4123.閉ざされた言語、日本語



概念と文法の発達進化
From: tokumaru

 概念と文法の発達過程について

皆様、

得丸です。今朝も残暑が厳しいですね。

ー1ー
3.11から明日で半年です。東京からわずか200km先にある
原発がボロボロになって、毎日放射性物質が環境中に大量に放出さ
れつづけている一方で、大事なことはけっして報道しない厳格な報
道管制のもとで、いつもと同じ秋を過ごしているのが、本当に不思
議な気がします。

情報というのは、「それを知ったときに、反射的に本来取るべき行
動が決まっている行動の引き金となる言葉」という定義をするなら
ば、現在行われている情報管制は、打つ手なしの現実には即してい
るのかもしれません。

つまり、仮に本当のことが伝えられたとしても(大気・水・食品の
放射性物質による汚染)、引っ越すわけにもいかず、何も食べない
わけにもいかないから、つまりすべての食品は大なり小なり汚染さ
れているから、それにすべての食品汚染を測定することは現実的に
無理だから、何も考えずに売っているものを食べなさいということ
になります。

たしかに、いろいろと憂えるよりも、毎日楽しく、健康に生きるこ
とを目指すことのほうが、免疫力を高めるよい生き方かもしれません。

−2−
さて、今週は、火曜日に、情報理論研究会の予稿を2本、クロード
・シャノンの情報理論について疑問と思うことと、ジョン・フォン
・ノイマンの考えていた情報理論について想像して体系づけること
を仕上げ、さらに木曜日が締め切りの、言語の起源(EVOLANG9)の投
稿論文をなんとか仕上げ、ほっと一息ついたところです。

5月から続けてきた鷹揚の会スペシャルは、おかげさまで、情報理論
や言語の起源について整理するよい機会となりました。

EVOLANG9に提出した内容を整理して、話をする会を開こうと思います。

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閉ざされた言語、日本語

皆様、

来週のタカの会のテキスト『閉ざされた言語・日本語の世界』を読
んでいて、おそらくシャノンの情報理論に影響を受けた部分を見つ
けました。

p78の2段落目です。

「西欧諸国の言語のように、文字表記が原則的には表音的な性質を
もっている場合には、文字という視覚的情報は本質的には重複性
(redundancy)がきわめて強いということである。

つまり文字表記はなんら新しい情報をことばという伝達行為に付け
加えないのである。」


これはいったいどういうことを意味しているのでしょう。

シャノンは、英語表記の8割(5割とも)は冗長(redundant)である
と書いています。

鈴木先生は、シャノンを読んでこのように思われたのでしょうか。
それとも言語学ではこのような考え方が一般的なのでしょうか。
文字という視覚的情報とはいったい何のことをいっているのか。

文字表記はなんら新しい情報を言葉という伝達行為に付け加えな
いとはどういうことなのか。

鈴木先生はこのようなことをどこか他の本で書いておられるでし
ょうか。

もちろん鈴木先生がいいたいのは、その直後の「これに対し日本語
の漢字語では、文字は音声からは別個に独立した情報源であり得る
ので、音声が等しくても、そして意味に関連があっても、文字さえ
違えば同音衝突によるはじき出しがおこらない」

ということとの比較なのでしょうが、比較する相手のことについて
、もう少し知りたいと思いました。

とくまる
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クロード・シャノンの情報理論と鈴木孝夫「閉された言語・日本語
の世界」に接点はあったのだろうか
From: tokumaru

1 日本語は日本という瑞穂のくにの言葉なのか

 日本語を世界に広めようとしておられる鈴木先生の本であるのに
、冒頭の海外で長く日本社会から離れて生活すると日本語を忘れて
しまう話は驚いた。
日本語は世界には広まらないのかもしれないとつくづく思った。

 また、日本語は「水の性質をもっている」が「ユーラシア諸民族
の言語は水銀のようなもの」という対比は、言語というコミュニケ
ーションツールが、日本列島とそれ以外ではまったく違った使い方
をされているということではないだろうか。しかし、水と水銀は、
神聖なものと、中毒をおこす金属くらいの違いがある。なぜ外国の
言語は毒なのだろうか。

