4157.東日本大震災後の日米協力



笹川平和財団/ウッドロー・ウィルソン国際学術センター共催 
第3回日米共同政策フォーラム(10月27日)

参加して、そのメモ書きで、午前に五百籏頭防大校長、アーミテー
ジ氏の講演とその質疑応答で、モデレータは岡本行夫氏であった。

五百籏頭さんは、主に東日本大震災の経緯話であるので、ほとんど
は知っているので省略するが、1つだけ興味深い話があった。

それは、自衛隊14万人の内10.7万人を災害救援に派遣したが
、第8師団(南西方面)、第1・3師団(東京、大阪)の師団は、
派遣していない。というように、師団からは希望が出ていたが残留
させたという。

1.アーミテージさんの講演
米国民は政治家に不機嫌で、財政支出削減となっているが、アジア
太平洋地域の重要性からアジアの米軍は保持することにした。

野田首相も中国の軍備拡大で不透明さが増大している。18世紀始
めから台頭したドイツのように21世紀始めから中国が出てきた。

しかし、中国も国内には大きな問題もある。そして来年に指導者の
交代があり、神経質になっている。

しかし、17世紀のウェストファリア条約と同じ様な条約が中国と
西側諸国との間で成り立たないと、平和はなりえない。このため、
クリントン国務長官も、中国がウェストファリア条約国家かどうか
疑問と言っている。

李明博韓国大統領は、米国の官僚から優れていると思われているが、
日米関係では、日本が1流になりたいのか2流でよいのかという選
択がされていないように感じる。日本は民主主義や人権を守るため
に、世界的な貢献してほしいと皆が思っている。

しかし、日本は防衛費用を縮小して、米国の希望とは逆になってい
る。TPPでは農業を守るとしているが、農業は日本のGDPの3
%程度ですよ。どうして、それでTPPに入らないのか理解に苦し
む。

しかし、その日本でも武器3原則を緩和するとか実質的な集団自衛
権行使ともいえるジプチ基地と海賊退治など徐々には変わってきて
いる。米国との対話をすると共に、国民との対話を期待したい。

米国は、日本とは同盟国である。中国の軍事拡張のチャレンジで、
ますます日米同盟深化が必要になっている。そして、中国の民主化
を必ずする必要がある。

岡本さんからの質問で、クリントン国務長官はアジアの3大国とし
て、米、中、印を上げたが、その中に日本が無かったがどうしてか?

日米関係には、悪い時期があった。日本の望んでいることが米国に
は分からない状態であったことで、日本排除的なことになったこと
は確か。しかし、野田首相になって、それは元に戻っている。

秩序が重要と見て、平和な中国になるよう、努力するしかない。し
かし、その重要な位置にインドはある。日本とインドは自然のリズ
ムで友好関係になる。お互い、両国は親近感を感じている。このた
め、今後、日印関係の強化が重要である。

2.午後のパネルディスカッション
まず、山口防大教授の話は、官邸で現場調整をした。10万人を1
週間で派遣したが、このロジスティックスは東北にある17ケ所の
基地のネットワークがあったから出来た。南西諸島群には現在基地
が無く有事のために、今後、与那国島に拠点を作る計画であるが、
ネットワークが必要であることを実感した。

米軍から2万人が参加したが、そのロジ構築にビックリした。何も
ない所に拠点を作る方法を米軍から学んだ。

仙台空港を拠点化することにして、3月13日に着手して、3月
16日には3000Mの滑走路が出来ていた。
まず、1500M分を1日で近くにある機器で整理して、その
1500Mあれば、C−130が着陸できるので、そのC−130
で機器を搬入して、それを使って3000Mの滑走路を仕上げた。
たった、3日で滑走路と航空機器を運び込み、空港機能を整備した。

もう1つが、日米調整が各級各所で行われた。中央合同指揮所とし
て市谷、横田であるが、東北師団、仙台空港、気仙沼など現場の多
くに日米調整事務所を構えた。面的な調整をした。これは今後、大
いに生きることになるという。

在沖海兵隊のロバート・エルドリッジさんは、海兵隊の陸海空の統
合運用の理解が日本側に無く、当初苦労したという。海兵隊は今回
の報告書を作成しているので、日本側も報告書を作成して、日米合
同で、研究するべきであると提言していた。

31遠征部隊が、何も援助の手がない大島に上陸したが、これで大
島の皆さんとの連帯感ができた。どうか今後の協力のために、海兵
隊を知ってほしいと言う。

長島昭久首相補佐官は、3月17日に細野さんから依頼を受けて参
加したが、米ルース大使が菅首相に苦言を述べたことで、3月21
日に日米調整会議を開いた。これは当分、毎日行った。

1つには、日米の意思疎通のためであったが、もう1つは日本の官
庁間のタテ割り構造を破る必要があった。このため、日米調整会議
の2時間前に各官庁、東電が集まり、そこで省庁間調整をして、物
事を決定した。

あくまでも、日本が主体で、米国が客体という姿勢をとったことで
責任が明確化した。軍と軍の対応は早かったが、政府間の協議メカ
ニズムがなく遅れた。

また、各省のタテ割構造を有事モードにする法律が必要であると見
た。政府の一元的な指示ができることが重要であり、今回は原子力
災害対策法で、各省、各自治体などに指示出来る機能があり、それ
を利用した。このようなことは有事には、安全保障会議でできるが
、そこまでの事故ではないと、一元化ができない。

もう1つが、平素から日米で調整メカニズムが必要であるとも思った。

長島さんのカンターパートである米大使館のロバート・ルークさん
は、当初、日本側の情報が錯綜して、役所の聞く所が違うと、違う
情報が渡されて、情報がバラバラで状況を把握できなかった。この
ため、ルース大使が要求して日米調整会議を作り、情報が一元化さ
れた。

この仕組みが出来たことで、シーバンなど米国サイドでも体制がで
きる様になった。ワシントンの国務省やホワイトハウスにも対応す
る部門が出来た。大使館では情報を集めて、それを在日米軍にも提
供した。

またオーストラリアは、大型輸送機が4機しかないのに、その3機
をフル稼働で 援助物資を横田に運んできた。豪州大使館も積極的
で、そこにも情報を伝達していた。このように多数のサポート業務
のために、本国からの応援を含めて大使館の体制を145名に増や
して対応した。

日米調整会議には、3月28日にルース大使が、3月29日には、
NRCグレゴリー・ヤツコ委員長も来た。

3.全体的なコメント
日米の軍事的な深化が、この震災支援で大きく前進したことが分か
る。有事の際の対応組織、体制もかなり出来たようだ。

そして、豪州も大きくその役割を果たしたことで、日米豪の3ケ国
の災害などの有事モードは確立したようだ。今後、この3ケ国に韓
国やインドなど日本や米国のアジアでの同盟国をも含めた体制を作
る必要があり、また日米だけのより深化した体制を整備する必要が
ありそうである。

それがウエストファリア条約後の中国を作り、アジアの平和を確立
することになると見る。

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ウエストファリア条約

30年戦争で凄まじい虐殺が行なわれ、宗教戦争に嫌気が差して1648
年に結んだ条約。近代最大の国際条約、世界三大条約の一番古いも
のである。この条約の非常に重要な方針は、その国の君主の宗教は
国民の宗教で会って、お互いに他国の宗教には口を出さない、とい
うことである。この原理は君主の宗教は人民の宗教というもの。

言い換えると「啓蒙」という意味。これで宗教戦争は終わり、これ
以後の戦争は国民戦争となる。30年戦争からフランス革命までの間
、ヨーロッパの一番いいアンシャンレジームの時代となる。 


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