4074.稲作の起源とその考古学的分析



稲作の起源とその考古学的分析
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従来、稲作は弥生時代に朝鮮半島を南下、もしくは半島南部を経由
して来たとされてきたが、2005年、岡山県彦崎貝塚の縄文時代前期
(約6000年前)の地層から稲のプランド・オパールが見つかってお
り、縄文中期には稲作(陸稲)をしていたとする学説が多数出た。

それに加え、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つから
ないこと、朝鮮半島で確認された炭化米が紀元前2000年が最古であ
り、畑作米の確認しか取れず、日本より遡れないこと、極東アジア
におけるジャポニカ種の稲の遺伝分析において、朝鮮半島を含む中
国東北部からジャポニカ種の遺伝子の一部が確認されないことなど
の複数の証拠から、水稲は大陸からの直接伝来ルート(対馬暖流ル
ート・東南アジアから南方伝来ルート)による伝来である学説が見
直され、日本から朝鮮半島へ伝わった可能性を指摘する佐藤洋一郎
の説もある。

一方、これらに対して農学者の池橋宏は、従来の「縄文稲作農耕」
説は農学的に見ても疑わしく、日本の稲作は江南を起源とし、北九
州に持ち込まれた可能性が高いと主張している。

しかしながら、最近の遺伝子解析技術の進歩はめざましく、こうい
った学説では日本での水田跡が紀元前まで遡るのに比べて、朝鮮半
島では水田耕作の遺跡が約1500年前くらいまでしか遡れない事実と
符合するものでもある。現在、炭素14による日本最古の水田稲作遺
跡は約2800 - 3000年前とされている。

Wikipedia「日本人」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA

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日本の神典によると、稲の起源は神代の時代で、保食神(伊勢外宮
のご祭神・豊宇気姫神)によってその原種が生み成されたとされて
います。
そして天熊人(あまくまのうし)がそれを高天原へ持ち帰ったとこ
ろ、天照大御神が「この物は、すなはち顕見(うつしき)蒼生(あ
おひとくさ)の食ひて活(い)くべきものぞ」という神勅を発せら
れ(「顕見蒼生」とは人類のこと)、人間の主食であることが定め
られました。
その後、高天原で稲を培養する道が開かれ、また品種改良も行われ
て、天孫降臨の際、邇々芸命(ににぎのみこと)に最上級とされる
米種が授けられたことが伝えられています。

わたしが学校で習った頃は、確か「稲作は朝鮮半島から日本に伝わ
った」という説でしたが、テクノロジーの発達によって様々なこと
が判明してきますね。
今の子どもたちは、どのように教えられているのでしょうか?

参考:日本古学アカデミー#0074【衣食の道、開かれる】
http://www.nihonkogaku.com/content/index_top.cgi?start=40&co=40


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