4166.『フクシマ以後』



関曠野著『フクシマ以後』
From: tokumaru

皆様、

関曠野『フクシマ以後 − エネルギー・通貨・主権』
(2011年、青土社)

関さんとは、1987年以来のお付き合いで、1990年くらいまで、エネル
ギーとエコロジー、エントロピー、民主主義などについての勉強会
を行なっておられたのに参加していました。戸田徹なきあと、私に
最大の思考法的・思想的刺激を与えてくださった方です。

富山で論語の勉強会を開いたのも、関さんの本に刺激を受けたから
でした。言語について深く考えるようになったのも、関さんの影響
といえます。

鷹揚のメールにかつて書いたことですが、

実は私を「論語」へと誘ってくれたのは、関曠野著「国境なき政治
経済学へ 世界のアメリカ化と日本イエ社会をめぐって」(社会思想
社、1994年)である。その冒頭で、著者は、冷戦後の世界を考えるに
あたって、思想の基盤として「論語」の正名論を紹介している。今
読み返してもみずみずしいので、紹介したい。

「ソ連の崩壊による冷戦の終結は、対岸の火事どころか、我々一人
一人を偶発事と危険にみちた未知の状況に引きずりこんでしまった。
そして今さらのように孔子が語る『正名』の思想ー物事に正しい名
がついていないかぎり政治は混乱に支配されるという思想が想起さ
れる。現代の思想と政治の混乱は、ポスト冷戦の世界が生み出した
現実に未だに明確な名がついていないせいなのである。名もついて
いない現実については誰も語ることができない。しかるに政治とは
、何よりも語ることによってたんなるむき出しの現在を、過去を背
負い可能な未来をはらんだ『歴史的現在』に転化させることである。

そのように語ることが不可能なとき、我々は人間の基本的な徳であ
り能力である政治的能動性を失って無力感に打ちひしがれ、人間と
して荒廃する。だから現代のような時代には、我々は未知の現実に
つけるべき正しい名を求めて語り合い、論争しなければならない」

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210202.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1311072.htm


この問題意識と取り組み手法の延長に『フクシマ以後 − エネル
ギー・通貨・主権』はあります。つまり、概念を正すことが必要な
のです。

「フクシマ以後」も、「フクシマ第一原発事故」も、フクシマ以前
の延長にある。今日我々の直面しているアポリアと取り組むために
は、フクシマ以前にたちかえる必要がある。

戦後とはなんだったのか、明治維新はなんだったのか、あるいは近
代以降の人類の所業はどのように評価すべきであるのか。通貨発行
権をなぜ民間銀行がもっているのか。
なぜ国家は債務奴隷化して経済が破たんしているのか。国家とは、
主権とは、何だろうか。天皇と自衛隊をめぐって、イデオロギー対
立がなぜ長い間続いてきたのか。国家官僚が忠誠を誓っている対象
は何か。

これまで我々が当然視してきた概念装置(言葉とそれが意味するも
ののセット)について、理論と現実を比較して、現代を生きていく
上で有効性をもちうる新たな概念装置を作り出すことが重要である。
本書はパラダイム・シフトのための本である。

したがって、読書会では、本のテキストの内容をおさらいする時間
がないので、各自、自分の納得がいくまでテキストを読んできてく
ださい。1 原発、2 歴史、4 国家を中心におきますが、今話
題のTPPに関する3 世界経済についても、関さんのライフワークで
ある5の ルソー論も、必要に応じて触れます。


本の評価は読むことによってしか生まれません。多少時間がかかっ
ても、自分が納得いくまで読む。うまく著者の論調に乗せられたら
、コロンブスの卵のように、現代世界・政治・経済についての新し
い認識枠組みを手に入れることができるでしょう。

納得いかない場合は、著者のどこがどう納得いかないのかを自分な
りにきちんと整理してみてください。

時間が限られていますので、できるだけ早く本を手に入れ、読みや
すいと思うところから、少しずつでも読み解いて、著者のことばを
自分の意識に照らして比較してみてください。

得丸久文
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+++  Avant-Garde (前衛)に立つことのむずかしさ +++

−1− 山本義隆の教えてくれた大切なこと

た関曠野さんの原発についてのコメント。

「しかしながら原発は、核反応という非ニュートン的現象をニュー
トン物理学の枠内の技術で制御しようという原理的に矛盾し、始め
から破綻している試み、テクノロジーの名に値しない極端なアクロ
バットなのである。」

