4147.インフォマティクス



インフォマティクス
From: 小川 

得丸さん、皆様 

シャノンの定理が誤りとの指摘とインフォマティックスの記事興味
深く拝見しました。少し長いですがコメント書いてみました。
 
1.数学とバイオが結びついてインフォマティックスとしてバイオ
の世界を考えはじめたことは好ましいです。原発の研究開発と同様
タコツボ型研究開発に陥りやすいバイオテクノロジーの研究がゲノ
ム解析・たんぱく質・医療情報をうまくつなげるトランスレーショ
ナル・インフォーマティックスによって統合的に扱う分野がでてき
たことは、研究者が、自分の研究が人類のために役立つのか破壊に
つながるのか考えやすくなる。
 
2.インフォマティックスについては、いろいろな定義の説明があ
るが、“コンピュータシステムにおける構造、行動、自然的または
人工的な相互作用でありシステム上の表現、処理、コミュニケーシ
ョンなどの研究を含み、情報技術の全てと認知的、社会的側面をも
持つ。中心的な概念は情報の変化であり、それは計算やコミュニケ
ーションであり、有機物や人工物でもある。インフォマティクスは
計算機科学、認知科学、人工知能、情報学や関連分野を含み、コン
ピュータシステムや設計と同様に計算機科学の自然的な範囲にも広
がっている。”(Wikiより)
 
3.インフォマティクス(生物学的または社会的な情報分野)は計
算機科学(コンピュータによるデジタル化を中心とする分野)とは
区別して扱っている。表現やコミュニケーションの研究に関してイ
ンフォマティクスは無関係であるが、コミュニケーション論
(Communication Studies)では、ジェスチャー、スピーチ、言語など
の研究をネット上のコミュニケーションやネットワーク活動と同等
に扱っている。インフォマティックスの定義をコンピュータシステ
ムにおける構造、行動、自然的または人工的な相互作用、情報技術
における芸術的、科学的、人間的な面」と「社会の技術革新と応用
に対する研究」[情報技術の影響、利用、応用、デザインなどを学際
的に扱う分野」に分けて定義している学会もある。
 
4.シャノンの定理が間違っているという指摘については、”情報
”の定義がそれぞれ異なる分野で議論はできない。お互いの公理の
問題をクリアーする必要がある。 例えば分節の異同についての解
釈が哲学と言語学で異なるのは異なる公理で議論されている場合で
あろう。しかし、公理体系の違いで説明する方法は、違いを指摘す
るのみであまり生産的説明はできない。
 
5.シャノンの定理における「誤り」とは如何なる概念や定義、公
理に基づいて選択されるのであろうか?論理学では「誤り」とは「
真でないことを真とする。」と規定している。シャノンの定理にお
ける「誤り訂正」とは“多くの受信信号の中から誤りを見つけ出し
雑音を排除するS/N比を高めること”とする。また、”冗長性を高め
ることによって“誤り訂正”がおこなわれる。“これは、量的なこ
とを言及しているの過ぎず「誤り訂正」が 何を対象に如何に行な
われているか不明確である。
 
6.デジタル通信の復調回路も、「誤り訂正」のメカニズムである
はずだが、“「実際のメッセージが可能なメッセージの集合の中か
ら選ばれたもので」ことを知っているために入力信号の物理的特性
に基づいて瞬間的に蓋然性を評価し、有限個の元の中からもっとも
蓋然性の高い信号を能動的に産出するので送信機の操作とはまった
く別の操作である。”(得丸「シャノン情報理論へのいくつかの疑
問」4.4より)と記載されているがこの操作には修正作業の量的
なことしか分からない。意味のない通信における誤りは、意味を持
つ情報や言語の誤りとは異なるものである。冗長性を高めることに
よる“誤り訂正”作業からは、形態的通信作業の正確さの確率を高
めるのみでメッセージ情報の誤りを修正することではない。“情報
”の定義の違いが公理の違いをまねく。ある公理に基づいた規則に
沿わないものを“誤り“と排除する情報分野における“誤り”を定
義し直して考えてみるべきである。
 
