット(論理0と論理1
)を使った通信も、生物の遺伝情報であるDNAとRNAの4つの
ヌクレオチドによって表現される論理的アデニン、論理的グアニン
、論理的チミン(ウラシル)、論理的シトシンが伝える生命の設計
図もデジタルである。
 ヒトの言語は、音節という論理的記号によって構成されるデジタ
ル通信である。

 ヒトとは、論理記号を使って論理層で通信をする動物である。
以上



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