 これでは、いくら日本語を外国に住む外国人に教えても、あるい
は日系人に教えても、それは日本ではこのように使われるというこ
とを教えることはできても、日本と同じように言葉をつかってごら
んという教え方はできないということではないだろうか。

 日本社会は均質であり、四季折々の自然が美しくうつろう。その
ような環境で生きることによって、日本人の意識形成が水のように
美しくなっているから、言葉も美しいということだろうか。保田與
重郎のことを思い出す。

 
2 情報と重複(冗長)性

 さて日本語と外国語が「まったく異なる原理で動いている」(p79)
というのは、いったいどのようなことを指しているのか?

 p78に「西欧諸国の言語のように、文字表記が原則的には表音的な
性質を持っている場合には、文字という視覚的情報は本質的には重
複性(redundancy)がきわめて強いということである。つまり文字表
記にはなんら新しい情報をことばという伝達行為には付け加えない
。」という記述がある。

 これを根拠に、p79で、日本語と外国語は「まったく異なる原理で
動いている」というのだが、それはどういうことを具体的に意味し
ているのだろうか。私は、原理は同じなのだが、意味の深まりが日
本ではより深く複雑・濃厚であるのではないかと考える。言語メカ
ニズムではなく、意味論として考えるということだ。

 そもそもp78の「重複性(redundancy)」だが、本当に西欧諸国の文
字表記は重複性がきわめて強くて、文字が情報を伝えないのだろうか。

 これについては、いくつか考えられる。

(1) ブリタニカ百科事典を参考にしておられるのか

 まず、鈴木先生は、この部分をブリタニカ百科事典(14th Ed.)の
「情報理論」を参考にしておられるのではないかということ。この
記事は、クロード・シャノンが書いたということになっている。ク
ロード・シャノンは、「情報理論の父」と言われているが、実はき
わめて著作が少ないほか、概念の使い方がおかしい人。ただ、「情
報理論」の教科書を開くといまでも彼の主張が書いてあり、情報理
論といえばシャノン、絶大な影響を及ぼしている。

「もし26の文字すべてが前の文字と独立に生起するとすると(空白も
数えて27を2を底とする対数をとって),情報レートはlog27あるいは
1文字あたり4.76となる.実際に生み出されるのは1ビットだけであ
るので,英語はおよそ80%が冗長ということになる.英語の冗長性は
,多くの文字を削除したとしても,読者が穴を埋めて原文の意味を
判断できるという事実にもあらわれている.たとえば以下の文から
は母音が削除されている.
   MST PPL HV LTTL DFFCLTY N RDNG THS SNTNC.
 このように考えると,言語における冗長性は暗号科学において重
要な役割を果たすといえる.」
(ブリタニカ百科事典第14版、1968年、IEEE編 "Claude E. 
Shannon Collected Papers"より)

 私は、鈴木先生がもしこの記事を参照しておられるのだとすれば
、もとになったシャノンの記事のなかに、間違いがあるということ
を指摘したい。

 細かいことだが、そもそも削除されたのは母音と呼ぶのが適当だ
ろうか.peopleの最後のeは発音しないのに母音だろうか.正確にい
えば「単独で使われた場合や単語中で母音を著すことが文字」とい
うべきか,あるいは「a,i,u,e,o」の文字を削ったというべきではな
いか.

「MST PPL HV LTTL DFFCLTY N RDNG THS SNTNC.」と書けば十分情報
が伝わるのに、「mOst pEOplE hAvE lIttlE dIiffIcUlty In rEAdIng
 thIs sEntEncE.」と書いているから、冗長であるという。
 どうして8割も冗長であるかというと、アルファベット26文字と
空白は1ビットで表現されるのに、情報量としては5あるからだとい
う。

 しかし1ビットとは、0か1かの単位がひとつだけあるというこ
とである。アルファベットをビット表現するときに1ビットでは表
現しきれない。むしろ4.76という情報量は、27種類の記号を表現
するには、5ビット必要だということを意味していると考えるのが
妥当ではないか。
 
