4082.福島第一原発事故と危機管理の在り方



福島第一原発事故と危機管理の在り方

                   平成23年(2011)8月15日(月)
                   「地球に謙虚に運動」代表 仲津英治

残暑お見舞い申し上げます。
去る8月6日土)、大阪科学技術センターにて日本機械学会主催の「機械の日・
機械週間」記念特別フォーラムがありました。阪大の鷲田総長始め機械学会以
外の方も含めたそうそうたる講師陣のお話を伺い、大変勉強になりました。そ
の中で関西大学社会安全学部副学部長小澤 守教授の講演からは、驚愕の推定
事実を知り、日本のトップは大変な誤りを犯したな、と思いました。伺った内
容を以下にお伝え致します。
演題は「原発災害を契機として明らかになった我が国の危機管理のあり方」
でした。

 まず、一番目に日本で最初の営業用沸騰水型原子力発電所である福島第1原発
(1971年稼働開始)は米国のゼネラル・エレクトリック(GE)の設計・施工に
よるものであったとのことです。そこには根本的な問題がありました。1号機の
例をとりますと;非常用デイーゼル発電装置は、原発本体より海側に、しかも本
体より低い位置にあったということです。元々から津波に弱い設計になっていた
のです。しかし、当時GEは絶対的存在、日本側の要請、希望等を聞きいれるス
タンスになかった、と言います。昭和60年(1985)8月御巣鷹山で発生し、500
人以上の生命を奪った日航ジャンボジェット事故を思い起こします。圧力隔壁に
修理ミスがあったことが原因ですが、修理を担当した当時のボーイング社の存在
は絶対的なものであったと報道されていました。

 そして平成23年(2011)3月11日14時46分日史上未曾有の巨大地震が発生しました。
後東日本大震災と名付けられたその地震直後、福島第一原発は順調に安全側に移行、
発電機能は停止しました。15時10分非常用電源装置により冷却水ポンプも駆動し、
原子炉本体の冷却機能は維持されていたのです。

 そこへ15時37分想定外と言われた高さ14メートルもの津波が襲来し、非常電源装置
は冠水して停止、数分後に全ての交流電源はストップしてしまいました。それはさ
らに非常時に原子炉の炉心を冷やす緊急炉心冷却装置(ECCS)の停止も意味してお
りました。
 しかし原子炉内の燃料棒の発熱は続いています。小澤教授は解り易い例えを提示さ
れました。「それは電熱器の入った電熱式ヤカンのコードを差したまま、お湯を注ぐ
行為だというのです」。お湯が減ると電熱器が水中から露出し、ヤカンは空だきと
なり、過熱状態になります。

 原発は発熱体ですから、炉心の燃料棒の入っている原子炉圧力容器を中心に常時冷
却される必要があります。そして日本の原発の最終的な放熱端は海水です。従って
54基ある日本の原発は全て海岸に設置されています。海水は原発の熱交換器まで
ポンプで汲み上げられ、そこで蒸気タービンで発電の役割を終えた蒸気を冷やし、
水に戻します。復水器の冷却材である海水は約4度C上昇して海に戻されます。4度C
の温度差のことは関電の大飯原発を見学したおり、伺った数字です。

 原子炉圧力容器内の水は燃料棒の発熱で沸騰し、高圧蒸気となり、その蒸気が発電
タービンを回すのです。そして蒸気は海水で冷やされ、復水器で水に戻り、また原子炉
の燃料棒のある炉心へ向かいます。原子炉水のこの循環で原発は成り立っているのです。
その水の循環が非常用電源喪失で止まりました。こういう事態に備えた緊急炉心冷却
装置(高圧注水系冷却)も動きません。海水ポンプもストップしたままです。

 炉心=原子炉圧力容器内では燃料棒は発熱して行き(原子炉停止後の崩壊熱推定式=
Wigner-Wayの式により、徐々に低下する)、冷却水は循環しないまま徐々に蒸発し、
水面は低下して行きます。1日後まで概ねその速度は発熱量から毎秒0.5ミリであると
教授は推計されていました。1時間で1.8メートルに達します。つまり毎時1.8メートル
の水位低下です。2時間で3.6メートル。

 数時間で原子炉圧力容器内の燃料棒が水位低下によって水から露出することは、原子炉
を知るものなら予想がついたこと、と小澤教授は力説しました。
 この段階で炉心に海水の注入を開始しておけば、その後のメルトダウン(炉心溶融)や、
深刻な放射線汚染問題は避けられたということです。もちろん原子炉は二度と使えなく
なるでしょう。

 小澤教授は続けます、「しかし、一基4,000億円も掛る、少なくとも原子炉4基を廃炉に
する決断を東京電力の社長ができましょうか?」

原子力災害対策特別処置法には、今回のような緊急時には原子力災害対策本部を内閣府
に設置し、本部長には内閣総理大臣がその任にあたることが決められています。しかし
小澤教授は中央で判断していては遅すぎる場合がありうるので、現地判断できる体制を
作れるよう法的整備が必要であり、そうした判断ができる人材を普段から育成しておく
必要性があることも強調されていました。

 3月11日はどうだったでしょうか。最高指揮官たる菅 直人首相は福島第一原発の現場へ
赴き、内閣府、首相官邸は指揮官不在の状態となったのです。
 また首相を押しとどめ、炉心溶融する可能性が高い上述情報を最高指揮官に上奏して決断
させる役割は誰かが担うべきだったのです。あるいは、管首相には、然るべき人物に全権を
委譲して責任は自ら負う決断をする可能性もあったのです。東京工大の理科系卒であった
首相はなまじっか技術知識があったが故に、全て自ら関わる愚を犯したのではないでしょう
か。海水注入を決めたのは、津波発生後の25時間近く経ったあとの3月12日20時30分でした。
後手に回った結果、燃料棒が溶け、圧力容器の底に落ち、水素爆発を起こし、膨大な放射性
物質が放出されたようですね。被害は拡大し、今日も放射能流出は続いています。大変な環
境汚染です。

 小澤教授によれば、1979年に発生した米国スリーマイル島原発事故の際、当時のジミー・
カーター大統領はNRCのデントン氏に全権委任し、自らは責任を負う姿勢を取った、とのこ
とでした。後出しジャンケンだと断りつつも、決断のタイミングを逸したと菅内閣の初動ミ
スを教授は批判しておりました。

 8月11日菅首相は自ら、今回の東日本大震災と福島第一原発のもたらした災害は人災的側
面があったと自らの責任を認めながら退陣を表明しました。しかし心底から反省した上での
言葉でしょうか。いずれにせよ、月内にも新首相の下、新しい内閣が発足しそうですね。
 トップには大災難の際に情報を的確に集約し、胆力を持って決断できる危機管理能力のあ
る人を、民主党は選んで欲しいものです。

 私もまた、大学で機械工学を学び、JR西日本にて新幹線の高速化の取り組んだ者として、
7月23日に発生した中国の高速鉄道事故を他山の石とするべくこれからも精進して行きたいと
思っています。 長い一文にお付き合い有難うございました。
                                 以上
                              
「地球に謙虚に運動」代表


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