4176.読書は信仰を越えるために



読書は信仰を越えるために

『フクシマ以後』は、戦後民主主義の総括をした本もあります。

冷戦が終わったとき、そして、大江健三郎がノーベル文学賞をもら
って、戦後文学者として文化勲章を拒否したとき、誰かがきちんと
戦後を評価しておくべきだった。ノーベル賞がよくて、文化勲章が
よくないという対立に、もう少しみんなこだわればよかった。

私は1994年11月に毎日新聞の『エコノミスト』の読者欄に、
「戦後民主主義と世界」というタイトルの記事を載せてもらった。
20年近くが経過した今、読み返してみて、スタンスにブレが少な
いのはよいことだと思う。そして、ここで私が考えていたことは、
保田與重郎の「絶対平和論」に通じるものであり、関曠野さんの思
考に近いものであることがわかり、結局、真剣に考えたら、みんな
同じ結論になるのだなということがわかって、うれしくなった。

我々が読書をするのは、関さんや、保田與重郎と同じ思考にたどり
つくのが目的である。

老人介護をするから、この人のいうことは信じるとか、自家用車が
ベンツだから信じないとか、盲目的な宗教的信仰から自由になるた
めに、我々は読書をするのだ。

現実のなかにある矛盾を丁寧に整理して、その根源にある問題を気
づくために、本を徹底的に深く読むことは有用である。この目的意
識なしで、本を読むことは、無意味である。

そういった点で、今回の本は、先月の山本義隆の本とは、まるで性
格の違う本だ。

環境・反原発・戦後民主主義といった問題を考えぬいてきた関さん
が、フクシマ原発爆発の前後に書きためた論考には、大量消費社会
・福祉国家であった戦後民主主義の時代が崩壊していくなかで、自
衛隊・天皇が新たな位置づけを社会の中で獲得していくドラマが描
かれている。

大量消費社会の慣性から逃れて、新しい生き方を模索することが提
案されている。

皆様、ぜひとも本と何度か格闘してください。一度読んだだけでは
、きっと理解できないでしょうから。

文明の崩壊、日本がアメリカの属国であることの確認、そして、そ
ういったものをすべて乗り越えて、希望がみえているのです。そこ
まで味わってきてください。

とくまる



http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1207112.htm

戦後民主主義と世界

 今年のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏の文学の主題は、脳
に障害を持って生まれた息子を持つ父親の心理であり、日本的な私
小説を彷佛とさせる。障害児を一個の尊厳ある人間として見まもり
、対等な人間関係を築きながら自立へと導く真摯な親の姿には胸を
うたれる。

  文学者であり、障害児の父であり、10歳で敗戦を迎えて後は日
本の戦後社会をよく生きようとする一人の市民として、大江氏は安
保闘争や連合赤軍事件に共感し、被爆者運動や反核運動に自らもか
かわってきた。これが氏の文学の変奏部である。氏の傷つきやすい
ナイーブな感受性こそが戦後文学に特徴的な感性であり、戦後民主
主義の精神として平和と民主主義を純粋に追い求めてきた。

  今回の受賞をめぐっては、「日本の戦後文学が特殊であだ花とい
うことではなくなる」(川村湊氏、毎日新聞)という発言があった。
また、大江氏は「『戦後民主主義者』に『国家的栄誉』は似合わな
い」として、文化勲章を辞退した。ここで戦後民主主義(ならびに
その思想的・文学的表現としての戦後文学)」について考えを整理
しておく必要がありそうだ。

  大江氏は、ノーベル賞はスウェーデン市民から贈られたものとし
てありがたく受け取るが、文化勲章は日本国家のものだから受け取
れないという。

  しかしノーベル賞はダイナマイトと無煙火薬を発明し、それが兵
器に利用されることで巨万の富を築いた化学者の遺産によって運営
されている。選考も市民の合議により民主的に行われるのではなく
、少数の委員たちが密室で決める。スウェーデン市民から贈られる
というのはこの歴史と現実にそぐわない。これまでの選考結果を見
ると、文学賞や平和賞では、旧共産圏や第三世界の反体制勢力を支
援したり地球環境ブームをあおったりと、政治的意図が働いている
ことも否定しがたい。

  一方、大江氏をはじめとする戦後文学者たちは一様に日本の国家
、象徴である天皇、行政を司る官僚機構を忌み嫌っている。しかし
、日本国憲法には国民が主権を持ち、官僚は全体の奉仕者にすぎな
いと書いてある。これまでの憲法論議でこの点について違憲状態が
あるという指摘は行われていない。すると少なくともタテマエ上は
、文化勲章こそ市民によって贈られる賞だといえる。

  では大江氏はこの単純明解な論理(の可能性)をどうしてやすや
すと否定することができるのだろうか。それは戦後民主主義の出自
が、敗戦国日本を連合国が裁いた東京裁判史観にあるからではない
か。そのため戦後民主主義の思想においては、日本の国家・官僚が
行うことはすべてうす汚くて信用できない、欧米には真の民主主義
が花開いている、という命題が何ら疑いを持たれることなくあらゆ
る議論の前提に置かれてきた。

  しかし世界の歴史を冷静に見つめるならば、戦争による大量殺戮
や植民地主義による人間性の否定をもっとも大規模にかつ長期的に
行ったのは欧米である。日本は今世紀前半の東アジア諸国への侵略
を除けば基本的に対外侵略的でない平和な国家であった(だからと
いって東アジア侵略の罪の重さがわずかでも軽減されるわけではな
いことを申し添える)。

  これは歴史の皮肉としか言いようがないが、戦後民主主義という
平和への祈りに満ち満ちた思想が根付いたのは、日本人がもともと
平和愛好民族だったからだと思う。おまけにお人よしの日本人は、
自分たちにこの思想を押し付けた連合国は自分たち以上に平和を愛
しているはずだと信じこんできた。こうして国連信仰・国連幻想と
いう国連(=連合国)の現実からかけ離れた認識が日本ではびこる
ようになった。

  おそらく東京裁判史観を押し付けた連合国の人間たちも、日本人
がこれほどまでにそれを固く信じるとは思ってもみなかったことで
あろう。彼らには、そんなにも平和を愛する民族がいるということ
自体が理解できないのだ。

  だが現実とかけ離れているからといってその思想を捨てる必要は
ない。少なくともそれは日本では根付いて花開いたのだ。常任理事
国になるかもしれない日本は、これを機に戦後民主主義の思想を世
界に広めることをその使命としてはいかがなものであろう。

==============================
人間は死なないということの意味
From: tokumaru

http://www.shinanai-kodomo.com/

みなさま、

20世紀が生んだ世界最高の芸術家であった荒川修作が亡くなって
一年半になります。
このほどアラカワの家に住んだ人たちが、いろいろと語った映画「
死なない子ども」がDVDで発売されますので、ご案内申し上げま
す。

というのは、映画自体よりも、オマケのアラカワの生の声を聞くこ
とがとても重要だとおもうからです。
このオマケのビデオは今しか買えません。

アラカワは、人間は死なないといいました。
これは、人間は自分のやった仕事を情報の形で残すことができ、後
に続く人間は、先駆者の仕事を徹底的に消化・受容して、先駆者が
到達した地点を出発点にすることができるという意味です。
我々は、勉強しなければならないサルなのです。

それを理解するためにも、アラカワの生の声は大切です。
どうぞ、皆様、この機会に5800円の特典DVD付きをお買い求
めください。
そして、何度も何度も徹底的にご覧になってください。

とくまる







コラム目次に戻る
トップページに戻る