4158.大東亜(太平洋)戦争開戦の経緯と現在の中国



戦史がご専門の杉乃尾先生の10月26日の講演会の要点をまと
める。またその経緯から現在の中国を考察する。  Fより

一番キーになるのが、近衛首相の別荘である荻外荘での五相会談
である。戦争開戦に責任があるのは、近衛首相とその後の東條首
相の2人であると言われるが、首相の権限が小さいことがネック
になったと。

大日本帝国憲法の55条に国務大臣単独輔率制があり、首相は国
務大臣をまとめるだけで、選任権も罷免権もない。国務大臣は、
独立的で首相に報告の義務もないという憲法の条文である。

大日本帝国憲法の11条には、天皇は陸海軍を統帥す。とあり、
統帥権独立ということになっている。

このため、天皇の下に並列で、陸軍とそのトップは参謀総長、海
軍とそのトップ軍令部長、政府内閣、枢密院、立法、司法の6権
分立状態である。その上に内閣もそれぞれが独立性が強い大臣制
となり、権力の分散がひどかった。天皇を差し置いた独裁体制に
ならないように、権力を集中しなかったのだ。

このようにバラバラであると、政治が出来ないので大本営政府連
絡会議を陸海軍と内閣で行っている。

近衛内閣は第2次で松岡洋右が外相だ。昭和15年9月27日に
日独伊3国同盟をベルリンで調印した。松岡は米国との交渉をす
るために、独ソ日の3国で対米交渉をする腹つもりで、昭和16
年4月13日に日ソ中立条約を結んだ。

しかし、その時点でドイツはソ連との戦争を決意していた。陸海
軍のドイツ駐在武官から本国に連絡されていた。しかし、首相の
近衛には報告がなかった。そして6月22日に独ソ戦が勃発した。

このため目算違いの松岡を辞めさせたく、7月15日内閣総辞職
した。首相には罷免権がないためにそうなる。そして7月18日
に外相を豊田に代えて第3次内閣になる。

当初、大本営政府連絡会議で和戦両様の決定が出されたが、この
5相会談の前に、天皇の意向から戦争を止めることを近衛に言明
されて、和戦の権限を皆から全権委任を受けようとして、近衛首
相は、荻外荘で陸軍東條、海軍及川、外相豊田、企画院鈴木に集
まってもらったのだ。(10月12日)

そして、会談では、及川海軍相が「和戦の決は総理に一任する」
と発言し、近衛首相は「私は交渉継続にしたい」と和の可能性に
かける方向であるとした。そしたら、東條陸軍相が「総理への一
任は不可」と言い、豊田外相は「シナ撤兵でしか交渉はできない
」とダメを押して、会談は不調に終わった。

そして、10月16日に近衛内閣は総辞職した。10月17日、
反対した東條陸軍相に大命降下し、天皇から「白紙還元の御諚」
で9/6の大本営政府連絡会議「帝国国策遂行要領」を白紙撤回
したが、11月26日に米ハルノートの提示で、12月1日の大
本営政府連絡会議で「対米英蘭戦争」を決定した。

この日本サイドの経緯とは関係なく、米国は昭和14年に日本と
の講和を研究し、昭和16年7月18日には米陸海軍計画ができ
て戦争をすることにしていた。それと占領後の日本改造計画がで
きていた。というように米国の戦争準備が着々に進んでいたのだ。

その後の経緯は、日本の敗戦に至るが、今、同じ様なシナリオが
悲しいかな、現在、着実に中国で進行している。と私は見ている。

戦前の日本の組織と同様なのが今の中国の政治組織である。共産
党独裁で、軍部は軍事委員会がトップ意思決定機関であり、政府
とは並列の組織であるし、国の方針は党中央政治局の26名の投
票で決めることになっている。

総書記の権限も1票でしかない。中国の取りまとめをするのが総
書記であり、権限がほとんどない体制である。また政治局の任命
権も総書記にはない。これも政治局員の投票である。

ソ連の体制を見て、総書記に権力が集中しない体制に中国はした。
今までのケ小平や毛沢東などに権力があったのは、そのカリスマ
性であり、実は総書記、そのものには権力がないのである。

首相の権限は、それより小さく、党中央政治局が決めた方針の下
に政治実務を行う組織のトップでしかない。中国の組織でもトッ
プの力が弱く、軍がある程度強い構造になっている。このため、
軍が政治の前面に出てきて、党中央政治局の多くのメンバーを動
かすことができる。

このため、日本と同じ様なことになる可能性が高いと心配してい
る。中国国民は情報をコントロールされているために、激高して
狭いナショナリズムに陥り、戦争に打って出る可能性がたぶんに
ある。東シナ海での日中の紛争は、そのような経緯で起こってい
る。国民が「愛国有情」というプラカードを持ち、デモに参加し
たが、そのデモを収めるために艦艇を尖閣諸島に派遣するしかな
かったという。

日中軍連絡会議の席上で、中国の軍人から、そのような発言あり
、日本側の退役将校たちが驚いている。このようなことにならな
いためには、中国軍部が国民に説明することが必要になる。

そして、その説明は、中国を抑止するには、日米と中国の間に非
常に大きな戦力格差があり、中国が負けることが明白なことであ
る。

このように恐ろしい国家が日本の隣にあることを知って、それを
どうするかということを考えながら、日本は政治を行う必要があ
る。しかも、日本の長い歴史は、中国の脅威を受けないように、
支配されないようにどうするかという知恵の歴史でもあるのだ。

中国の民主化が起こるまで、我々も中国に注意していくしかない
ようである。民主化をどう進めるかも米英などとともに考えなが
ら行くしかない。


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