4161.邪馬台国と狗奴国



狗奴国(くなこく)は、3世紀ごろ邪馬台国と対立し、南にある男
王が支配していた国のこと。これは、邪馬台国が三輪にあり、その
後三輪王朝であると、葛城王朝となる。この男の王であるとすると
、神武天皇の国となる。葛城は、三輪より南である。

なぜ、飛鳥朝時代、尾張の国司が時折、天皇を決める時に、絶大な
権限を持っているのが見える。東海地方特有な弥生土器「S字口土
器」があるが、愛知を中心に広い範囲に分布している。この中心地
は愛知県一宮市の西上免遺跡であると考古学的に見つかっている。
そこから遠征して、邪馬台国を攻めて、降伏させたのだろう。

しかし、男の王である葛城王朝は、戦争で諸国を併合しようとして
上手くいかずに、三輪王朝が成立するが、平和的に王権を移管した
ので、葛城系も力を温存している。それが後の蘇我氏などになる。

三輪王朝は、トヨが立ち、諸国がまとまることになる。諸国連合的
な王朝になる。そのように見ると古文書の多くの辻褄が遭ってくる。

アマテラスとは卑弥呼とトヨのことであることも推理できる。乱暴
な弟がいたことを悲しんで、天の岩戸に隠れるが、皆が望んだので
出てくるというストーリーによく遭うことになる。

また、狗奴国をこの場所であるとした「幻の王国・狗奴国をたびす
るー卑弥呼に抗(あらがった) 謎の国へ」風媒社2009,12,22.発行が
愛知である理由を述べている。

「最古の前方後方墳型をした墳丘墓である廻間遺跡、最古の前方後
方墳である西上免古墳。これらの発見から前方後方墳が東海地域の
部族社会の中で生み出された地域型墳丘墓であることを証明してく
れたのである。前方後方形の墳墓は、伊勢湾沿岸で誕生し、主に東
日本地域に広がる特徴的な墳丘墓のかたちであった」とある。

このため、神武天皇の一族が大和朝廷に君臨して、天皇の墓の形を
決めたのであろう。


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