7.通信システムと言語のシステムたとえば翻訳システムが定義や
公理を明確にせずに考えるといろいろな矛盾が起きる。例えば筆者
にとって文の「校正」作業ほど難しいものはない。何が“誤り”か
“誤りでない”かの判断の根拠が少ないからである。言葉は通じれ
ば良いではないかと考えるので修整できない。「校正」とは辞書に
よると1)文字の誤りをくらべ正すこと。2)校正刷りと原稿を引き
合わせて、文字の誤りや不備を調べただすこと。とある.この修正作
業はある言語の規則や文法に基づいて正誤の選択が行なわれている。
算数での誤りは1+1=3と小学生が記載したら間違いとするが、
「男1人と女1人が同居したら家族は3人になることだってある。従っ
てこの式は正しい。」と大学教授が屁理屈をこねて主張すれば正し
いとされてしまうことだってある。 普通の数学では“平行線は交
わらない。”とするが、非ユークリッド幾何学の公理体系では“平
行線は交わる”こともある。ゆがんでいる空間を対象にする場合な
どもある。宇宙空間や量子力学の空間ではこの種の異なる公理の空
間を対象にしている。空間における密度が一様でな
 
8.校正と似た作業に翻訳という作業がある。中野道夫著「翻訳を
考える」によると「翻訳とは、ある記号体系(A)で言い表されてい
る意味を別の記号体系(B)で言い表すことである。」 「音声は翻
訳できない。言葉は意味を伝えるものであるが、意味は抽象的なも
のであるから、人間が感覚的に把握できる具体的、物理的な形をと
らないと意味の伝達ということも果たされない。その形というのが
音声による記号であり、また、その二次的な記号である文字である
。翻訳というものは、意味を2言語間に渡って移す行為である。起源
言語の記号を目標言語の記号で置き換えるのであるから、その時点
で起点言語の記号は消える。原テクストにおいて、その音形に何ら
かの表現上の価値があり、そのことにそのテクストの成立意義があ
る場合もあるわけだが、翻訳はそういう音声的表現価値を伝えると
いうことはできない。例えば、as busy as a bee(蜜蜂のように忙
しい)は、これで意味を伝えるという翻訳の目的は達せられている
が、原テクストのbusy-beeという語頭音が同音になっているという
音声的価値をそのままに伝えることはできない。」(同書(
 対ぢより)通信作業とは異なるようである。
 
9.翻訳とか校正とかの「誤り訂正」は何に基づいて行なわれるの
であろうか。使用している辞書に基づいて判断できる場合は良いが
、相応しくないと自己流に解釈し表現し直す場合もあろう。その根
拠となるものはおそらく長年言葉の使い方を熟知している人、ある
いはその言葉が使われている国や地方、環境に住んでいて豊富な日
常のコミュニケーションの経験から“この言葉はこんな使い方はし
ない。”と判断するのではないだろうか。母親が幼児に“この言葉
はこういう時にこう話すのよ。”と修整して教えるのと似ている。
言語は、音節や単語など部分から構成されているが、前後の文脈や
文全体から修整されることも多い。全体が部分を規定することもあ
るのだ。助詞「てにをは」が適格に使われているかどうかの判断は
、文脈全体からの判断でもある。また「れ」抜き言葉のように使用
される環境、時間によって変質するものもある。「誤り修正」は部
分の修正のみならず周辺の環境や全体を見ながら修整作業が行なわ
れるのである。
 
10.従来の物理・化学では部分が全体を規定、構成すると考える
分析作業が多いが、生命活動や社会活動などでは全体が部分を規定
して考えることが多い。理論物理学者シュレディンガーが生命科学
の分野まで首を突っ込んで「生命とは」を著わし全体から部分を規
定していくネゲントロピー(負のエントロピー)的な考え方を提唱
して生物を捉えなおした。動きのあるものは、分析的手法だけでは
、解明できない。動的平衡についての解明も異なる手法が必要であ
る。
 
11.散逸構造(dissipative structure)とか定常熱力学が新たに
注目を集めている。主に平衡熱力学を扱うものが中心であった従来
の熱力学から長い時間がたつと、マクロな時間変化のない並進対称
な非平衡定常状態が実現する。平衡状態でない開放系、つまり、エ
ネルギーが散逸していく流れの中に自己組織化によって生まれる構
造である。フラクタル現象のようなことが自発的に起きる。開放系
であるため、エントロピーは一定範囲に保たれ、系の内部と外部の
間でエネルギーのやり取りもある。生命現象は定常開放系としてシ
ステムが理解可能であり、注目されている。
 
12.言語の構造も、全体から部分を規定するシステムがある。部
分が全体から「誤り訂正」されるような体系である。文法も意味も
環境によって変化し又時間と共に使っているうちに変化する。熱力
学エントロピーと形式論理学による情報理論の解析が将来の情報理
論と予想したノイマンの「情報の統計的理論」とは異なる情報理論
が必要ではないかと思う。
 