 「mOst pEOplE hAvE lIttlE dIiffIcUlty In rEAdIng thIs sEntEncE」
という削除前の単語を記憶にもっている人だけが,記憶に照らして
削除した文字列を想像しながら読むことができる。そこではヒトの
記憶に照らして情報を復元しているから,A,I,U,E,Oの5文字を削除
しても通ずる人には通ずるだけのことだ。

(2) 西欧諸言語は音節文字ではないから、1音節を数文字で表現
する

 西欧諸言語は、1音節をアルファベット数文字をつかって表記す
る。そのため、ある程度、文字を省略しても、どの単語を送ったの
かを特定しやすい。

 今から30年くらい前は、国際電話や国際電信料金が高かったから
、一般的に用いられる省略形があって、それを使って電文を打電し
ていた。youをU、hereをHR, thnaksをTKS、haveをHVというような事
例である。

 それぞれの業界内・社内ではもっと激しく省略形が使われていて
、HAWB/MAWBというのはHouse Air Way Bill/Master Air Way Bill、
L/CはLetter of credit、B/LはBill of Lading、INSはinsurans、
INTはInterestといった具合である。このような省略形が可能である
のは、送信者と受信者が、お互いに省略形を共通理解しているから
である。いくら冗長(redundantの一般的な訳語)であるからといって
、THRUはthroughの略語として用いられるから、thoroughの略語とは
思われない。throughとthoroughの間には冗長性はなく、わずか1文
字の欠落がまったく別の意味を伝えることになる。

(3)省略して通じれば冗長か

 このように考えると、西欧諸言語には冗長性が大きいということ
は一概にはいえないことのように思えてくる。日本語だって、お互
いに了解していれば、単語を縮めてやりとりできる。短くできるこ
とが即、冗長(重複)性が大きいとはいえないのではないか。パーソ
ナル・コンピュータをパソコンといっても通じるから、日本語は60
%冗長であるということは聞かない。

 この部分、もしブリタニカを参考にして書かれたのだとしたら、
参考にしたブリタニカが間違っている可能性があるのではと思う。

 日本語と外国語は、原理は同じではないだろうか。

 日本語の場合は、「斉藤には何通りか漢字がある。川田と河田で
カワタには二通りある。」というような知識にもとづいて、「サイ
トウ」や「カワタ」という音を聞くと、「どの漢字ですか」と例外
的に話を止めて漢字を確認しているので、そうでない単語の場合に
は、すんなり音声符号として取り扱うのではないだろうか。つまり
、いつもテレビのスイッチを入れているわけではないのではと、思
う。


3 言語の論理性をめぐるドイツ語と日本語の違い

 ドイツ語が言葉の論理性を非常に重んじるというのと、日本語が
論理的ではないということの対比も、おもしろい話題ではないだろうか。

 ドイツ語が重んじる論理性は、古代ギリシャ以来の論理学の伝統
に即しているのであれば、言葉がはじめに存在するという発想であ
り、言葉以前を問うことはない。生まれた言葉間の整合性を厳密に
定義しているということではないか。

 一方、日本人は、言葉以前のことをおもいやる。日本の民話には
、言葉は所詮記号でしかないということを教え諭すものが多々ある。
 
 このドイツ的アプローチと、日本的アプローチを、うまく組み合
わせると、おもしろいことがおきるのではないかと思う。

とくまる
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結局、鈴木先生の本のアヤシイ部分は、鈴木先生の思考結果ではな
い部分なのだ!
From: tokumaru

みなさま、

明日はタカの会ですが、これまでいろいろと鈴木先生の著作を読んできて思うのは、
鈴木先生の本でアヤシイ部分というのは、井筒俊彦先生やクロード・シャノンが
述べたことで、それもきちんとした言語学の業績としてまとめられていないもの
だということに思い至りました。

『ことばと文化』のなかの、言語アプリオリな部分と、今回の『閉された言語』の
なかの、リダンダンシーのところです。

せっかくの鈴木先生の著作が、井筒先生やシャノン理論のために、傷ものにされた
という印象をもちます。

残念です。

誤り訂正できればよいのでしょうが、なかなか井筒言語学(?)もシャノンの
情報理論もそれができていない。

しかし、なんとかしないと、鈴木先生の言語学の価値が低くならないでしょうか。

どうすればよいのでしょうね。

とくまる


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