4065.「村社会」とは、何なのか



<「村社会」とは、何なのか>、ということで、この論をはじめた
い。 

例えば、「原子力村」などという言葉がキーワールドになる。 
このとき「村」という概念は、利益共同体と運命共同体の複合とし
て認識されている。政治家が自分の 派閥(おしゃれにグループとい
ったりもするが)を「ムラ」と呼ぶ。 
それ以上に、省庁は自分の縄張りを「ムラ」と認識する。 

そう、「ムラ」こそが、日本の根底的な<秩序共同体>の名前であ
るんじゃな。経団連もまた、<業界秩序の維持>という意味で、村
の典型であろう。 

「ムラ」は、良き煮付け(ぷぷぷ)悪しき煮付け(うーん?0?)日
本の社会構造の根底にある。(そういう社会学者の主張はちゃんと
してあるが名前は忘れた。。。。はは、もうボケまで再短距離かな^?^) 

「政治とは正義をなす」なんて、思っている人がいたら、それは間
違いである。と言っておこうかなぉ。 

「政治」とは、<利害>関係の調整(ぶちゃけて言えば闘争)であ
り、その<決定権>=権力を巡る争いであるというのがその正体で
あり、それ以上でもそれ以下でもない。 

ある意味で、弱く貧しい人への分配が多いいか、自由に強い人が多
く受け取るかに明確な基準はない。どちらかに{正義}があるとい
うものでもない。(米共和党がいうようにタックスペーヤーとイタ
ーの分配のもんだいは、哲学的な違いであるが、同時に立場の違い
でもある。) 
それらを選択するのは、政治上では、<力学>であり、もしくは、
<倫理学>の問題である。 

経済学では資本主義を根底におけば、強いモノがより受け取るモノ
が多いというのが正しい。(また導かれる帰結は弱肉強食でこれを
受けいれられないのは歴史的に変であろう。 
しかし、ある秩序を維持することができれば、殲滅よりもつごうが
いい。下位からのエネルギーを吸収できるからじゃ。しかし、自己
の秩序=支配権を脅かすものについては、つねにおこたりはない。
歴史的には物理的暴力=戦力が支配したが、それを物理性から、
金(かね)に転換したのが、資本主義である。 
物理性の世界では、常に生命に直結していた<ちから>は、情報(
金=かね)にその力を譲っていく・ 

さて、「村」の話しに帰ろう。 
ムラというものも、いい面がたくさんある、相互に互助的であるし
、どこかの水路が壊れれば、ムラ全体に及ぶから、協力=共同とい
うメンタリチィが働くからの。つまり人と人との関わり方が濃密で
、そこにコミュニケーション上の価値観が生まれ、同時にそれは閉
鎖的充足を夢見る。 

(ただし、ワシをはじめ都市型生活者では、何十年隣りにいる人で
も、何も知らないし、知りたいとも思わないこともあるじゃろう。
それより、ネットの中で、心や、意見を述べている人のほうが、分
かる気がしたりする。ウーム(~_~)そうい気になるのは、ただ別のモ
ノにはまっているせいか。) 

そういう意味で「ムラ」というのは、今や、現実の空間的な世界で
はなくなっている。 
一時期は、「会社」が「ムラ」の役割を果たし、いまでも、その一
部や、官公庁では「ムラ」=<天下りを含めた官僚達の利権と権限
と命令が繋がっていくシステムのままかもしれない。 
あるいは、ネットの同じような意見があつまる場所では、気持ちの
「ムラ」が生じているのかもしれない。しかしそこでは利益や運命
は共同しないが、コムニケーションが重んじられ、そこからはじか
れた人間が敵意を抱いたりし(昔のところばらいのような)するか
もしれない。つまり利害でなく<感情>で自身をたてている。 

で、要論はこれからなのじゅが、日本というのは、基本的に「ムラ
」という社会構造をなしておる。(良し悪しではなく現実のおちつ
きようとして) 

それは人間組織を選択にするにあたって、ごちゃごちゃとフルイに
かけたすえに、、日本という風土において、それが安定した秩序に
なっており、生き延びてきた理由でもあるともいえる。(こういえ
ば、論理や理性や工学的な識観からは、合理的でないと思われるで
あろう) 
しかし、人間は決して理性的でもなく合理的でもない。「情動」が
根底にある。大地のように、ワシには理性はその上に建てられた建
造物のようにしかおもえない。 
友人と論議になるが、彼は、人は理性的であるという、。。。。
ムーーーーン、まさに近代主義の教科書のような見方じゃ。 

で、「ムラ」にとって、一大事なのは、<開国>である。 
自分達の価値観や秩序利益共同体が効かなくなる。 

歴史的にみれば、おもしろい。 
国内秩序は守りたいだけど外の大きな潮流には逆らえない。だから
{出島}があって、「ムラ=国の秩序」への影響を最小限にしたか
った。 

しかし、潮流は世界(の社会)を運動させる。 

今でも、ムラを出て、成功した人々を「世界で通用した」と褒め称
える。(大リーグのイチローとか)しかし、同時に日本でブイブイ
いわせても、世界では通用してないことも実は知っている。(いろ
んな条件とか、特に語学とかのハンデがあって) 

では、生きていく道を示そう。 
「ムラ」の枠にこだわる限り、日本人はおくれをとってしまうじゃ
ろう。地球上すべてを視野にいれなくてはなるまい。 
そのうえで、日本という、地理的、歴史的、風土的、社会的な強み
と弱さを勘案しながら生きるべきじゃろう。 

そこから、どんな個人が生まれるのか、そして、どんな日本が再生
するのか。。。 

今地が、プルートーに覆われる時、その闇の中から、再生の鳥がコ
コの歌声を上げる。 
秘学は常に<死と再生>のはざまの秘密に関して述べてきた。 

まさに、死(という灰)が覆う時、それを苗床にして、再生可能エ
ネルギーが生まれようとしていると思えるのじゃ。 

虚風老 


コラム目次に戻る
トップページに戻る