 小川眞一
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小川さん、

丁寧なコメントありがとうございました。

非常に重要なご意見であるので、私もそれぞれの点について、コメ
ントしたいと思います。

>1.数学とバイオが結びついてインフォマティックスとしてバイオ
の世界を考えはじめたことは好ましいそうなのです。生命は離散的
であり、自然であり、数式で表現できるということを考えはじめた
ことはすばらしいことだと思います。

>2.インフォマティックスについては、いろいろな定義の説明がある
インフォマティックスの定義がいろいろとあり、明快な定義がどこ
にもないのは、混乱を深めていると思います。そこを正す必要があ
るから、シャノンの誤りを訂正する必要があると思うのです。


>3.インフォマティクス(生物学的または社会的な情報分野)は計
算機科学(コンピュータによるデジタル化を中心とする分野)とは
区別

計算機科学とインフォマティックスを区別したときに、そこに情報
の概念、情報の定義がないために、よりいっそう混迷していく可能
性があります。

>4.シャノンの定理が間違っているという指摘については、”情
報”の定義がそれぞれ異なる分野で議論はできない。

私は「情報」の定義がどこにもないことが問題だと思っています。
シャノンが、意味とは関係ないといったことをいいことに、すべて
の領域で、情報は公理化に耐えうる定義をされずに使われています。

>5.シャノンの定理における「誤り」
シャノンは、熱雑音を図中に取り込みながら、エントロピーを熱力
学とは無関係といったところは、誤りの可能性があります。

「冗長性」、「量子」、「確率」の概念の使い方も、わけがわから
ない使い方であり、とくに英語の8割が冗長というときに、「27
文字を1ビットで表現できる」ということが理由として掲げられて
いますが、これは明らかに誤りです。

>6.意味のない通信における誤りは、意味を持つ情報や言語の誤り
とは異なる
通信路符号化は、意味(情報源符号化)とは別の次元です。意味とは
別に論じています。
シャノンの冗長や誤り訂正は、自動化可能な符号化技術としては論
じていません。アナログな職人芸のように論じています。

>7.通信システムと言語のシステムたとえば翻訳システムが定義や
公理を明確にせずに考えるといろいろな矛盾が起きる。

もちろん、情報源符号化の問題を論じはじめると、誤りにいろいろ
なものが含まれてきます。

通信路における誤りというのは、0として送ったものが1として復調
されることをいいます。
シャノンは、それを確率論として、「送られてきたデータは0の確率
と1の確率がある」といいますが、送信側が0か1かで送ったものには
、必ず正解があるので、0か1かの確率ではなく、1が0となる誤りの
確率の問題なのです。

>8.「翻訳とは、ある記号体系(A)で言い表されている意味を別
の記号体系(B)で言い表すことである。」 

翻訳の問題は、言語表現から言葉以前にたちかえって、ある状況に
おいて、何を伝えたいかを考えれば、答はあると考えます。

>9.「誤り修正」は部分の修正のみならず周辺の環境や全体を見な
がら修整作業が行なわれる。

情報源符号化の誤り訂正はそうだと思います。

しかし、通信路符号化の誤り訂正は、ビット(信号)がノイズなどの
せいで、反転したかしなかったかで、絶対的なものではないでしょうか。


>10.理論物理学者シュレディンガーが生命科学の分野まで首を突
っ込んで「生命とは」を著わし全体から部分を規定していくネゲン
トロピー(負のエントロピー)的な考え方を提唱して生物を捉えな
おした。

シュレーディンガーについては、いろいろと疑問があります。
コペンハーゲン解釈を否定するために、意図的にヒーローにされた
人物の可能性があります。
『シュレーディンガー その生涯と思想』(W.ムーア著、培風館)参照


>11.散逸構造(dissipative structure)とか定常熱力学

開放系であるため、エントロピーは一定範囲に保たれ、

通信であるかぎり、回線上あるいは回路上に雑音が存在し、エント
ロピーは増大すると考えられます。環境要因による通信阻害要因が
エントロピーであり、これは統計的に考えるほかないと思います。

>12.熱力学エントロピーと形式論理学による情報理論の解析が将
来の情報理論と予想したノイマンの「情報の統計的理論」とは異な
る情報理論が必要ではないかと思う。

もちろん、フォン・ノイマンがすべてを論じきれていませんので、
彼の情報理論を乗り越えた情報理論は必要だと思います。

しかし、シャノン情報理論はそれとは違うでしょう。

とくまる




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