この議論の延長線上に、物理学者 山本義隆氏の議論があればいう
ことなしだったのですが、残念ながらそのような議論ではなく、が
っかりしたのでした。

しかし、なにもこれは山本氏だけの問題ではなく、読書会において
も、「お母さんの介護を熱心にしている山本氏のいうことは、信用
できる」とか、「乗ってる車がベンツだというので、信用してよい
ものやら」という意見が出ました。

我々も、本に書かれていることを別の噂話をもとに、信じるか信じ
ないか、信仰するかしないかと判断しているわけで、もっとクール
に、書いてあることの内容で評価しなければならないのだと思いま
す。

最大の問題は、20世紀の科学が、目にみえない量子の世界に到達し
たということでしょう。我々は目にみえないことを確かめるための
技術を身につけなければ、本一冊マトモに読むことができなくなっ
たということがわかっただけでも、今回の読書会の意味はあったと
いうべきかもしれません。


−2− 知性へのペシミズム

人類の知的営為が量子の一線に到達してからというもの、科学は混
乱し、中世暗黒時代へと逆行していきます。

まず、間違った内容の教科書がたくさん市場にあふれて、我々の知
識に誤った方向づけを行なうことから始まります。それから、それ
を丸呑みして、表面上の論理だけとりつくろった追随者たちが、ま
すます嘘をもりたてます。二重、三重に、嘘で塗り固められた科学
の最先端に、どうすればたどりつけるのかが、科学の最大の課題と
なったのです。

最前線、前衛に立つことが、これほどむずかしい時代はないといえ
るでしょう。

たとえば、現代芸術や建築の世界では、荒川修作を理解して乗り越
えないことには、自分のやることはすべて40年前のアラカワの到
達点に達しないわけです。しかし、アラカワは、50年間、ニューヨ
ークでひたすら勉強していたわけで、それと同じレベルに達するこ
とは、無理だとあきらめてしまう建築家や芸術家ばかりなのです。
これではせっかくの人生を無駄にしてしまいます。

世の中見回してみると、およそすべての科学の領域で同じようなこ
とがおきています。最前線に立つひとたちは、孤立していて、修行
者のように生きています。そして、周囲は、どうせ自分たちには理
解できない、同じ地点にはたどりつけないと最初っからあきらめて
しまっている。

知性へのペシミズムといえるでしょう。


−3− 本に書いてあることと格闘する、専門家の意見を求める

どうすれば、要領よく最前線にたどりつけるのか。本を正しく読む
ことの重要性は、ここにあります。本を、信仰の対象とせず、ひと
つひとつの概念を時間をかけて吟味して、自分の意識にとりこむ以
外に、最前線にいける方法はないでしょう。

もうひとつは、専門家の意見を求めることではないでしょうか。自
分よりも専門知識の多い人に、教えを請う。これが重要だと思いま
す。

海外に住んでいて、科学社会学・科学技術史 哲学・倫理学 免疫学 
の研究をしておられる日本人に、言葉の意味を司る抗原抗体反応に
ついてのメモを読んでいただいた。さっそくコメントをくださった。

「グリア細胞についての問い合わせありがとうございます。こちら
の方は専門ではありませんが、知っている範囲でお答えいたします。

グリアの役割は受動的なものとして捉えられていたようですが、今
では積極的に神経伝達過程の調節にも関与していることが明らかに
なりつつあるようです。マクログリアは外胚葉由来になりますが、
血球細胞と関連があるのはミクログリアと言われる細胞だけです。
したがって、ミクログリアは免疫反応に関わります。リンパ球や抗
体と神経系との細胞反応はあると思いますが、それがシンボルの処
理というところに行くのは科学的には飛躍があるように見え、何と
も言いかねます。ご指摘のように、MSなどは自己免疫病と捉える見
方があり、リンパ球が自己のミエリン蛋白を攻撃するという結果が
出されています。

最新の成果はもっと進んでいるかもしれませんが、現段階ではこの
ようなところになります。」

インターネットのおかげで、お金も時間もかけずに、このような率
直な意見をうかがえることは、大変によいことだと思う。

とくまる



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