4057.あの日に帰りたい



あの日に帰りたい、、、、、、
         ヒトと動物たちと心が通い合っていた時代に


みなさま、

地デジ化移行と、音声通信のデジタル化がどれだけ結びつくのかわ
かりませんが、少なくともデジタルのメカニズムについてまったく
不問にしたまま移行したことは事実ではないか。

今日、そんなことを思いました。 とくまる

−1− 地デジ化移行

地上波アナログテレビ放送が予定どおり停波となった。秋葉原では
アナログマのお葬式が執り行われるということで、遺影と焼香台の
写真がアップされていた。

http://www.hiyoko-g.com/1621_anaroguma_digital/

アメリカでは一定期間延期したと聞いているから、日本で予定どお
りきちんと停波したこと自体は、たいしたものだと思う。

だけど結局、アナログとは何で、デジタルだとどう変わるのかとい
う説明はないまま、デジタル化してしまった。それで誰も疑問に思
わないのはどうしてだろう。

地上波デジタル放送への移行がこれほどスムーズに行なわれて、説
明ひとつなかったことから、デジタルとアナログの間の深い深い溝
の存在をあらためて感じた。アナログが何で、デジタルが何かも知
らないのに、アナログからデジタルへの進化をすんなり受け入れて
しまう。それしかなかったからだといえばそれまでだが、進化の前
と後で何が違うか、忘れ物はないのか、気にならないだろうか。

だんだんと技術が自分たちの手の届かないところにいくことで、不
安にならないのだろうか。20世紀後半から、我々は技術や科学の進
歩に対して、傍観者であることに慣れてしまったような気がする。
一般人だけでなく、専門家ですらそうである。デジタルや、量子力
学といったことが重要であるのに、その言葉が意味する中味を気に
しないことに慣れきっている。


−2− デジタル化による動物性の健忘症?
最近、人類学者が自分の飼っている犬の群れを観察して書いたエリ
ザベス・M.トーマス 「犬たちの隠された生活」(草思社文庫)を
書店の文庫新刊の棚でみつけて買って読んだが、めっぽうおもしろ
かった。

著者のお父さんは、米国の軍事産業であるレイセオンの社長で、第
二次世界大戦後に定年退職後、著者と弟(John Marshall)を連れて一
家でナミビアに移住してブッシュマン社会の研究を行なったという。
若いときにブッシュマンの教えに触れていたから、著者は動物との
心の通わせ方を知っていたのかもしれない。

この本のおもしろさは、犬たちが集団で生活すると、それぞれの犬
の性格や賢さの違う個性が見えてくることと、犬の社会にも作法や
常識や文化といったものがあることを、著者は次々と気づいていく。

あまりにおもしろかったので、同じ著者による「猫たちの隠された
生活」(草思社)、「「犬たちの礼節のある社会生活」(草思社)を立
て続けに読んだが、飼っている犬と猫と人とが、異種混合に連帯し
て、お父さんグループ、おばあさんグループ、主婦グループ、はぐ
れものグループをつくって、心を通じさせているところなど、びっ
くりした。


私は言語とは、哺乳類のアナログ音声通信をデジタル化したものだ
と思っている。ヒトは言葉を獲得したことによって、アナログ時代
の動物としてのコミュニケーション能力を失ってしまったのではな
いだろうか。ヒトがヒト以外の動物とコミュニケートしていた時代
は過去あったのに、それを完全に忘れてしまっている。

それを思いだすことが大切ではないか。ヒトはデジタル言語を駆使
できる知的動物ではあるが、同時にアナログな音声通信を行なう動
物でもある。デカルトをはじめとする西洋の哲学者がいうように、
ヒトだけが魂や理性をもち、その他の動物は機械と同じだという生
命感をあらためなければならない。

とても大変な思考作業であるが、そろそろそれをしないことには、
人類はもう救われないと思うのだ。


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